SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

スカイ・クロラの同人小説の断片

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 週休二日制の労働者をしていて不思議なのは水曜日と木曜日の境である。水曜日までは「まだ水曜日か」と思っていて木曜日になると途端に「もう木曜日なのか」と思うようになる。本当に、不思議。

 

 以前戯れにスカイ・クロラの同人のようなものを書こうとしてすぐにやめたのだったがその断片の続きは金輪際書かないだろうし、また、どこかに発表することもないだろうと思われるので、二回に分けて公開する。

 

===

 

 

 この基地に移ってからずっとこの部屋を一人で使っているわけではなかった。上の段に寝ていたのは丹野だった。今となってはあまり思い出せない。僕のようなやつが一体どうして、誰かと一つの部屋で生活できたのか。

 丹野は大テーブルのあるラウンジでは洒脱なやつだった。けれど、部屋に戻ると彼は無口になった。僕に合わせてくれていたのだろうか?それはあっただろう。ただ、僕はそれだけではないものを感じていた。僕に合わせて、同居人と下手にべたべたしようとしなくていいことに、丹野は安堵しているようだった。

 僕が求めれば、彼は自分から、僕と冗談を飛ばしあうようなことをしてくれたのだろう。あたかも自分がそういうことを好む、とでもいうように。けれど、それが丹野の本性ではなかったろう。

 大テーブルのラウンジで、数人のパイロット仲間と騒いでいるとき、僕は丹野の無理を感じていた。純粋に尊敬もしていた。そうやって周囲の人を楽しませようとする彼のサービス精神に。僕にはないものだ。

 

 北方地域の視察で、僕たちが敵戦を経験したのは去年の10月頃だった。このあたりではもう冬の折だ。管轄地域外にも係らず、急遽視察に駆り出されたのはそのエリアの大規模合同演習が本部で行われており、本来の人員がごっそりいなくなっていたからだ。要は留守番のようなものだった。

 巨大な川にそってゆっくりと飛ぶことを2日繰り返した。沖積平野となっている一帯は空から黄緑と黄土色が混じる絵の具のパレットのように見える。僕と丹野は何か変わったものが見えた時や、引き返す時など、業務上の連絡以外に交信をすることはなかった。つまらないとまではいかないが、退屈だった。何時間もドライブをするようなものだ。

 2日目の夕暮れが近づいて、昨日とは別の支流を辿り、大きな渓谷の上を飛んでいる時だった。

「10時方向、二機いる」

 その通信を聞いた時、僕は機体を逆さまにして頭上に渓谷を見ていた。水しぶきに視界をふさがれながらも、その底を見通そうと繰り返し試みていたのだった。慌てて機体を起こし、遠くを見やる。雲間から黒い粒のようなものが二つ近づいてきているのが見える。この距離では、逃げられるかどうか微妙なところ。教科書通りでいけば、戦うことになる。

「戻る?」

「難しいんじゃない」

 この会話を合図に、僕は丹野から離れ、高度を下げる。

 相手側は二機とも同じ高度を保ったまま両手を広げるように横に広がった。

 速力を上げ、左側のやつに近づく。

 相手が高度を下げてくる。

 と、機体を縦にして僕の動線から勢い良く離脱していった。

 こちらもそれを追いながら、シートに締め付けられ、回らなくなる首を必死に動かし、もう一機を確認する。

 丹野との間の戦闘態勢に入っている。こちらまではこなさそうだ。

 何発か打ち込むが、左右に翼を揺らして、うまく回避される。

 しかし、機体の速度はこちらの方が上の様子で、徐々に距離が縮まっていった。

 時間の問題だろう。

 空には障害物がない。逃げ込める場所はないのだ。

 相手との距離が十分に縮まるのを待ち、汗で滑る指でボタンを押す。

 左の翼に弾が直撃すると、スピードはすぐには緩まないが敵機は少しずつ左に傾いていく。

 終わりだ。ゲームセット。

 すぐに丹野の方を見やると、丹野の機体は両翼からもくもくと黒煙を吐き、僕が撃った敵機よりも早いスピードで雲に吸い込まれていくところだった。

「丹野?」

 呼びかけても返答はない。あるわけがないし、あっても、助からない。

 そう思った僕は、踵を返すもう一機を追い始める。

 けれどみるみるうちに高度を下げていくのを見て、危ないかもしれない、と不安になる。

 敵のエリアまではきていないが、このあたりは境目だ。高度が低いまま誘導されれば、対空砲を当てられる可能性がある。

 僕は追うのをやめた。

 ぐんぐん遠ざかる敵機が、黒い粒になり、消えていく。しかしまだ油断はできない。

 少しの間だけ振り返り、丹野の機体が出した黒い煙を見やる。

 そろそろ地上に着く頃だ。

 熱いだろうな。

 あるいは、機体が損傷して底抜けに寒いかもしれない。

 攻撃を受けると、機体は突然鉄の塊としての自分の重みに気づくようだ。

 そうだった。僕は重かった。本当はこんな高いところで浮かんでびゅんびゅん飛ぶような、そういうものではなかった…。

 丹野もそう気づいたに違いない。

 

