SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

「本当のこと」と仕事の間:とある退職エントリに関して

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 就労を始めて1年半を超えた。大学・大学院時での私はお世辞にも会社でうまくやっていけるようなタイプではなかったので、そういうタイプの自分でもやっていけるような職場を選びはしたのだが、それでも働き始めるまでは大変不安だったし、働き始めて一ヶ月ほどは「これは続かない」「来月辞めよう」などと考えていた。当時の不安な気持ちは以下の記事に一部見られる。

 

summery.hatenablog.com

 

 

 今も、「いつ辞めようか」とよく考えはする。ただしそれを「来月」というような短いスパンで考えることはなくなって来た。端的に、いてもたってもいられないほど我慢できない、という局面が減って来たのだ。「やめるとしたら、今手掛けている仕事が終わる半年後かなあ」というように考えたりする。つまりは少なくとも二、三ヶ月は耐えられる自信に、その気持ちは裏打ちされている。慣れたのだ。

 慣れたというのは、職場の人間関係をハンドリングするすべを学び、かつ自分に何が求められているのかわかったというようなことだ。完全に順応できたわけではないが、日々気持ちの調節を怠らなければ、我慢できそうにないと思われる時でも、二ヶ月はなんとか続けていける、というように思える。そしてそれを積み上げた先に、半年、一年続けることはあり得ると想像できる。

 

 そんな折、ツイッター上で長らく観察していた人の退職エントリがツイッターで回ってきた。ここでは仮にBetterさんとする。本当は、ツイッター上の実名を出しつつ一旦この記事を書いたのだったが、書きながら、この記事の主眼がむしろ書く自分の考えの表明にあると気づいたので、それを明確にするために虚実を織り交ぜた。ということで、以下は現実に根ざしたフィクションと読んでもらえればよい。

 

 Betterさんは面識はないものの(実は一度くらい、ジョナサンとかで一緒になったかも)、私と同じ年に同じ大学の同じ学部に入った。それで、私がツイッターを盛んにしていた頃にはやりとりをしたこともある。もう5-6年も前の話だ。 

 

 当時私は自分が就職してサラリーマンになるなどと思ってもいなかった。そのくせ官僚になることは漠然と選択肢にいれており、官僚などまごうことなきサラリーマンなのだが、その二つを結びつけ得ない程度の貧困な職業への認識しか持ち合わせていなかった。

 とにかく自分が「サラリーマン」と名指される数多いる無名の労働者の一員になりたくはないという実存的欲望はあった。そしてこれは多くの学生が一度は持つ欲望だろうと思う。当然Betterさんのような人もそのように思っているのだろうなと、今から考えれば大変勝手にも、感じていた。

 

 その後私は学部に進み、卒業し、大学院を修了した。この間ずっとちょくちょくBetterさんのことをツイッターにおいて観察していた。常識を思わぬ観点から反転させてネタに昇華する、そのネタツイートの際のラディカルさとは裏腹に、西洋古典学科に進んで以降、つぶやきから垣間見えるBetterさんの勉強はアリストテレスを原語で1行1行読み進めるという手堅いもので、およそ体系だった勉学とはいいがたいような、適当に批評文献や小説を読み散らかしていた自分は慄いたものである。

 

 その後、Betterさんは確か、修士に進み、一年ほど勉強を続けたのち、改めて別の大学院への進学を志したようだった。それで、一時期そちらの方面の本を盛んに読んでいたようである。しかしなんらかの理由で、おそらくこちらの道を諦めた。ということで修士の修了までにBetterさんは1年余分に要し、私の方が先に社会に出たということなのである。

 冒頭でも触れたように、昨年私は入社1年目で、苦労しつつも会社に少しずつ慣れて行こうとしていた。詳しい経緯はわからないが、この間金銭的に展望が見えないことや、西洋古典の大学院で勉強していても「本当のこと」に近づけない(?)という見切りもあり、Betterさんは就職することになったようである。で、働き始めて約9ヶ月で退職を決めた。以下の(ような)記述に、最終的にたどり着くわけである。

 

虚しさに襲われることはよくあった。例えば、月に一度程度の飲み会で、二つくらい年下の同期たちとの間の、いかなる点でも意味を感じられない会話をした後など。本当はそんな頭でまともにものを考えられるはずもないのに、アルコールに軽く浸った脳を酷使するように、『形而上学』を読んだ。面白かった。少なくとも彼には本質への志向性を感じた。

満足した豚というが、満足すらしていない僕はただの豚かもしれない。ただの豚としてこれから30年、40年と生きることに、それほど意味があるのだろうか?そうした問いを抱えてしまうように、抱えてしまわざるをえないように生きてきた高校以降の15年間を思った。確かさが欲しい。失われないものや嘘ではないもの、本当のことを探したい。

少しでも頭をはっきりさせようと、濃いコーヒーをがぶ飲みして、カフェインに弱いので今度はカフェインに酔って、亢進状態で指先を震わせながら、退職届を書いた。

 

