目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

東日本大震災後と人間性 川野里子さんへのインタビュー記事における石牟礼道子『苦海浄土』

 

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   歌人の川野里子さんが、中国新聞のインタビュー「詩のゆくえ」で、石牟礼道子『苦海浄土』に関して一言よせている。その一言に強く惹きつけられた。

   言わずもがなかもしれないが、『苦海浄土』とは水俣病の発生から終息までを著者石牟礼が追った一種のルポルタージュである。

 この作品の中で石牟礼は水俣病を負った、自分の息子と同年齢の少年との出会いについて書いている。以下、記事から引用。

 

息子と同年齢の水俣病の少年と出会った石牟礼さんは、「ひきゆがむような母性を、わたしは自分のうちに感じていた」とつづる。「自分の中の人間性を再発見しているこの言葉が、東日本大震災後の今、ものすごくまぶしくて。」川野さんは実感を込める。

中国新聞」2016年3月9日朝刊文化面(13頁) 

   この川野さんの一言は強い喚起力を持っていると思う。実は私は一ヶ月前に『苦海浄土』を読んだ。読んだのは講談社文庫版である。

苦海浄土 わが水俣病 (講談社文庫)
 

 

 大変興味深く読んだのだが、それを現状、自分が問題に感じている事柄との関係においては読まなかったのである。

   川野さんの上の一節を読んだ時、『苦海浄土』の読書体験が、自分の中で一気に具体的なものになるようで、思わずうなずいてしまった。「東日本大震災後の今」とあるが、その言葉の私の中での含意は震災に関連する出来事にとどまらない。

   たとえば、相模原事件。たとえば、日本における排外主義運動の高まり。電通で自殺した、友達の友達。そして、今も、また、これから何十年何百年も禍根を残し続ける原発問題。

    それらに関する情報を拾う中で強く感じるに至ったことがある。それは、「一つ一つの小さな生活が危機に晒されている」という危機感だ。当たり前の生、当たり前の幸福の享受や、当たり前の自由が、当たり前でなくなり、時に軽々と蹂躙され、時に複雑隠微な方法で息苦しい形へと変えられていく。

   上に挙げた中で、特に個人的にショックが大きかったのは、相模原事件だ。相模原事件直後にネットの最悪な部分で噴き出した言論は本当にひどかった。障害者の生きる権利を認めないような、とてもここで再現するのがはばかられる発言が多々リツイートにより運ばれてきて、ネットを見て初めて涙を流しそうになった。生まれてくる命を受け入れ、支え、それとともに生きることに喜ぶという当たり前のことが、もしかしたら難しくなってきているのではないか。月並みな表現だが、「社会の底がぬけてしまう」と思った。

   石牟礼が、水俣病患者の少年に感じた「ひきゆがむような母性」。それは、確かに私にとっても「まぶしい」。傍に居て苦しむ人を見て、自分もまた苦しみを感じること。それは、川野さんが述べるようにまさに「人間性」の「再発見」だと思う。そしてこれもまた、当たり前のことのはずだと思う。しかしそれが今日当たり前ではなくなってきているのではないか。

   この問いは、もちろんそれを発する自分に差し戻される。そもそも私は人間性を日常生活の中で発揮し得ているのだろうか。自分勝手な私は、石牟礼の方にはとても立てないかもしれない、と不安になる。川野さんの「まぶしい」には、もしかすると、そのような含意がこめられているのではないか、と思う。

 

子供の教育を語ることを通して、自分の欲望を語ること。学習相談にのってきた。

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学習相談をする中で、驚かされること

 大学生活を通して塾講師や家庭教師をやってきた。成功も失敗もあった。そのような経験を話すと、少し相談に乗ってくれないか、という話を受けることがある。先日もそうだった。

 子を持つ親は、「先生」ということになっている人にどのように接するのか。そのことに対する単純な好奇心から、一回きりのちょっとした相談を受けることはこれまでもままあった。この春から就職するため、これが最後であろうと思われるから、学習相談をする際に毎回直面してきた驚きと、そこから考えたことを、書き留めておきたいと思う。

▽自分の子供はできる

 毎回驚くことの一つは、自分から率先して家庭教師に相談を依頼するような親のほとんどが、「自分の子供はできる」と信じている、もしくは、「できる」と信じたいと思っているということだ。