 泥のように眠って、起きるともう午後5時だった。こういう寝方をすると、相当疲れないと普段通りに眠れない。

 部屋を出ることにし、まだ重い体を無理やり動かすようにして服を着る。こんなに体が重いのならそのまま寝続けてしまおうかと思うが、もう一度ベッドに潜ってもおそらく眠れないのである。

 酒を飲んでいる数人がたむろしているのを横目にしながら、ラウンジを足早に通りぬける。こういう時に必要以上に臆病になってしまうのが、僕の悪い癖だ。

 …いや、悪い癖というより、そういう風にこそこそとするのが、僕の本性なのかもしれない。 

 中庭のベンチには光田が座っていて、「よお」と左手をあげるのだが、僕はなんだかかったるく、こちらも手を上げると用事でもあるかのように通り過ぎてしまおうとした。

「そうだ」

 光田が僕のことを呼び止める。

「何?」

「何か用事?」

「いや、ない。」何か適当にひねりだせばいいのに、正面から問われると面食らって、正直に言ってしまう。「ぶらぶらしようと思って」

「ちょっと座らない?」

「なんで?」

 光田は何も言わなかった。

「今日はどうだった」

 うんざりした。僕はこういう無駄な世間話が嫌いなのだ。

「どうって、何が?」

「落としたって聞いたけど。二機」

「うん。」

 僕が切口上を繰り返したので、光田はこの話が無意味だと思ったようだった。

「来週代わりがくるらしい」

「誰の?」

「誰だと思う?」

 丹野のだ。もう半年空席だった。そこしかあり得ない。けれど、僕は鈍感なふりをする。

「誰だろう。」

「丹野だよ。」

「ああ」

 光田は僕の反応を伺っているようだった。

「何歳くらいの?」

「年はもう関係ないだろ。俺ら。」

 そうなのだろうか。僕は思う。確かにもう年を経たところで体に変化が起こることはない。けれど、それは意味がないということとは違う気がする。

「じゃあ、何年目?」

「新米みたいだけど。」

 僕は少し驚く。純粋な新米は初めてなのだ。

 もちろんこれだけ人が入れ替わる場所だ。けれど、僕がこれまで会って来たのは一番経験が浅いやつで一年と半年だった。

「飲む?」

 光田がビールを差し出す。

「ありがとう。今日はいい。」

 言って僕は、会話をどう納めようか思案する。ありがとう、とか言って、後悔する。こういう風な場面で感謝すると、なんだか借りを作ったような、隙を与えたような気分になるのだ。

 数秒お互いに黙って、僕の中ではむやみに緊張が増した。そこで光田はいう。

「そっくりだよ、多分」

 その口調が嫌で、僕は抗議するように光田を見る。案の定、彼の目が笑っている。微かだけど。

 僕はそれですっかり不快になって、「だから?」とだけいうと光田の顔を凝視した。

「別に何も。」光田は両手を上げて手のひらを見せる。

 そしてやれやれ、という感じに首をふった。

 内心少し申し訳ないと思った。光田に悪気があるわけじゃない、少し僕を会話に引き込もうとしただけだ。そう考えながら、僕はそのように自分を説得しにかかるくらい、不快感が高まっていることを感じる。これ以上ここにいると、お互いのためにならない、と思い、僕はさっさとその場から離脱した。

 …そっくりだからなんだというのだろう?

 轟音がして向こうの方を見やると、二機戻ってくる。全く同じタイプの機体。当たり前だ。量産型なのだ。

 確かにそっくりだろう。だって、そういうことになっているから。

 みんな同じようなやつだ。

 光田だってそうだ。

 前の基地にいた滝原。中規模演習中に僕から30メートルも離れていないところで打たれて、空の底に沈んでいった。その滝原にそっくりだ。

 もちろん細部は違う。滝原は青い目で、光田は茶色だ。けれど、根本的には同じだ。僕にはわかる。

 光田と滝原はほぼ同じだ。そして、滝原の前もいただろう。

 正直、僕はもう何年戦闘機パイロットをやっているのか、覚えていないのだ。

 二つ前の基地までは思い出せる。そして、三つ以上前があったことも確実だ。しかし、正確にいくつとなると思い出せない。

 おそらく、僕の嫌いな事務室に行けば、そんなものはいくらでも保存されているに違いない。馬鹿でかいドキュメントファイルに信じられないほどの厚みで、僕に関する記録があるのだ。

 しかしそれは僕に対して公開されることがない。もしくは公開されうるとしても、いくつかの複雑な手続きが必要になる。

 毎日空を飛ぶ日と飛ばない日の繰り返し。飛ばない日は地上でぼんやりとして何もやる気が起きない僕。そんな僕に、長いスパンの時間がかかる複雑な手続きをいくつも行うことはできない。