 この記述に書いてあることは私にもわからないではない。いや、もう少し正直に書くと大変よくわかる。ただし、これも正直に書くが、求めるものに対して与えられる「確かさ」「本当のこと」という言い方に私は違和感を感じてしまう。そんなもの、あるのだろうか。あるとしたらそれは相対的な意味においてではないだろうか。「自分にとって本当のこと」というのなら、これは十分理解できる。しかし、だとしてもそれは、どこかに確固としてあって見つけることができるようなものではないのではないかと思う。

 だからBetterさんの試みは、結局「自分にとって本当のこと」を自分で見出していくということに落ち着くことになるのではないだろうか。なぜならそれは自己の固有性と決して切り離せない形でしか顕現しないはずのものであるから。わからない。それ自体私の方の信仰のようなものに過ぎないのかもしれないのだけど。とにかく、私はそう思う、ということ。 

 翻って自分の方を向くと、私は私で、今働きながら大学院に通っているのであって、今後なんとか資金繰りをして大学に通おうとしているBetterさんと軌道としては一部似通っているかもしれない。ただしここまで述べてきたことに関しては大きな差異があって、私は自分個人が日常生活で感じていること、抱えている問題意識を言語化し、読むに耐える形で送り出していきたい、そのすべを学びたいと思っている。それは「失われないものや嘘ではないもの」の対極にあり、誰もすくい上げなければ簡単に失われる、現に失われつつあるものであるし、また、私以外の人から見れば大嘘に見えるものである。

 「嘘」に見えるものごとの自分にとっての真実性を抗弁すること、そしてまた、すでに失われたもの、そのままでは失われた状態でありつづけるものの輪郭を改めて描くことは、私が専門とする大江健三郎の基本的な姿勢でもある。だから研究している、ということになる。大江は最終的に、個々人にとっての真実性を送り出しあい、それを聞きあう共同体のモデルを小説の場で作り上げようとしたと私は考えており、それをそれなりに説得力のある形で論証するのが私の目的である。

 

 ところで、Betterくん(突然「さん」から「くん」になり、大変なことになってきたが、私は一応同じ年に大学に入った「同級生」ではあるのだから)が盛んに言及するアニメに「10センチメートル毎秒」がある。このアニメはまさに、失われていくものや、本当でないこと=嘘に満ちている。そしてそこにこそ魅力がある。喪失や虚偽を描くことを通じて影絵のようにして浮かび上がる主体の、弱さ、曖昧さ。それらを抱えながら生きる姿にこそ、その人なりの固有性と現実を生きる一つのモデルを私たちは見るのではないか。単なる「決め」の問題にすぎないのかもしれないが、私はそちらの領域に強い関心があるし、それは「「10センチメートル毎秒」に魅力を感じるBetterくん」の関心と通じているはずだとも思う。

 

 誤解を解いておこう。私はBetterくんの今回の退職から「本当のこと」探しに向かう一連の動きを「自分探し」として揶揄しているわけではない。同じように「本当のこと」への志向を共有してしまう一個の個人として、「「本当のこと」を求める自分」といかにして彼が共に生きていくかに興味がある。人は誰しも、その人の生きてきた人生に固有の偏向(良い意味でも、悪い意味でも)を抱えている。それはその人の一部なのであり、簡単に捨てさることはできない。というか、それを簡単に捨て去ったり、それに蓋をしようとすることは強い言葉でいえばそれ自体誤りであると私は思う。

 

祖父危篤

 昨日未明に祖父が危篤であるという連絡が入った。脳梗塞で意識を失ったという。皿洗い中のことだったらしい。皿を洗う水がジャバジャバと流れる音がいつまでも続くので、不審に思った祖母が台所に行くと、祖父は車椅子に座ったまま前かがみになって、小さく固まっており、その口からは舌がはみ出ている。祖母に呼ばれた母は、祖父の様子を見てこれはまずいと判断し、救急車を呼んだ。

 救急車の中で母は救急隊員に「皿洗い中に意識を失ったらしい」と話したがなかなか信じてもらえなかった。祖父は数年前に帯状疱疹をこじらせたせいで右腕がほとんど使えず、また糖尿病で左足の足首より先を切断して歩けない状態だったから、そんな祖父が五体満足の祖母に代わって皿洗いをしているという状況が、「家事は女性の役割」という常識も手伝い、隊員にとって理解し難かったのではないかとこれは母の話。

 その後すぐに集中治療室に運ばれ、様々に処置を受けたのち、私の父と母が診察結果を告げられたのが明け方頃。ここで私にラインで連絡が入ったのだが、私はその連絡を母の送信直後に受け取った。なんとも阿呆らしい話ではあるが、その時私はあんまり面白い夢を見ていて、自分の笑い声で目を覚ましたのである。

 その夢というのも、友人が謎の文芸批評本を出し、その内容を当の本人とともにけなしたり茶化したりこき下ろしたりする、という内容だった。夢のことを思い出そうとするといつもそうだが、詳細は完全に忘れているので想像で補いながら書くと、要するに私と友人とは、その謎本の持って回った言い回しや、自分が一番頭が良いと思っていそうな著者のナルシシズムにツッコミをいれては、爆笑を繰り返していたのである。一緒にその本をこき下ろした相手がその本の著者である、というのは夢なりの奇態さである。いや、著者が自分の本を、それと認識しつつ馬鹿にしていたのなら辻褄があうのだが、そうではなかった。彼は完全に、自分ではない誰か他の人が書いた本に対する態度で、私と盛り上がっていたのである。