 「信じる」というような言葉を使い、このように記述すると、親を馬鹿にしているように聞こえるかもしれない。実際は、違う。というか、その親たちのあまりの切実さに馬鹿にすることなどとんでもないと思ってしまうのである。なぜなら、その切実さ、その想いの強さは、逆説的にも、そうでないかもしれない可能性に彼らが十分に思い当たっていることを示しているからだ。

▽子供を褒められて喜ぶ親たち

 一つ目に大いに関連するが、二つ目に毎回驚かされるのは、私が親たちの話を聞き、その子供を褒めるときの、親たちの喜び具合だ。もちろんおおっぴらに喜びはしない。しかし、表情の具合や話のテンポが上がっていく様子から、何人かの親は、尋常ではなく喜んでいるように、私には感じられた。大学受験をくぐり抜けたとはいえ、20代前半の、それもほとんど素性もしれない若造が、伝聞だけで子供を褒める。そのことにより、本当に安心した表情を浮かべる親たち。そして、大抵、以下のような語りが続く。

 自分の子供は、いま現在成績は振るわないものの、小さいころはこのようなことができたし、いまも、これだけは誰にも負けない。これは、私たちの影響もあると思う。私の夫は小さいころから、この教科だけは負けなかった。私もこの教科は得意であったのである。生活や勉強の仕方を少し変えれば、彼の成績は間違いなく伸びていくことと思う、そして、どのように変えていけばよいかということも私は大体わかっているのである。そのことを子供には何度も言っているのだ。しかし、私が言っても聞かないから…。

 嬉々として語り出す彼ら。それを思い出すと、未だに鳥肌が立つ。なぜか。彼らは子供の健全な発達を願っているのではなく、また、私からスマートなアドバイス(そのようなものを提供する実力が私にはない)を求めているのでもなく、ただ自分の願望を吐露し、自分の不安を語っているからだ。

教育を語ることを通して、自分の欲望を語る

 考えてみると、私はこれほどまでに自分のことだけを語る大人に、大学に入るまで会ったことがなかった。社会生活のなかで、人は自分の欲望のみを語ることを制限する術を身につける。私の周囲の大人にこのようなタイプがいなかったわけはない。必ずいたと思う。しかし、普段それは隠すものなのである。

 例えば、お金やセックスの話は、日常会話において、基本的にタブーであるとされている。もちろん、それらを分析的に語ることは可能だし、そのような場合、タブーとは言われない。では、なぜ「基本的にタブー」なのか。それは、お金やセックスといったトピックが、語る主体の欲望をあらわにしやすいトピックだからだ。過度な欲望の表出は、社会生活においては制限される。いくら気持ちよくても、裸で歩いてはいけないのと同じだ。

 私が、親たちの学習相談に乗っていて、時折上のように、鳥肌が立つような経験をするのは、大人の直の欲望に接するからだ。日常生活において欲望の表出は制限を受けるが、自分の子供の教育について語る時には、その欲望がこのように直接的に現れるのだな、と驚かされる。

▽自分が肯定されているような気持ちになっている?

 私は子供を褒められることで、親が喜んではいけないといっているわけでは決してない。私が逆の立場であったとしても、嬉しいと感じると思う。そしてそこに、「自分の教育がよいからだ」、という気持ちが介在しないということにはならないように思う。一生懸命育てているという気持ちがあるのなら、多少なりともそう感じるものなのではないだろうか。少なくとも私は、自分がそういうタイプなのではないかと自分で思っている。

 しかし、子供が褒められることを、自分の家庭や自分の教育努力の肯定と受けとめるのは、本来的にはあまり良いことではないのではないか。なぜなら、自分が行った教育の結果物のようにして子供を捉えることは、子供を自立した一人の人間として扱おうとしていないからである。子供に対して向けられた言葉を自分に対して向けられた言葉として捉えているのだ。

 もちろん、中学生に自立は無理だ。親に依存し、親に甘えるのが彼らである。しかし同時に、自立への萌芽が現れるのも中学生である。それを後押しし、本人の健全な発達を喜ぶのが理想的なあり方のように思われてくるのである。