 いいのだ。正直、過去も未来も僕にはあまり関係ない。

 現在に関しても、それほど身に迫るものとして感じられない。

 面倒なことを避け、ほどほどに期待通りの受け答えをし、べたべたとして醜悪なものを見ないようにする。僕にはどうしようもないものが多いから、そういうものに極力触らないようにするのだ。

 もう何年も、僕は本気で怒ったり笑ったりということがない気がする。

 いつでもあらゆるものから手が離せるようにと、そうして生きているのだ。

 

向こうから草薙が近づいてくるのが見える。

僕はタバコを取り出して吸い始めた。

「ちょうだい」

黙って一本差し出す。

「ありがと。」

マッチを擦って一息すると、草薙はこちらの方を向いた。

「コーヒー飲む?」

「まあ。」

夕焼けに照らされながら、偵察機が二機帰って来た。

 

さっきのは、街に出るという意味だったのか。

頭がぼんやりとしていて、うまく運転に集中できない。

助手席で草薙は携帯を開いて少し何事か打ち込んでは、閉じることを繰り返していた。

「エリア長?」

「あのクソババァ」

「そんなに悪い人には見えないけど」

 草薙は僕を睨むと、何か小さな声で口走ったが、風がビュンビュンとあんまりうるさくて、聞こえなかった。

 草薙が大変な立場にいることは、僕にもわかっていた。基地全体の戦略策定、演習の準備、それに僕たちの世話。

 もちろん、僕は世話されているつもりはない。自分のことは自分でやれる。迷惑をかけているつもりもない。けれど隊員同士の軋轢の話は、聞かなくもない。

 面倒臭くて僕は関わらないし、草薙もそういうのは嫌いなはずだ。だけど今、草薙はそういうのに気を配らなければならない。

「またあそこで飲むの?」

「いや?」

「いやじゃないけど。」

「そう。」

 日が沈む。前方11時方向に、昼ごろ飛び立っていった土岐野の飛行機が見える。

 あーあ、見つかるな、と僕は思う。別になにもまずいことはないはずだ。しかし、隊長と平の隊員が二人で出かけるということはあまりないのだ。だから、そういう意味では、やはりまずいのかもしれない。

 まずいというか、あとで色々聞かれて面倒かもしれない。

 けれど草薙はそんなことは気にしない、と言わんばかりに手をかざし、飛行機の方を見た。夕日にその肌が照って、目元が怪しげな暗さを帯びているのが一層明らかだ。

「あんまり寝てない?」

 聞こえなかったのか、無視しているのかわからないが、草薙はそれには答えずに、「ここ左」とだけ言った。

「街はまっすぐだよ」

「いいから、左。」

 僕には左の方に何もないように見えた。

 起伏のある草原。

 風が強い。

 一応、道らしき道はある。

 ゆっくりと僕は左に曲がった。

「今度研修を受ける。」

 草薙は言った。

「何の?」

「もう少し上にいくための。」

 「すごいね」と言いかけて、僕はやめた。草薙は本当にそういうことを面倒がってそうだったからだ。けれど、草薙がそれほど面倒なことをなぜ続けるのか、僕にはいまだにわからなかった。

 少し進むと、丘が少なくなって来て、視界がひらけた。相変わらず草原だったが、ひときわ草深くなっているところに道が続いていて、小さな家屋が見えて来た。ヨーロッパの冬寒くなる地域によくありそうな、頑丈な家だ。ただし、「屋敷」とまでいうと大げさで、サイズとしてはそこまで大きくない。四人住んだら窮屈、と言ったくらいだろう。

 それがくっきりと見えるころには、日もほとんど暮れて、僕たちは青黒い光に包まれていた。

 虫の声がいたるところでする。

 今頃土岐野は基地に戻って、大テーブルのラウンジでみんなに、僕と草薙を見たと伝えてるだろう。

 でも、それがそのあとどのような話に繋がるのだろう?

 僕にはよくわからなかった。本当はよくわかっているような気もするが、考えるのが面倒で、わからないことにしたのだ。

 車を止めると、草薙は扉をあけてスタスタと玄関に向かい歩いていく。僕には目もくれないような無下な身振りだ。けれど、僕にとっては車を止めるまで待ち続けられるよりも正直楽だ。

 しかし、ここはどこなのだろう。

 もう何年も使われていないような郵便受けの根元にしゃがみ込んだ草薙は、そこに隠していた鍵を取り出した。そしてそれを僕に投げ渡す

「開けて」

 草薙の方は、家の外観を写真に収め始めた。

 玄関先には数株のグラジオラスが咲いている。住んでもう少し丁寧に手入れすれば、全体として気持ちの良い家になりそうだ。そう思いながら、鍵を差し込みはしたものの、うまく回らない。

 僕の部屋と同じだ。

 強く回しても、弱く回してもうまくいかない。

 宥めすかすように、少しずつ加減を調節し歯が噛むのを待つ。

 なんだかこんなことばっかりやっているような気がしてくる。

エヴァンゲリオンの中の愚かな人間たち

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 お正月にPrime Videoにエヴァ序・破が入り、何事にも基本的に集中できない飽食と惰眠の二、三日、なんとなく改めて観たのだった。実に五年ぶりくらいだった。というのもQは気になって何度か折に触れて観てはいるものの、序と破はQの前座のような気がして、ストーリー的にも序などイントロダクションのような感もあり、観返すほどではないと思っていた。