 その子は田中君と言ったのだが、私の方は、田中君の本を田中君とバカにしながら、目の前にいる田中君と本の著者の田中君を全く結びつけて考えていなかった。起きてるか寝ているか微妙なまどろみの中で、「あれれ、そういえば、あの本の著者が当の田中じゃん、でも変だな。だって赤の他人が書いたものであるかのように一緒に馬鹿にしてたわけでしょう・・・?」などと思っていた。

 自分の枕元に祖父が立っている夢を見て、起きたら・・・などという次第であればよくあるいい話系の怪談であるのだが、そのようでは全くなく、祖父は大声でのおしゃべりも、品のない爆笑も嫌いだったから、祖父といかなる意味でも関わりのない夢を見て、起きたら祖父危篤の連絡が入っている、という次第だったのだ。虫が知らせる、などというが全然知らせてくれなかった。

 ということで、昨日は会社を早引けして慌てて実家の方にある巨大病院に飛んで行ったのだが、いくつも管をつけられ、大きなベッドに横たわる祖父は、私の想像以上にやつれ、痩せていた。もちろんそれは今回の脳梗塞のせいではないわけだから、こんなに祖父は老いていたのだ、と改めて驚かされる気分だった。いつも明るい祖母の表情はどこまでも険しく、そんな祖母をみたことはこれまでになかったから、そこから事態の深刻さを読み取ることになった。

 祖父はとにかく生真面目な人で、80を超えても辞書を引き引き洋書を読んだり、好んで読むアガサ・クリスティーに関する研究書の部分部分を拾い上げて訳出した断片を大量にパソコンに貯めたりしていた。大学に入った私にドストエフスキーを強く薦めてくれたのも祖父である。ちゃらんぽらんな私は祖父の熱心さに観念して、腰を据えてドストエフスキーを読み始めるまでに、半年から一年くらいかかったが。勤勉な祖父は外的な動機付けが不在でも、毎日○ページ読む、などと決めて何年もかけて独り取り組み、一方でエンジニアとして働きながら、他方分厚い本を読破できる人だった。

 そういえば以前、東大闘争の直前に大学を卒業した祖父が、新入社員時代を過ごしていた折、ニュースを騒がせる学生運動に興味を持ち、何かに急かされるようにして『資本論』を読破した、という話を聞き、会社勤めをしているわけでもないのに、すでに2度3度と『資本論』をなげだした経験のあった当時の私は密かに恥じ入ったことがあったのを思い出す。もっともこうして書きながら、今同じ話を聞かされたら、「そういう時代だったのだろうね」で受け流していると思うが。1日8時間なりと働いて、くたくたに疲れて家に帰ってもなお、どうしても読まなければならないと思えるほどの価値を『資本論』という書物が持っているように思われた時代があったのである。隔世の感がある。

 ところで小熊英二の『1968』によれば、一応共産主義を思想的背景とする全共闘の中でも『資本論』をきちんと読んだ人はほとんどいなかったと出ていた。しかし、マルクスという名や「『資本論』っぽい論理」は当然飛び交っていたのだろう。読まなくったって、いくらでもそれっぽいことは言えるのである。そういう状況の中で、あえて分厚い『資本論』原典を紐解き、「毎日○ページ」などという風に決めてコツコツ読み進めて行ってしまう、そういう生真面目なタイプの人がつまりは私の祖父なのである。

 脱線してしまった話を戻す。今回の脳梗塞で祖父の右脳はすっかり機能しなくなっているらしい。しかし左脳が残っており、右手は動くし、右目はどうやら見えているようである。聞き取るのが難しいが、細心の注意を払えば、それなりに状況にそう言葉を口にしようとしているのがわかる。昨日私が名前を呼ぶと、こちらを見て、心なしか微笑んでくれたし、何かの言葉を口にしていた。また右手を握ると断続的に3度4度、ぎゅぎゅっと握り返してきた。そうしたリズムが、祖父が送る「それなりに意識ははっきりしている」というサインであると私は捉えている。

 ここ一週間ほど祖父は生死が危ぶまれる状況にあるという。祖父が何年も読んできて、血肉化してきたニーチェドストエフスキーは、生死の淵にある祖父の魂を導くだろう。彼らがどんな方向に導くことやら定かではないが、とにかく悪い方向ではないだろう。祖父から強く薦められて、二者の著作をそこそこ読んだ私は、そんな風に思う。ドストエフスキーの作品は、人間性に対する根底的な希望に満ちているし、ニーチェに関していえば、例えば、「人間に絶望した」というようなことを100回も200回も書くことは、それは逆に人間に期待をしているということではないか?