相談相手は私じゃなくてもいいんだな…

 子供のことは自分がやっているし、子供のことは大体知っている。子供がうまくいかない時は、自分があらゆる方向から支援しなければならない(、そして子供がうまく行った時は、自分のやり方が良かったときである)という風な態度が見える親とは、学習相談の場で話していて疲れる。繰り返すが、そのような親は、子供のことを語りながら、その実自分の不安、自分の願望を語っているからだ。

 相談相手がこのようなフェイズに入るといつも私は、語る相手が私ではなくてもいいんだな、と思う。彼らに共感し、彼らの言っていることの一部を当意即妙におうむ返ししさえすれば誰でもよいのだな、と。

 ただし一応、学歴という権威を持った人物でなければならないのだ。ということでここで私は疎外感を感じる。あぁ、肩書きだけで見られているな、と思う。学習相談をするとき、大抵は初対面だ。肩書きだけで見ないということは、このような状況で大変難しいと思う。だから、それを要求することは、過大な要求かもしれない。しかしとにもかくにも、違和感は感じる。そのことは表明していいと思う。

 

***

 

 繰り返し付言したように、私自身は、20年後くらいに、私に対して学習相談をする側の親になっている可能性の高い人間である。彼らの持つ弱さが、私にとって無縁とは全く思われない。注意しなければ、確実にそうなるだろうと思う。学習相談を受ける側に回って良かったと思われることの一つは、私はあちら側の人間に容易になりうるということがよくわかったことだ。

 

『騎士団長殺し』における「メタファー」という言葉への違和感、それと雑記

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  どうしてもうまく寝付けず、今日は4時に起きてしまった。猫を抱いたために両手がふさがり、本を読むことができなかったので、宙を眺めていたのだが、そうしていると、これまでのこと、そしてこれからのことが渦を巻いて頭を占拠してくるようで、たまらなくなった。ものを考えたくない…。

 

 猫を傍らに置き、机の上においてあった『騎士団長殺し』を読もうとした。けれど、ラスト50ページのところまで来ているのに、それ以上読み進む気が全く起きない。それで、結局今日もほとんど読まなかった。

 つまらないわけではない。しかし、どこかで読んだ気がするセリフや展開、思考の流れの連続で、すでに読んだものを読まされているような気がして、あまり積極的になれない。

 ここまで読んできた部分で、ワーストは、騎士団長が「わしを殺せば、顔ながが現れる、早く」というようなことを言った部分。オーブを集めれば道が開ける、とか、中ボスを倒せば奇跡の薬が手にはいる、とか、本当にそのような展開だ。

 

 もともと村上春樹作品の根本的な構造はRPGゲームのように単純なものであると言われている。だから、このような記述もさもありなんなのだが、ゲームに見られるような構成・構造を現実世界の記述に適用する手つき、本来的に混沌としている世界を、ある秘められたルールがあるものとして小説の中に立ち上げていく手つき、そこにこそ村上春樹の本領があったはずではないか。これでは構造があまりにありありと露出するため、その性来の単純さが際立ち、鼻白んでしまう。現実世界がそこに立ち上がってくるというリアリティはない、と思う。

 

 あらゆる内的な連関を「メタファー」という言葉により一元的に説明しようとする点も、もはや驚きながら読んでいた。少なくとも、『ねじまき鳥クロニクル』はアレゴリーに満ちていたように思うのである。ノモンハン事件の話が、岡田の話とつながりそうでつながらない。この二つの強い物語の間の距離から岡田は力を得るし、この二つの物語の間の距離の深淵からこそまた暴力も湧いてきたのではないか。

▽ 

 再び抱いた猫は、そのような時間に抱かれることがこれまでになかったせいか、意外そのものであるという顔で、目を見開いてこちらを見ていた。彼女の驚いた顔と対面していると、何か抜き差しならないことが進行しているようで怖い。もしかしたら、私は叫びそうになる直前なのかもしれない、と思うことで、そのように客観的に自己の状態を把握できることに安心する。とても憂鬱な明け方だった。

 