 そのような感想は特に変わらなかったが、働き始めた自分自身の経験からの捉え返しもあり、今回得た印象は、エヴァンゲリオンというのはネルフという組織を描いた話だということだ。そんなの当たり前だろ、と思うかもしれないが、私が言っているのは、そこに日本的組織が抱える問題点と葛藤が描かれている、ということだ。以下ざざっと駄文を書きなぐる。

 

シンジくんはむしろ普通の若者

 シンジくんはよく見ると別に弱い子でもみっともない子でもなく、私が同じ立場でもエヴァには乗りたくないし、お父さんに反抗しつつもその愛を求めてしまったりするのだろうと思う。そんなちょっと内向的な普通の若者であるシンジくんがみっともなく弱い子だと思えるとしたら、それはネルフという組織に内在するおじさんたちの、「自分たちのミッションに積極的に貢献しようとしない若者は弱い、格好悪い」というステレオタイプを観衆が内面化してしまうがゆえだと思う。

 そしてこれは別に、会社で頻繁に起こること・・・な気がする。幸い今の職場(職員室)でそういう経験をすることはないが。

 例えばある会社が売り上げ目標を立て、まあ大して役にも立たなさそうな商品をひたすら売りさばかなければならないとして、もしそこで商品の社会貢献性なり、売り方あなり、なんでもいいが疑問を持って「こんなものを売りたくない」などと言おうものなら、「結果を出せないから逃げる」「言い訳ばっかり。みっともない」「自分の殻を破って売ってみろ」などと言われてしまうのではないか。

 

誰も言葉をうまく使えない

 シンジくんに欠けているものは自分の問題意識を言語化する能力である。なぜエヴァに乗りたくないか、なぜ周囲の人たちのいうことに自分が反発するのかを彼は明確に説明できない。そして、彼の周囲の大人たちもそんなシンジくんの悩みの核心をすくい取り、彼を根底的なところで説得することができない。今回見て思ったのだが、シンジくんの理解者だと思っていたミサトさんは、公平に見て時折当たらずとも遠からずなことはいうが、結局はすぐ精神論になってしまって、ダメだこりゃ、と思った。こういう人すごいいそうだけどね。

 こうした根本的なところでのディスコミュニケーションが、作品を覆う人と人との間の感情的・性愛的なやりとりの表面化につながっていると思う。

 赤城リツコさんおよびそのお母さんが碇ゲンドウに手篭めにされたこと。私にとってはシンジくん以上に、そちらが気になっている。優秀な研究者が男性との性愛関係からぬけだせず、叛逆を試み、かつは失敗し死ぬ。死後もシステムの中に生き続ける母親は、娘とともにゲンドウに反抗することよりも、あくまでその腕の中に抱かれることを選ぶ。女天皇を手篭めにした道元を、なんとなくゲンドウという名前から思い起こしてしまう。理性の敗北は、人間存在というものの卑小さを表しており、こうしたネルフ内部の動物的な人間同士の関係のありように比べれば、優れて魅力的なフォルムを持つ使徒キリスト教神秘主義のモチーフなど一体どれほどのものだろうと思う。

 

愚かな日本の組織を描く庵野監督

 いや、そうした卑小な人間存在のあまりにも打算的な目標の追求や、自分で決めてしまった規範に絡め取られて生きることの、本人にとっては深刻であろうが、組織から降りることや逃げることを肯定する微温的な言説が氾濫する現代から見るとどうしてもただ単に「愚か」といってしまいたくなるようなありようが、まさかの神の意志や世界の崩壊といった、その小ささに対比した時めくるめく大きな状況と直結してしまうことが、作品の魅力を構成しているのだろう。シン・ゴジラもしかりだが、庵野秀明は日本の組織のあり方、その中での卑小な人間模様を描くためにこそ、巨大な怪物を作中に出現させているように思う。世界を滅ぼしかねない使徒と戦うのが、モラルの低下した、どこぞのブラックな中小企業にいそうなネルフの人間たちというあまりにも終わってる状況は、むしろエヴァンゲリオンの本領なのだろう。

大江健三郎における「本当のこと」

 先の記事を書きながら、大江健三郎の作品を長らく読んできた身として、どうしても「本当の事」というフレーズを大江健三郎と結びつけて思い出さざるを得なかった。

 

summery.hatenablog.com

 

 Betterさんのモデルになった人が意識していたかはわからないのだが、「本当の事」は大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967)における鍵語である。

コギト工房 大江健三郎 万延元年のフットボール

bookclub.kodansha.co.jp

 