 とこんな文章を読んだら、元気だった頃の祖父なら、鼻で笑うのだろうが。とにかく祖父は基本的に、私の文章を鼻で笑う人なのだった。そのくせ祖父は本当によく私の書いたものを読んでくれた。回復したとして、もう祖父は文章を読めないだろうな・・・などと考えるのは大変に辛い。生と死の境における現在進行形の戦いも、またここで一命をとりとめたとして得られる、病院も医者も嫌いな祖父のそれからの余生も苦しいものだろうと思う。しかし『カラマーゾフの兄弟』にはこんなセリフがある。癪だがすぐに出てくる村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から孫引きすると

「ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい」

 祖父は「ぜんたいとしては」人生を祝福してくれることになるだろうと私は期待しつつ、この土日は病院に通いつめる。そうした期待でもなければ正直やっていられない。そうしてこのくだりも元気だったころの祖父にとっては無限に可笑しいことだろう。そういえば、私は親族の中で唯一、祖父に本気で馬鹿にされているのである。

 

豚とアルマジロの結合したような動物

 久々に夢を見たのだが、そのことについて書く。

 といっても短いもので、豚とアルマジロが結合したような動物をペットとしている夢を見た、というそれだけだ。ところどころアルマジロのような硬い皮に覆われているが、体の大部分はそうではなく、ヌメヌメとした粘液に覆われた豚のような、臙脂色をした皮膚の動物である。大きさは、豚よりやや小さい。中型犬と同じくらいだろうか。僕はそれをペットとしているようで、僕がかがみこんで、テーブルの下にいるその頭を撫でると、それは素早く僕の指を噛み、必死の形相で僕の手を自分自身の手足で固定すると、蹴り、引っ掻き、繰りかえし噛み直すのだが、どの一撃も決して血が出るほどには至らない絶妙な強さで、この動物はじゃれているのだとよくわかる…。

 目が覚め、ひっかかれ、かつ噛まれたその手の感触を思い出しながら、僕はその感触が、まだ元気だった頃の飼い猫によるものだったと思い当たった。彼は僕が大学4年生の頃に死んだのだが。歯が弱くなる前、彼は僕の手を噛むのが好きだった。甘噛み、というには強すぎるけれど、かといって血が出たりミミズ腫れになったりするほどではない。僕は時折はスズメを取ってきたり、猫同士の喧嘩で相手に致命傷を負わせたりするほど、本来は顎の力を持つ僕の猫が、そのように僕に対して、絶妙に手加減を加えることができることに驚いたものだった。

 手加減を加える、と言っても、見た目上はまるで本当に僕の手と喧嘩するように、彼はしていたのだ。親の仇のように食らいついてはなさず、二つの肉球を用い、思いがけない強さで僕の手を固定すると、二つの足で繰り返し押し出すように蹴り、かつ噛む。がっつりと四つに組んでいるので、僕が腕をあげようとすると、僕の猫はそのままくっついて宙に浮かばんばかりなのだった。

 そうした猫の所作をすっかり忘れていた、というつもりはない。このように今でも、思い出そうと思えば鮮明に思い出せる。それも体に残る感触として。しかし昨日の夜に至るまでの何ヶ月も、ひょっとして一年以上、僕はそのことをすっかり忘れていたのだ。それを不意に、しかも身体的な感覚として思い出させられたこと。そのことはとても不思議なことであるように思われる。身体の記憶にトリガーはあるのだろうか。僕は一体何の条件を満たして、このタイミングでふと、僕の猫が僕の手に繰り出した攻撃の数々を想起したのだろうか、と思う。

 積み重なる日常の仕事に埋没している状態と、自分自身の記憶の海にふと入り込むこととは全く異なる。前者はひたすらに緻密に物事を動かすことで、現実世界の時間との格闘だが、後者は内に内にと入り込み、現実世界の時間とは別の時間性を体得することだ。大部分の文学は主に後者の領域に取り組むもので、このブログのオチとして優れているかは別として、ふと文学を読みたくなった。それも最近の。

職場で新人としてあること 引き継がれてないことで怒られることについて

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 この秋で入職一年半を迎える。教育現場であるため、他の職場とは環境が全く異なることは重々承知しつつ、それでも「新人」もしくは「新入社員」として過ごしたこの期間に、おそらくどの職場の「新人」でもぶちあたるであろうことや、そこで考えたことをまとめたい。

 

引き継がれていないことで怒られる。

 仕事というのは基本的にどのように小さいものであっても、複数のステップからなるため、一つ一つの業務につき一から十まですべてを引き継ぐことは到底無理である。第一にそれほどに引き継ぎに時間はかけられないし、第二に仕事をやりながら教える方がはるかに効率がよい。だからまず口頭で教えられることを伝えきると、「とりあえずやってみて」ということになる。

 それでやってみるのだが、すべてを引き継ぎきっていないので、当然その仕事には長年その職場にいる人にとっては「あやまち」「ぬけ」と思われるような瑕疵がある。これは、どんなに細かくて簡単そうに見える仕事にも、確実にあるのである。

 いま「瑕疵」と書いたけれども、これは長年やっている人には「瑕疵」だが、初めてあるいは数度目の人にとっては「瑕疵」とは認識できないものである。したがってここに仕事を教える方と教えられる方との間のギャップが生まれる。すなわち、完成した仕事に関し、それを新人に頼んだ先輩の側は「不完全な仕事が上がってきた」と捉え、新人の方は「言われた通りにやったので完璧」と捉える。