 宮沢賢治の、どの作品だったか忘れたが、「山猫のにゃあという顔」という表現があったように思う。高校生だった当時の私は、この記述に出会って、なんとシンプルで、なんと適切な形容なのだろうと感嘆したのだった。私以外誰も乗っていない在来線の車両で。両側にすすきのある、周囲よりもやや低いところを抜けると一気に視界が開け、進行方向左手側に延々と田園が見える。田舎めいた場所に住んでいてよかったと思うことは、都会に住んでいないために不満を感じるのと同じくらい多い。

 

人が年をとるということ。その中で文学的課題を発見していくということ。黒井千次さんのインタヴューに参加してきました

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 先日書いた通り、飯田橋文学会の文学インタヴューに参加してきました。大変良かったです。一人の作家が、時に応じてどのように自己の文学的な課題を発見していくか。それにいかに向き合っていくか、という過程をありありとお話くださいました。

new.lib.u-tokyo.ac.jp

 このインタヴューに関する、文学会側の方のツイートとしては、例えば平野啓一郎さんの、以下のようなものが挙げられます。

  私は平野さんとは異なるところに刺激を受けたので、そのような部分を中心に、簡単に振り返りたいと思います。

あまり書かなかった大学時代

 まず印象に残ったのは、最初の作品を発表するまでの経緯。1932年生まれの黒井さんが、主に作品を書き始めたのは、高校生のとき。何が語りたいかわからないけれども、何か語りたいという気持ちから、戦後の混乱の中で創作意欲に燃えたと言います。今から振り返って読むと、別にその時の作品がとりわけよいということではない。けれども、ひたすらに書いた経験が本当に重要だった、というお話をされました。

 逆に大学においては、当時盛んだった労働運動に一般の学生並みに接し、友人たちと観念的な議論を繰り広げる中で、頭でっかちとなり、創作活動に気持ちが向かなくなっていたとのこと。書いた作品を批評する目を過度に内在化すると、書くことが難しくなる、というお話でした。

 以上のお話は、私にとっては覚えがある、というか現在進行形の課題。私もまた、小学校の頃に夢中になって小説を書いていました。当時は、書くこと自体が楽しかったので、それが完成するのか、完成したら、どう評価されるのか、ということを考えてはいませんでした。

 今も、小説を書こうと思う時はありますし、実際に書きます。しかし、書いていると「これは完成するのか」「これでは先行作品に比べて新しいとは言えないのではないか」というような批評家的視座が鎌首をもたげてきて、頓挫してしまうのです。つまり、書くことの愉楽が第一に来るのではない状況に陥っています。どうにかならないかなぁ。自由になるために大学・大学院で勉強して、実際に自由になった側面は多いのだけれど、不自由になったところも実はそれなりにあるような…。しかしどうしたらここから抜け出せるのか、それも、逆戻りではない形で?そのようなことをぼんやりと考えながら、お話を聞いていました。

企業内労働というテーマ

 大学生活の終わりとともに、黒井さんは就職します。黒井さんの就職に関して、詳しくは『働くということ』(講談社現代新書、1982年)という本にまとめられています。ちなみに、これ、その場で購入しサインをもらいました。もうすぐ就職するので、これは買うしかない、という気分でした。

 

働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書)

働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書)

 

 大学時代に接した労働運動の影響もあり、ものをつくる労働者の実態をみることに興味を持っていた黒井さん。その興味もまた一つのきっかけとなり、メーカーに就職されたとのことです。そこで、黒井さんは企業とその中で働く個々人の主体との関係を問うような小説群を発表していきます。今回の文学インタヴューで中心的に言及されたのは、先日私がブログで紹介した『時間』という作品です。

時間 (講談社文芸文庫)

時間 (講談社文芸文庫)

 

  この作品、私は漠然と、高度経済成長期、企業という巨大で非人間的なシステムがその力を増す中で、そこに翻弄される主体の像を描くことにより、当時の社会を批判的に書き出すことに作家としての企図があるのだと思っていました。

 しかし、昨日のインタヴューを聞く中で、その考えは微妙に違ったと感じられました。インタヴューの中で、黒井さんは、システムの中で企業戦士化した主体もまた、子供を持ち、家庭を持つ人間であるという気づきを得たエピソードを紹介します。いわく、企業の中では、「課長」はもう「課長」として動かし難く存在している。けれど、地元の祭りなどで会うと、課長も子供と一緒に常人並みに市民生活を営んでいるのだよね…。