 『万延元年のフットボール』のあらすじについては上記記事で明らかであろうが「本当の事」は観察者=語り手=根所蜜三郎が描き出す行動者=蜜三郎の弟=鷹四が静かに、かつ、熱狂的に追い求める対象である。作中では鷹四は最終的に「本当の事」にたどり着くことができずに猟銃で自害するように描かれる。服部訓和はこの結末につき、自害によって読者に提示される、ざくろのように割れた鷹四の身体こそが、むしろ「本当の事」の内実であったのではないかと述べている。

ci.nii.ac.jp

 

 大江はこの作品に限らず、死んでゆく行動者とそれを観察する語り手という二者を度々小説に現してきた。『万延元年』から実に40年近く経ち、発表された作品『憂い顔の童子』には、この「本当の事」問題が、行動者から観察者=語り手に受け渡されていることがわかる。下引用部「古義人」は大江健三郎自身の似姿である、老年の作家=語り手のことを示している。

ウソの山のアリジゴクの穴から、これは本当のことやと、紙を一枚差し出して見せるのでしょうか?死ぬ歳になった小説家というものも、難儀なことですな!

大江健三郎.憂い顔の童子おかしな二人組」三部作(講談社文庫、初出2002年)(Kindleの位置No.137-139)..Kindle版.

 

そして千樫がつたえたのは、古義人さんがウソの小説の山ひとつできるほど書いてから、歳をとって紙きれ一枚分でも本当のことを書くならば、それは本当と信じてやってほしい、というものだった。吾良さんのことを思うてベルリンで働かれておる間でも、その後のことになっても……

同上(Kindleの位置No.207-210)..Kindle版.

bookclub.kodansha.co.jp

 

 「本当の事」に惹きつけられ、それにたどり着くことと死の招来を同時に行ってしまう行動者の系譜とは裏腹に、観察者の系譜は、迂回を繰り返し、迂回を積み上げていくことでこそむしろ、対象に接近することを試みる。二人の女性たちが語り手=古義人の「本当のこと」について言及するように、古義人は迂回を繰り返す中で、周囲の人との関係性を切り結び、彼らに後押しされるように小説を書き続ける。

 小説を書くことの中で追及される「本当のこと」とは何か。それが最近気になっている。おそらくそれは、言語以前の領域ということになるのだろうが。

 80年代の大江作品では、超越的なものに傾倒する語り手がしばしば登場する。彼らはいわば「本当のこと」に惹きつけられており、それを書き終えれば書くべきことは全て終わるような、究極の小説、最後の小説を構想したりもする。

 しかし小説中、語り手のそうした試みは基本的にいずれも失敗で終わるのだ。そして、むしろ超越的なものに対する接続が断たれた地点でこそ、他者と交感するトポスが開かれる。大江におけるフィクションは、この最後の小説を書けない地点から始まっているように、私には思われる。

 

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 大江健三郎については以下の記事も書いたのでよろしければあわせてご笑覧ください。

 

summery.hatenablog.com

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「本当のこと」と仕事の間:とある退職エントリに関して

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 就労を始めて1年半を超えた。大学・大学院時での私はお世辞にも会社でうまくやっていけるようなタイプではなかったので、そういうタイプの自分でもやっていけるような職場を選びはしたのだが、それでも働き始めるまでは大変不安だったし、働き始めて一ヶ月ほどは「これは続かない」「来月辞めよう」などと考えていた。当時の不安な気持ちは以下の記事に一部見られる。

 

summery.hatenablog.com

 

 

 今も、「いつ辞めようか」とよく考えはする。ただしそれを「来月」というような短いスパンで考えることはなくなって来た。端的に、いてもたってもいられないほど我慢できない、という局面が減って来たのだ。「やめるとしたら、今手掛けている仕事が終わる半年後かなあ」というように考えたりする。つまりは少なくとも二、三ヶ月は耐えられる自信に、その気持ちは裏打ちされている。慣れたのだ。

 慣れたというのは、職場の人間関係をハンドリングするすべを学び、かつ自分に何が求められているのかわかったというようなことだ。完全に順応できたわけではないが、日々気持ちの調節を怠らなければ、我慢できそうにないと思われる時でも、二ヶ月はなんとか続けていける、というように思える。そしてそれを積み上げた先に、半年、一年続けることはあり得ると想像できる。

 

 そんな折、ツイッター上で長らく観察していた人の退職エントリがツイッターで回ってきた。ここでは仮にBetterさんとする。本当は、ツイッター上の実名を出しつつ一旦この記事を書いたのだったが、書きながら、この記事の主眼がむしろ書く自分の考えの表明にあると気づいたので、それを明確にするために虚実を織り交ぜた。ということで、以下は現実に根ざしたフィクションと読んでもらえればよい。

 

 Betterさんは面識はないものの(実は一度くらい、ジョナサンとかで一緒になったかも)、私と同じ年に同じ大学の同じ学部に入った。それで、私がツイッターを盛んにしていた頃にはやりとりをしたこともある。もう5-6年も前の話だ。 

 

 当時私は自分が就職してサラリーマンになるなどと思ってもいなかった。そのくせ官僚になることは漠然と選択肢にいれており、官僚などまごうことなきサラリーマンなのだが、その二つを結びつけ得ない程度の貧困な職業への認識しか持ち合わせていなかった。