 このギャップの状態をどう埋めるかということが、先輩の側の腕の見せ所であるわけだ。「私の伝え方が悪かったのですが」「そういえば言ってなかったんだけど」とこの状況に自分の伝達の問題を見出せる先輩は立派である。「え、これやってないの?ありえない!」「常識的に考えてここはこうするでしょう!」「気が利かない」とか言って伝えていないことができないことを、新人の「常識の欠如」「周囲への気配りの欠如」に帰責しようとする先輩は最悪である。

 こうした先輩の「常識」「気配り」とはよくてその職場内だけに通用する常識、悪ければその人の中だけの常識=マイルールにすぎない。こういう先輩の話を真に受けると業務をするたびに自分を責め、自己否定するようになっていくので要注意である。しかし、ここまでわかりやすいと逆に、周囲も陰に陽に新人の味方に付いてくれる。

 面倒であるのはその中間にあるような冷笑系、嘲笑系の人であろう。つまり新人がした仕事につき、「あぁ、やっぱりわからないか、ごめんね。でもさちょっと考えれば、どう?こっちの方がみんな便利だと思わない?そういうことを考えられるようにならないと」というような言い方で、一見事態を自己の伝達の不完全性に帰責しているように見えて、その実その職場固有の論理(これも悪くするとその人の中のマイルールの可能性あり)に不慣れな新人を責める、というやり方をする先輩である。こういう人はしばしば、半笑いしながら言ってくるわけで、新人としては大変嫌な気分になる。一体何が正解なのかわからないが、侮蔑されているような印象ばかり尾をひく。

 要するにその職場が期待する仕事の水準を、新人の矜持を損なわずに伝達することは難しいということだ。なぜならどのような職場にも独特のカルチャーがあり、それを逐一全て挙げて説明することは、できたとしても膨大な時間がかかって効率が悪いからである。習うより慣れろの方が効率的なのだ。

 しかし「習うより慣れろ」式というのは、つまりは「失敗から学べ」式ということである。だから当然、職場の一人一人に新人の失敗を受け入れる体制が整っていなければならない。そこで重要なのは、そもそも職場の人々が最終的に「失敗」と判断することの9割は新人にとっては「失敗」ではなく「言われた通りに完璧にやったこと」であるという事実である。このギャップを埋めるには、どれだけ緻密に行おうと基本的には引き継ぎは不完全に止まるということを、まずは新人を受け入れる側がよく認識する必要がある。

 新人は職場の内部では弱い。基本的に孤立無援で、その職場ですでに色々な人から頼られている先輩が「新人のせいだ」と言えばまずは職場の多くの人が、新人を疑うであろう。何かの失敗が周囲にまで影響を及ぼす状況で、教育係が悪いのか新人が悪いのかグレーなケース(大抵はどっちも悪い)でも、新人の「気配りが足りない」「常識がない」などと抽象的な言い方をすれば責任転嫁は容易である。なぜこうした事態になるのかと言えば、誰も皆、問題が起きた時、その責任を負いたくないからだ。だからこうした事態を未然に防ぐには、究極的には、失敗に寛容な組織を作るしかない。

 

 しかし、組織の中で「新人」をやることの大変さ。書きながら、改めてそれを思う。別に日本の職場だから大変、と言うつもりはない。外資外資で大変だろう。職場独自のルールは、どのような職場にもあるだろうから。ただ、社員の平均勤続年数が長ければ長いほど、職場独自のルールは固定化する傾向にあるだろうし、その意味で一つの職場に長く務める人の多い日本の職場は大変かもしれない。

 何にせよ、「新人」という役回りはあまり何度も繰り返す気にはなれないものであることは確かだ。

 

 

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こちらもどうぞ。あんまり青臭いのだが、新入社員として普通に思うことを普通に書きました。

summery.hatenablog.com 

summery.hatenablog.com

 働き始めるころの不安についてはこちらをどうぞ

summery.hatenablog.com

 

 

 

 

雑感

 韓国でなんとか暮らしている。「なんとか」とか書いたが、実際は全然「なんとか」ではなく「超快適」が正しい。割と高いホテルを取ったので、スペースは十分、机で何冊か本を広げて作業ができる。夕食は基本コンビニ弁当だが、美味しい。

 感覚的に言えば、物価は「東京とほぼ一緒」。だがあえて細かい点を挙げるとすれば、相違点は以下の通り。

・公共交通機関は、韓国の方が安い。電車は40分以上乗っても2000ウォン=200円を超えない程度。バスも大体似たようなもの。

・カフェは、韓国の方が高い。スタバのドリップコーヒートールが410円。日本だと場所にもよるがどこでも350円は切っていたよねえ。

・甘いものは、韓国の方が若干高めな気がする。例えば100円くらいでチョコビスケットの袋とか買おうとすると、見つからない。甘いスナックは大抵150円以上

・コンビニ弁当は、韓国の方が安い。一番高いもので450円くらい(日本だと400円が最低ラインで600円くらいのもある印象)一方おにぎりは韓国の方が少し高い。一番安いものが130円くらい。ま、でもおにぎりは大して変わらないかな。