 こういった語り口から、企業の中の人間を書くことの力点が、文明批判というよりは、人間個人を問い直すことの方にあったのだなあと感じられました。別に企業を批判したいわけではない。巨大なシステムの中でがんじがらめになっているはずの個々人から、しかしどうしようもなく滲み出てくる人間性に黒井さんは関心をもっている。その関心の向けかた、そこに気づくまでの経緯の語りかたが、理路整然としていて、穏やかで、真摯な方なのだなと強く思われました。

生活の中で文学的な主題を見つけるということ

 富士重工を退社した後は、本格的に作家活動に入り、家で執筆をするのが黒井さんの生活の中心になります。それにより、今度は黒井さんの中で、家とは何か、家族とは何か、という主題が現れてきたと言います。

 近日インタヴューの映像が公開されるので、細かくはそちらに譲りますが、このようなお話を聞くことで、作家が周囲の生活の中から文学的な主題を発見していくプロセスに素直に感心しました。それとともに自分が専門としている大江健三郎さんとの共通点を見つけることもできました。

 黒井さんの作品自体は大江さんの作品と接点が多いわけではなく、お二人がとりわけ文壇の中で関わりが深いというわけでもないと思います。しかし、人生におけるいくつかの転機や日常生活を送る上で出会われる細かな事件・気づきなどを、創作活動の原動力として、長期間にわたりその都度新たな作品を世に送り出していくという姿勢に関しては、共通する点をいくつも見つけられると感じられます。

 研究すればするほど、文学はわからない、とらえられない、実体がない、と思われてきた。そのような思いを書く方の作家もまた同じように抱えているのだろうなと思います。

 自己が変化していくこと。それが「変化」と捉えられるかはわからない。もともと何があったのか、ということが定かではないし、変化ののちに何があるのかということもわからない。しかし、そのようによくわからないものに狙いを定め、追い詰めてとらえ、それに新たな形を与えていくこと*1。それを一つの「人生の習慣」として、ごまかさずに行っていくこと。そのような作家としての生と向き合う態度にしみじみと感心させられたのでした。

 

 ということで、今回は素直な感想をまじえた紹介記事でした。次に、黒井千次さんの文学に即して、気になったことを院生としての立場を意識しながら書きます。

 

*1:この表現には(そのままの形ではありませんが)典拠があります。

http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message23_03_j.html

最初にやりたかったことってなんだろう。

 

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 今日は遅く起きた。眠い目をこすってiPhoneで新聞を一通り読んだ後、大学の図書館に行った。午前中いっぱいは黒井千次の『時間』という作品集の中の中編「時間」を読んだ。

 

時間 (講談社文芸文庫)

時間 (講談社文芸文庫)

 

 

 黒井千次は、これまで一度も読んだ事がなかった。最近読んでいるのは、飯田橋文学会という学者・文学者からなる文学交流会が主催する、現代作家アーカイブという企画を聴きに行こうと考えているからだ。現在活動中の作家が来場し、自己のキャリアや、キャリアの途上で書いた作品についてのインタヴューに応じる企画である。

 

new.lib.u-tokyo.ac.jp

学生時代を問い直したくなる

 『時間』は大変良い作品だった。大学卒業後、企業戦士となった主人公が、大学時代の交友関係やゼミに関わる中で、左翼運動に接した学生時代と現在のあり方との関係を問い直す作品である。

 もはや「ノンポリ」という言葉を使うこと自体がたまらなく「臭い」が、あえて用いるなら、私自身は完全に「ノンポリ」である。しかし、大学院と就職との間にある現在の私にとって、この6年間の学生時代をいかに総括するかということは大きな課題なわけで、その点において、『時間』という作品が自分と無縁のものとは思われなかった。

最初やりたかったことは、できた?