 とにかく自分が「サラリーマン」と名指される数多いる無名の労働者の一員になりたくはないという実存的欲望はあった。そしてこれは多くの学生が一度は持つ欲望だろうと思う。当然Betterさんのような人もそのように思っているのだろうなと、今から考えれば大変勝手にも、感じていた。

 

 その後私は学部に進み、卒業し、大学院を修了した。この間ずっとちょくちょくBetterさんのことをツイッターにおいて観察していた。常識を思わぬ観点から反転させてネタに昇華する、そのネタツイートの際のラディカルさとは裏腹に、西洋古典学科に進んで以降、つぶやきから垣間見えるBetterさんの勉強はアリストテレスを原語で1行1行読み進めるという手堅いもので、およそ体系だった勉学とはいいがたいような、適当に批評文献や小説を読み散らかしていた自分は慄いたものである。

 

 その後、Betterさんは確か、修士に進み、一年ほど勉強を続けたのち、改めて別の大学院への進学を志したようだった。それで、一時期そちらの方面の本を盛んに読んでいたようである。しかしなんらかの理由で、おそらくこちらの道を諦めた。ということで修士の修了までにBetterさんは1年余分に要し、私の方が先に社会に出たということなのである。

 冒頭でも触れたように、昨年私は入社1年目で、苦労しつつも会社に少しずつ慣れて行こうとしていた。詳しい経緯はわからないが、この間金銭的に展望が見えないことや、西洋古典の大学院で勉強していても「本当のこと」に近づけない(?)という見切りもあり、Betterさんは就職することになったようである。で、働き始めて約9ヶ月で退職を決めた。以下の(ような)記述に、最終的にたどり着くわけである。

 

虚しさに襲われることはよくあった。例えば、月に一度程度の飲み会で、二つくらい年下の同期たちとの間の、いかなる点でも意味を感じられない会話をした後など。本当はそんな頭でまともにものを考えられるはずもないのに、アルコールに軽く浸った脳を酷使するように、『形而上学』を読んだ。面白かった。少なくとも彼には本質への志向性を感じた。

満足した豚というが、満足すらしていない僕はただの豚かもしれない。ただの豚としてこれから30年、40年と生きることに、それほど意味があるのだろうか?そうした問いを抱えてしまうように、抱えてしまわざるをえないように生きてきた高校以降の15年間を思った。確かさが欲しい。失われないものや嘘ではないもの、本当のことを探したい。

少しでも頭をはっきりさせようと、濃いコーヒーをがぶ飲みして、カフェインに弱いので今度はカフェインに酔って、亢進状態で指先を震わせながら、退職届を書いた。

 

 この記述に書いてあることは私にもわからないではない。いや、もう少し正直に書くと大変よくわかる。ただし、これも正直に書くが、求めるものに対して与えられる「確かさ」「本当のこと」という言い方に私は違和感を感じてしまう。そんなもの、あるのだろうか。あるとしたらそれは相対的な意味においてではないだろうか。「自分にとって本当のこと」というのなら、これは十分理解できる。しかし、だとしてもそれは、どこかに確固としてあって見つけることができるようなものではないのではないかと思う。

 だからBetterさんの試みは、結局「自分にとって本当のこと」を自分で見出していくということに落ち着くことになるのではないだろうか。なぜならそれは自己の固有性と決して切り離せない形でしか顕現しないはずのものであるから。わからない。それ自体私の方の信仰のようなものに過ぎないのかもしれないのだけど。とにかく、私はそう思う、ということ。 

 翻って自分の方を向くと、私は私で、今働きながら大学院に通っているのであって、今後なんとか資金繰りをして大学に通おうとしているBetterさんと軌道としては一部似通っているかもしれない。ただしここまで述べてきたことに関しては大きな差異があって、私は自分個人が日常生活で感じていること、抱えている問題意識を言語化し、読むに耐える形で送り出していきたい、そのすべを学びたいと思っている。それは「失われないものや嘘ではないもの」の対極にあり、誰もすくい上げなければ簡単に失われる、現に失われつつあるものであるし、また、私以外の人から見れば大嘘に見えるものである。

 「嘘」に見えるものごとの自分にとっての真実性を抗弁すること、そしてまた、すでに失われたもの、そのままでは失われた状態でありつづけるものの輪郭を改めて描くことは、私が専門とする大江健三郎の基本的な姿勢でもある。だから研究している、ということになる。大江は最終的に、個々人にとっての真実性を送り出しあい、それを聞きあう共同体のモデルを小説の場で作り上げようとしたと私は考えており、それをそれなりに説得力のある形で論証するのが私の目的である。

 