・外食費はほぼイコールと考えていいと思う。個人商店は韓国の方がほんの少し安い気がする(600円〜)が、その分牛丼屋とかがあまりないので、「お昼は500円で済ませたい!」と思っても店が見つからない感じ。イートインがついているコンビニが多いので、500円以下で済ませたい人はコンビニで買ってその場で食べているのだろう。

 

 今日は突然公立中学校の日本語スピーチコンテスト審査員を拝命し(本当に突然)、地図だけ渡され一人で行ってきた。韓国語がほぼ一言も話せない状態で、現地の公立中学校にたった一人乗り込むことになるとはよもや想定していなかったが、「Summeryさん落ち着いているので大丈夫」と言われ、まあそれはともかく特に問題なかった。

 今日行ったのは、日本で言えば港区的な高級住宅街の一角にある公立中学で、だからかもしれないが、礼儀正しく、真面目な生徒が多い印象。先生方も心なしかファッショナブルであった。昨日は英語スピーチコンテストが行われたとのこと。明日は中国語スピーチコンテストが行われるらしい。

 学校自体は普通の公立中学、という感じ。日本と大して変わらなかった。職員室が複数あり、日本の職員室のように一つの部屋に教員が全員押し込められていない。最初行って時間が来るまで待機していた際に何人もの生徒が職員室に割と気軽に入ってきては出て行った。良し悪しだろうが、教員と生徒の距離が近いのは私はいいことだなと思う。

 

 明日は学校三つをめぐる予定。 

 

 

出国、離人

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 今日から海外出張で、今羽田空港国際線の搭乗ゲート前で書いている。随所に大きめのテレビモニターのようなものが立ち、日本の製品、美容品、食品や地方文化の紹介などをしており、モニター音から解放された静かな場所がなかなか見つけられない。紹介は全て日本語でなされるのだが、出国する日本人たち向けなのだろうか。

 大学二年生のころ、トランジットで4時間ほど滞在したヘルシンキ空港は、本当に居心地のよい場所だった。特別なおもてなしがあるわけではなく、また、興趣を引く様々な物品があったわけではない。だだっ広い場所に、ほぼ椅子以外何もなかった。壁や床、椅子などの色はそれぞれに落ち着いていて、全体のバランスもよかった。空港は大概そうだと思うけど、ヘルシンキでも、発着陸する飛行機を見渡す窓は壁一面に広がり、果てしなく大きかった。ほとんど、外とつながっているようなのである。ここでならものを考えられる、と素直に思えたのだ。

 ポツンとあったカフェで飲んだコーヒーは、マクドナルドのような簡素なカップに入れられ、味もそれほど良くはなかったが、5ユーロくらいした。ユーロを使った初めての経験だった。

 

 安い航空券しか買わないから、海外に行くときは毎回のように朝が早い。始発で間に合いそうにないので父に車をだしてもらうこともしばしばだ。

 今回は電車だが、5時台に起きなければならなかった。前日22時には寝たので、5時には自然に起きられると思ったが、念のためにセットしておいた目覚ましで叩き起こされた。そのとき私は、ハリー・ポッターとして生きながら、しかし競馬場の職員をしていた。競馬場の職員なんて、ハリーとはかけ離れていそうなのに、夢の中の私は、確固として自分をハリーとアイデンティファイしていた。疑うことすらなかった。目覚ましで起こされ、自然に起きられないほど深い眠りに、明け方入り込んでいたことに驚きながら、せっかく面白そうな夢だったのに、と悔しくなった。

 三週間、海外にいる。やれやれ面倒だと思うが、面倒なことをしないと、新奇な体験をできないことも事実である。海外に行って、後悔したことはあまりない(コストに見合わないな、と思ったことはある。って、これが後悔か・・・)。今回も漠然と期待している。

 

 

 

「お勉強」と仕事の間

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学校からの帰り道

学校の先生になった理由?

 以前「学校の先生という選択肢を捨てた理由」という題の記事を書いた。

 

summery.hatenablog.com

 

summery.hatenablog.com 

 その手前恐縮なのだが、私は現在都内で高校の教員をしている。国語科である。現代文専門だ。

 なぜそんなことになったのだろう。はっきりと教師になろうという選択は、最後までしなかった。しかし、なぜか、流れ着いたのである。もちろん、内定をもらってそれを受諾する、ということはしたのだから、選択はしたということになる。けれどもそれはその時の状況がそうさせたという感が強く、はっきりと、何年も教員という職業を背負ってやっていくことになるのを意識しながら、数ある選択肢を捨て去り、教員を選んだのではない。だから、いまだにどうして先生になったのだろうと思う時がある。

 しかし、なんだかんだ教員という選択肢からつかず離れずに長い期間を過ごしてきたことは事実だ。だから長い目で見れば、曖昧なまま少しずつ、私はそちらの方向を選択していたのかもしれない。それは、他の全てを一瞬のうちに断ち切るような意味での「決断」ではなく、なんとなくそっちの方に接近していき、長い時間かけて境界線を少しずつ超えていくような、そういうゆっくりと深まりゆくような、選択だったのだろう。

 