 この作品を読む中で、大学生活始まって以来、一貫して親しくしてきた友人から投げかけられた何気ない一言を思い出した。

「この大学生活はどうだった?」

「うん、楽しかったよ」

「やりたいことはできた?」

「やりたいこと?」

「最初やりたかったこと、それはできた?」

 ほんとうに何気ない一言なのだが、私は自分でも意外なほど面食らい、次の言葉が出てこなくなってしまった。目先の「やりたいこと」を次から次へと必死に消化していく一方で、当初やりたかったことに関しては、全く意識しないままに過ごしてきてしまったことに気づかされたからだ。特にこの二年、あんまり忙しく、また忙しくない時も、気持ちが落ち着かずに、そんなことは考えてもみなかった。

 ただ、大学入学当初やりたかったことをわざわざ振り返ったり、思い出してみようともしなかったことの理由として、一番大きいのは、私がそれを昨日のことのように感じているからだと思う。私は大学入学当初の自分と比べてほとんど全く変わっていないと、そう思っているからだと思う。振り返るまでもないというわけだ。

 「「最初やりたかったこと」なんて言われても、だって今だって、最初のままのようなものでしょう?だとしたら、今私がやりたいことが、最初やりたかったことのようなものでしょう?

 つまり、例えばあることを言った後で、すぐに言い直したとしたら、後者の言い直した方が、本当に言いたかったこととして最初に言われた方は言う方にとっても聞く方にとっても、霧消してしまうでしょう?」

 そう言ったとして、彼はすぐにこう反駁するだろう。

「でも、六年たったよ」

 そう、六年たった。本当に?そうして振り返ると、確かにそうだ。大学一年生のときに考えていたことと、今考えていることは、結構違うような気がする。それゆえに、当時自分が考えていたことに一定程度耳を傾けるべきな気がする。子供の時に自分が持った問いの一部が、後から案外重要であったと振り返られるように、大学一年次に自分が考えていたことは、一笑に付せるものも数多くありながら、今ではすっかり見えなくなったものをはらんでいるような気もする。

 しかし一方、「それがあるのだとしたら、とっくに気付いている、だって、大学に入学したのは昨日のようなものじゃないか、当時重要だったものは、今も変わらず重要であるに決まっている」という心の声を聞く気もする。

 要するに、大学一年次は今の私からは遠い過去になる一歩手前であるのだ。まだまだ全然、それは手の届くところにある気がする。

 私は大学生活を忙しくしすぎたのかもしれない。大学一年生の時の自分が夜遅くまでドイツ語の不規則動詞を暗記して、授業で紹介された小津安二郎の映画をYouTubeでちょっと見て、それで寝て起きたのが、今日の朝起きた自分に直に接続しているような…。

 しかし、当時はiPhoneをもっていなかったし、ノートパソコンはいまよりずっと重いものを使っていた。当時の私は漱石や三島をほとんど読んだことがなく、洋書を丸々一冊読破したこともなかった。住まいは今とは違うし、使っている筆記用具も鞄も時計も、来ている服も違う。あらゆるものが違う。しかし、それを昨日のように感じてしまうのが不思議である。

「最初やりたかったこと、それはできた?」

 なんだかとても面食らって、適当に受け流した彼の問いを、今落ち着いて考えようとするけれども、何もでてこない。私は「最初やりたかったこと」が一体なんだったのか、それを思い出すことから始めなければならない。

 

 

 

  

 

 

 

小学校の頃の先生とSNSでつながる

 

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 一昨日、小学校時代の教師とSNS上でつながりました。そのことが影響してか、小学校時代の先生と再び会う夢を見ました。
 奇妙でない夢というものはなかなかありませんが、今日の夢もまた奇妙でした。単に奇妙というだけでなく、いろいろ考えさせられるところがあったのです。


 

 夢の中で、私は小学校時代の先生の国語の授業を受けていました。題材となる小説には、現に自分自身が体験したことが書かれていました。読みながら、そのことがわかりました。夢の中で私は、「これは私がした体験だ」ということに気づいたのです。そして、その体験の中にもぐりこんでいったのでした。
 ベージュ色の表面からなる壁に包まれた、地下室の中を私は歩いていました。壁の輪郭はぼやけており優しく親密であります。柔らかい砂の地面には1cmほどの水が張っていました。目の前の、水盤から、ゆっくりとそれらの水がわきだしているのです。
 ただそれだけの体験が、テクストとなって目の前に現出しており、体験した自分自身がそれを先生の授業で読解しているのでありました。


 