 ところで、Betterくん(突然「さん」から「くん」になり、大変なことになってきたが、私は一応同じ年に大学に入った「同級生」ではあるのだから)が盛んに言及するアニメに「10センチメートル毎秒」がある。このアニメはまさに、失われていくものや、本当でないこと=嘘に満ちている。そしてそこにこそ魅力がある。喪失や虚偽を描くことを通じて影絵のようにして浮かび上がる主体の、弱さ、曖昧さ。それらを抱えながら生きる姿にこそ、その人なりの固有性と現実を生きる一つのモデルを私たちは見るのではないか。単なる「決め」の問題にすぎないのかもしれないが、私はそちらの領域に強い関心があるし、それは「「10センチメートル毎秒」に魅力を感じるBetterくん」の関心と通じているはずだとも思う。

 

 誤解を解いておこう。私はBetterくんの今回の退職から「本当のこと」探しに向かう一連の動きを「自分探し」として揶揄しているわけではない。同じように「本当のこと」への志向を共有してしまう一個の個人として、「「本当のこと」を求める自分」といかにして彼が共に生きていくかに興味がある。人は誰しも、その人の生きてきた人生に固有の偏向(良い意味でも、悪い意味でも)を抱えている。それはその人の一部なのであり、簡単に捨てさることはできない。というか、それを簡単に捨て去ったり、それに蓋をしようとすることは強い言葉でいえばそれ自体誤りであると私は思う。

 

祖父危篤

 昨日未明に祖父が危篤であるという連絡が入った。脳梗塞で意識を失ったという。皿洗い中のことだったらしい。皿を洗う水がジャバジャバと流れる音がいつまでも続くので、不審に思った祖母が台所に行くと、祖父は車椅子に座ったまま前かがみになって、小さく固まっており、その口からは舌がはみ出ている。祖母に呼ばれた母は、祖父の様子を見てこれはまずいと判断し、救急車を呼んだ。

 救急車の中で母は救急隊員に「皿洗い中に意識を失ったらしい」と話したがなかなか信じてもらえなかった。祖父は数年前に帯状疱疹をこじらせたせいで右腕がほとんど使えず、また糖尿病で左足の足首より先を切断して歩けない状態だったから、そんな祖父が五体満足の祖母に代わって皿洗いをしているという状況が、「家事は女性の役割」という常識も手伝い、隊員にとって理解し難かったのではないかとこれは母の話。

 その後すぐに集中治療室に運ばれ、様々に処置を受けたのち、私の父と母が診察結果を告げられたのが明け方頃。ここで私にラインで連絡が入ったのだが、私はその連絡を母の送信直後に受け取った。なんとも阿呆らしい話ではあるが、その時私はあんまり面白い夢を見ていて、自分の笑い声で目を覚ましたのである。

 その夢というのも、友人が謎の文芸批評本を出し、その内容を当の本人とともにけなしたり茶化したりこき下ろしたりする、という内容だった。夢のことを思い出そうとするといつもそうだが、詳細は完全に忘れているので想像で補いながら書くと、要するに私と友人とは、その謎本の持って回った言い回しや、自分が一番頭が良いと思っていそうな著者のナルシシズムにツッコミをいれては、爆笑を繰り返していたのである。一緒にその本をこき下ろした相手がその本の著者である、というのは夢なりの奇態さである。いや、著者が自分の本を、それと認識しつつ馬鹿にしていたのなら辻褄があうのだが、そうではなかった。彼は完全に、自分ではない誰か他の人が書いた本に対する態度で、私と盛り上がっていたのである。

 その子は田中君と言ったのだが、私の方は、田中君の本を田中君とバカにしながら、目の前にいる田中君と本の著者の田中君を全く結びつけて考えていなかった。起きてるか寝ているか微妙なまどろみの中で、「あれれ、そういえば、あの本の著者が当の田中じゃん、でも変だな。だって赤の他人が書いたものであるかのように一緒に馬鹿にしてたわけでしょう・・・?」などと思っていた。

 自分の枕元に祖父が立っている夢を見て、起きたら・・・などという次第であればよくあるいい話系の怪談であるのだが、そのようでは全くなく、祖父は大声でのおしゃべりも、品のない爆笑も嫌いだったから、祖父といかなる意味でも関わりのない夢を見て、起きたら祖父危篤の連絡が入っている、という次第だったのだ。虫が知らせる、などというが全然知らせてくれなかった。

 ということで、昨日は会社を早引けして慌てて実家の方にある巨大病院に飛んで行ったのだが、いくつも管をつけられ、大きなベッドに横たわる祖父は、私の想像以上にやつれ、痩せていた。もちろんそれは今回の脳梗塞のせいではないわけだから、こんなに祖父は老いていたのだ、と改めて驚かされる気分だった。いつも明るい祖母の表情はどこまでも険しく、そんな祖母をみたことはこれまでになかったから、そこから事態の深刻さを読み取ることになった。

 祖父はとにかく生真面目な人で、80を超えても辞書を引き引き洋書を読んだり、好んで読むアガサ・クリスティーに関する研究書の部分部分を拾い上げて訳出した断片を大量にパソコンに貯めたりしていた。大学に入った私にドストエフスキーを強く薦めてくれたのも祖父である。ちゃらんぽらんな私は祖父の熱心さに観念して、腰を据えてドストエフスキーを読み始めるまでに、半年から一年くらいかかったが。勤勉な祖父は外的な動機付けが不在でも、毎日○ページ読む、などと決めて何年もかけて独り取り組み、一方でエンジニアとして働きながら、他方分厚い本を読破できる人だった。