「お勉強」という消費

 それでもやはり、なぜを問わないわけにはいかない。なぜ私は教員を選んだのだろう。そんなことを少し考えた。それで出た結論は、「「お勉強」するのが好きであるから」というものだ。「お勉強」という風に、小馬鹿にしたように表現するのは、私の中に、学問を消費している、という実感があるからだ。

 どういうことか。

 「お勉強」という言葉で私が示しているのは、最先端の学問的知見をわかりやすく噛み砕いてくれた新書や軽めのハードカバー、参考書、そして特に気になるテーマに関する論文を読むことを示している。その読書を通して知らないことを知ることができるし、物の見方は広がる。何か複雑なものを理解することにより知的満足感も得られる。「お勉強」は端的に言えば楽しいものである。

 「お勉強」が「楽しい」ものであるための重要な条件となっているのが、「勉強という行為の意味について考える必要がない」ということだと思う。もちろん「お勉強」と考えることは不可分だ。しかし、考える作業であれば楽しいというわけではない。例えば、クイズやゲームなどに時間を費やすことは私はあまりしない。一定時間以上やると、むなしさが募ってくるからだ。なぜそれに時間を費やしているのかわからず、時間と知的体力を浪費している気持ちになってくる。

 しかし、「お勉強」は違う。お勉強する内容は、大抵いつかの時代にどこかで誰か天才的な頭脳の持ち主が、熟考の末に導きだした知見の上澄みだ。そして今日にいたるまでの長い時間の中で様々な分野にその思考様式等は応用されている。それを勉強する意味付けについても、既に膨大な蓄積がある。

 いきなり極端に大きな話になるが、私たちが生きている意味は根本的にはない。何をしてどのように生きようが、価値の差などない。だからこそ逆に、時間をどのようにすごせばよいのか、よくわからなくなることがある。しかし「お勉強」は、その行為をする意味を、十分に供給してくれる。それをしている限りにおいて、私はあまり考える必要がないのだ。つまり、楽なのである。

 楽で楽しいから、私は「お勉強」をする。もちろん都度、何か目的意識を持って勉強をしている。授業の準備のためであるとか、生徒の自由学習の手助けにするためであるとか。しかし根本的には楽で楽しいからするのである。そうした行為の動機ということだけ考えれば勉強をする動機は、テレビを観たい人がテレビを観る動機と変わらない。楽でありたい、楽しくありたい、という風な欲望を出発点としており、どちらもいわば「消費」なのだ。

 私は「お勉強」を、学問的知見の「消費」という意味で使っている。上のような意味で、私は学問の消費者の一人である。

 

「お勉強」は誰のため?

 さて、話しを戻そう。私は「お勉強」が好きなので、教員になった。

 教員には、私のような「お勉強好き」が一定数居る。常に勉強をし、そこで得た知見を授業において生かす。わかりやすい解説本を大量に読み込んでいることもあり、教科の内容を噛み砕いて解説する方法を私のような教員は心得ていて、一定程度の支持を得られる。

 しかし、問題はここからである。

 「お勉強」好きな教員の基本的な姿勢は消費であり、知識欲という自分の欲望を満たすことだ。自分の勉強にはならないが純粋に生徒のためになることを、私は正直、大してしたくない。その最たるものが、事務作業や部活動顧問である。しかしここで私が「大してしたくない」と言っているのは、こうした明らかに授業と区別される活動だけではない。昨今教員のブラックな勤務実態が明らかになる中で、「事務嫌だ」「部活やりたくないです」は言いやすくなっている。だからといってやらなくて済むことは稀だが、やりたくないことを表明できる環境と、それを言うことすら憚られる環境とは大きく差がある。

 私が嫌なのは、丁寧でわかりやすいプリントを作ったり、毎日こまめに宿題を出して、それをチェックしたりということだ。私の勤めている高校はそれなりに受験指導に熱心である。朝学習、放課後学習、夏期講習などがあり、頻繁に小テストや課題提出がある。

 これらが正直今、面倒でたまらない気がしている。なぜならそれらは純然たるルーチンワークだからだ。いわばそれらは計算ドリルのようなものだ。そりゃあ毎回きちんと先生がチェックしてあげたほうが、上達はするだろうが、そんなことをしていたら私の「お勉強」の時間がなくなってしまう。

 彼らができるようになるのは嬉しい。彼らの成長に貢献できているという実感は嬉しい。もちろん、そうした喜びを、私は十人並みに感じる。しかし一方、テストの採点なんて、別に私でなくともできる、と思うのだ。

 生徒の学力的な向上や、健全な発達を支援するのが教師の役割だとすれば、こまめに宿題を出したり、体験学習等の企画運営に時間を使うほうが、半分消費のような「お勉強」をするよりも目的に適っているはずである。しかし私は、それをすることを、本当に面倒に感じる。