 先生の発問にあわせて、私は小学生だった当時の積極さを保存したまま、頻繁に自分の考えを、手を挙げて述べていました。

 その際、私は小学校以来の10数年間で獲得した話し方で「今先生が〜と発された問いに関してなのですが、私はこのような表現から〜のように考えられるのではないかと思います」というように答える具合なのですが、先生は「○○、いいポイントだね」と当時のままの具合です。ここで〇〇には、あだ名が入ります。久保健太郎くんを、「クボケン」と読んだり増田くんを「マッシー」と呼ぶようなあれです。

 すでに倍以上の年を取った私が、その年相応の語り方をするのに対し、先生は全く当時と同様の具合で応じる。このギャップにクラクラしました。


 

 夢の中で、この10数年の間に変化したのは私だけのようでした。もちろん、先生にも様々な変化があったことでしょう。しかし、私はそれを知らないから、夢の中で、私だけが変化して、先生はそのまま出てきたのでしょう。そのことが、先生と連絡を取れというサインのように感じました。
 それで、先生宛にメールを書いたのですが、どうもうまく書けず消すことの繰り返しです。それを繰り返す中で、あの夢が、「先生と連絡を取れというサイン」ではないのではないかという風に思うようになりました。


 

 私の体験を私が読解し、それに対して、それを自分が体験したと唯一わかっている私が、自分の考えを今のような話し方で述べること。そして、先生がそれに、小学生時代と同様の形で対応すること。そのことは、安易に連絡をとれば、決定的なディスコミュニケーションに陥るから気をつけてね、という警告のようにも、考えられてきたのです。
 私は、先生が結局どういう人だったのか、ということを考えなければならないと思います。高校時代に出会った本の一部を学部時代、大学院時代と読み直すような形で。そして、読み直す気がなんとなく湧きもします。しかし、ここで急ぐと失敗する気がする。
 私には「時間を味方につける」必要があります。

「時間を味方につける」−−−でも、どうやって?

 朝何気なく入った喫茶店にずいぶん長くいた。いくつかの本を読んだり、考えたことを書き出す、ということを時間を忘れて楽しんでいた。膨大に時間があっても、案外この種の娯楽はできない。頭が明晰で、かつ喫茶店が空いている時間帯に、喫茶店にいくことができることがその条件だ。

 そして、この種の娯楽は5時間ほどが限界だ。目も頭も疲れ、気分を変えたくなる。読むスピードが圧倒的に遅くなり、内容が頭に入らなくなる。小雨が降っていそうだったので、若干無理して、同じ場所にいようと努めたが、何も得られない時間が30分ほど経過したので、思い切って店を出ることにしたのだった。

 今日の喫茶店には、「はーい」を限りなく「ほーい」に近いように発音する店員がいた。集中力が切れてくると同時にその「ほーい」が気にかかった。もしかしたら、この人は子供のときのある時期、「はーい」を「ほーい」ということにして、それがなんとなく、定着したのかもしれない、と思う。子供の時の一時期、私は「なに?」を「にな?」と言っていた。そういうものかもしれない。

 今日は地方自治に関する本や黒井千次『群棲』をはさみつつ『騎士団長殺し』の続きを読んでいた。地方自治に関する本とは、田村秀『暴走する地方自治』(2012年)である。大変面白い。大阪都構想中京都構想の是非などについて論じた部分を読み、当時の熱気がありありと目に浮かぶような気がした。

▽ 

 『騎士団長殺し』の方は、今日下巻に入った。まぁ、あと3日はかかるかなという印象。丁寧に読んでいるわけではないが、あまりさくさくは進まないし、長時間読み続けることもできない。『1Q84』のときは本当にあっという間に読んだな、ということを思い出した。ただし、『1Q84』がとりわけ良作だった覚えはない。

 本を読むだけの生活を送っていると、明日はこれとこれのこの部分まで読んで、と時間の使い方が、本のページ数で測られたりするようになる。4月から働き始めるが、働き始めるまでに読めるのは何冊くらいだな、というのもわかる。なんとなく不安定な時間を私は生きている。待ち時間のような、別にそうでないような。

 そんな私になんとなく気になるものとして残った、『騎士団長殺し』の一節。

 

「時間が奪っていくものもあれば、時間が与えてくれるものもある。時間を味方につけることが大事な仕事になる」(23頁)

 

 「時間を味方につける」−−−でも、どうやって?