 「お勉強」が授業に還元されればよい。私の「お勉強」が回りまわって生徒のためになればよい。それが一番幸福な形だ。そうしているし、そう出来ているつもりでいる。毎週のように休日図書館に行き、借りてくる膨大な教育本や、ブックオフでふと購入する参考書の類。それらから得た知識を私は授業を通じて還元している気でいる。しかし、改めて、教師の「お勉強」は果たしてどれだけ授業に還元されるのか、私は疑問を抱いている。それを生かすことができるためには、相当に大きな裁量を与えられていなければならない。厳密に授業計画を立てることを求められ、毎時間生徒が身に付けなければいけないことが決まっているような学校(大半はそうだろう)であれば、「お勉強」が効果を発揮する場面は多くないのではないか。究極、学校によるとしかいえないのだが、ほとんどの学校では、教師が「お勉強」を通して授業の質を向上させようとするよりもドリルのチェックなど生徒のお世話に労力を費やしたほうが、学力は向上し顧客(生徒)満足度という意味での「教育の質」は上がる気がする。もちろん、「教育の質」ってなんだよ問題は、あるのだが。

 

「お勉強」ができる職業

 「お勉強」を業務時間外にやるのだったら立派なものだが、見る限りお勉強好きな教員は、「お勉強」を業務の時間内にやる。これは当然かもしれない。教師の業務の性質上、「お勉強」は授業準備と切り離せないところがあるからだ。それを切り離し、「お勉強」はするな。授業準備や校務分掌だけしろ、と言われたら窮屈すぎる。私はそんな職場は辞めるだろう。その効果は正直曖昧なのだが、教師は「お勉強」を仕事としてできる。

 だから私は、「お勉強」好きな人に、教師はうってつけだと思う。実は、下手にいろいろ「お勉強」するより、指導書(馬鹿にしていたが、改めて読むと大変良く出来ている)に首ったけになるほうが、結果的にはいい授業ができる可能性は多々ある。けれども、だからといって教師の「お勉強」が表立ってとがめられる、などということはないのである。

 大学で詳細なシラバスが求められる昨今では、厳密な時間管理や、数値で表すことのできる成果が求められ、教育現場でも「お勉強」をするのに窮屈に感じることがある。国語科は、身に付けるべき能力が教科書掲載のテクストと不可分なものではなく(=教科書に載る文章自体を暗記したり、その文章の思考法を身に付けなければならないというわけではない)、目的が読む方途や書く方途を学ぶ科目であるため、他の科目に比べて教材選択の自由は確保しやすい。つまり「お勉強」が生かしやすい。しかし他の教科に関して言えば、少なくとも卒業までに全範囲を終わらせ、基本的な問題が全員解けるという状態を目指すのであれば、そうはいかないだろう。他教科の同僚らは、国語科の私がやっているよりもはるかに小テストの作成や採点、入試対策の教材作成に時間を取られている。彼らにとって、指導とはほぼ、大学受験のための指導に等しい。彼らは否定するだろうが。

 しかしそれでもやはり、「お勉強」が曲がりなりにも許され、それを仕事の一部としてみなしてもらえる職業の筆頭は教員なのである。それが本当に生徒のためになるのかは別として。

 誰のために働いているのかを、ここでは明確にしなければいけない。自分を中心に考えるのであれば、お勉強をしてよいというのは大変なメリットだ。けれども人のためになること、人を喜ばせてお金を得るのが仕事なのだとしたら、お勉強ばかりする教員はよい教員ではないということになる。彼は、話は面白いかもしれない。そして、面白い話が好きな生徒のためにはなるかもしれない。しかし根本的に、自分の勉強が第一で、あわよくばそれを授業に生かそう、くらいにしか思って居なかったりする。

 

なんのための教員?

 どれだけ他者に裨益するような仕事をするべきか。どれだけ自分のことを優先してよいか、私はわからないでいる。もちろん、そんなことに解はないのだ。それは周囲との関係性によってきまってくるもので、社会人はみな一律、顧客第一にしなければならない、という決まりなどない。というか、「顧客第一」という言葉や姿勢に潜む欺瞞というのも、結構怖いものだ。だからといって、自分のことばかり考えることが免責されるわけではないけれど。

 教育は一筋縄ではいかない。授業の目的の一つに生徒の学力向上は数えられるかもしれないが(学力って何?問題も置いておく)、教育全体の目標が学力向上というわけではない。私は幸い、生徒指導は好きなので、そこに多くの時間を使ってもあまり苦痛は感じない。それに時間を費やしたからといって、「お勉強」の時間が無駄になったなとは思わない。授業だって、受験のためのことを教え込まなくてよいのなら、きっと今よりも好きになれるだろう。自分の考えを素直に伝えたり伝えられたりすることができる場に、授業がなれば。けれどもそれは、一人よがりになりかねないのであるが。それならば、受験のための勉強を教えているほうが、まだためになる、と考える自分もいる。私は受験勉強を否定しているわけではない。それは本当に様々な面で役に立つ貴重な技術だ。小っ恥ずかしいが、この社会において「生きる力」の重要な構成要素として事実あると思う。でも、それを繰り返し教え込むことには、あまり前向きになれないでいる。

   どんな目的で、何のことを考え、誰の方を見て仕事すればよいか、よくわからなくなってきている。そして、それにある程度答えをだすためには、自分の核としてある「お勉強」を仕事にどう生かすか、というところが深く関係してある気がする。

 もう少し考えていきたいなと思う。