 そういえば以前、東大闘争の直前に大学を卒業した祖父が、新入社員時代を過ごしていた折、ニュースを騒がせる学生運動に興味を持ち、何かに急かされるようにして『資本論』を読破した、という話を聞き、会社勤めをしているわけでもないのに、すでに2度3度と『資本論』をなげだした経験のあった当時の私は密かに恥じ入ったことがあったのを思い出す。もっともこうして書きながら、今同じ話を聞かされたら、「そういう時代だったのだろうね」で受け流していると思うが。1日8時間なりと働いて、くたくたに疲れて家に帰ってもなお、どうしても読まなければならないと思えるほどの価値を『資本論』という書物が持っているように思われた時代があったのである。隔世の感がある。

 ところで小熊英二の『1968』によれば、一応共産主義を思想的背景とする全共闘の中でも『資本論』をきちんと読んだ人はほとんどいなかったと出ていた。しかし、マルクスという名や「『資本論』っぽい論理」は当然飛び交っていたのだろう。読まなくったって、いくらでもそれっぽいことは言えるのである。そういう状況の中で、あえて分厚い『資本論』原典を紐解き、「毎日○ページ」などという風に決めてコツコツ読み進めて行ってしまう、そういう生真面目なタイプの人がつまりは私の祖父なのである。

 脱線してしまった話を戻す。今回の脳梗塞で祖父の右脳はすっかり機能しなくなっているらしい。しかし左脳が残っており、右手は動くし、右目はどうやら見えているようである。聞き取るのが難しいが、細心の注意を払えば、それなりに状況にそう言葉を口にしようとしているのがわかる。昨日私が名前を呼ぶと、こちらを見て、心なしか微笑んでくれたし、何かの言葉を口にしていた。また右手を握ると断続的に3度4度、ぎゅぎゅっと握り返してきた。そうしたリズムが、祖父が送る「それなりに意識ははっきりしている」というサインであると私は捉えている。

 ここ一週間ほど祖父は生死が危ぶまれる状況にあるという。祖父が何年も読んできて、血肉化してきたニーチェドストエフスキーは、生死の淵にある祖父の魂を導くだろう。彼らがどんな方向に導くことやら定かではないが、とにかく悪い方向ではないだろう。祖父から強く薦められて、二者の著作をそこそこ読んだ私は、そんな風に思う。ドストエフスキーの作品は、人間性に対する根底的な希望に満ちているし、ニーチェに関していえば、例えば、「人間に絶望した」というようなことを100回も200回も書くことは、それは逆に人間に期待をしているということではないか?

 とこんな文章を読んだら、元気だった頃の祖父なら、鼻で笑うのだろうが。とにかく祖父は基本的に、私の文章を鼻で笑う人なのだった。そのくせ祖父は本当によく私の書いたものを読んでくれた。回復したとして、もう祖父は文章を読めないだろうな・・・などと考えるのは大変に辛い。生と死の境における現在進行形の戦いも、またここで一命をとりとめたとして得られる、病院も医者も嫌いな祖父のそれからの余生も苦しいものだろうと思う。しかし『カラマーゾフの兄弟』にはこんなセリフがある。癪だがすぐに出てくる村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から孫引きすると

「ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい」

 祖父は「ぜんたいとしては」人生を祝福してくれることになるだろうと私は期待しつつ、この土日は病院に通いつめる。そうした期待でもなければ正直やっていられない。そうしてこのくだりも元気だったころの祖父にとっては無限に可笑しいことだろう。そういえば、私は親族の中で唯一、祖父に本気で馬鹿にされているのである。

 

豚とアルマジロの結合したような動物

 久々に夢を見たのだが、そのことについて書く。

 といっても短いもので、豚とアルマジロが結合したような動物をペットとしている夢を見た、というそれだけだ。ところどころアルマジロのような硬い皮に覆われているが、体の大部分はそうではなく、ヌメヌメとした粘液に覆われた豚のような、臙脂色をした皮膚の動物である。大きさは、豚よりやや小さい。中型犬と同じくらいだろうか。僕はそれをペットとしているようで、僕がかがみこんで、テーブルの下にいるその頭を撫でると、それは素早く僕の指を噛み、必死の形相で僕の手を自分自身の手足で固定すると、蹴り、引っ掻き、繰りかえし噛み直すのだが、どの一撃も決して血が出るほどには至らない絶妙な強さで、この動物はじゃれているのだとよくわかる…。

 目が覚め、ひっかかれ、かつ噛まれたその手の感触を思い出しながら、僕はその感触が、まだ元気だった頃の飼い猫によるものだったと思い当たった。彼は僕が大学4年生の頃に死んだのだが。歯が弱くなる前、彼は僕の手を噛むのが好きだった。甘噛み、というには強すぎるけれど、かといって血が出たりミミズ腫れになったりするほどではない。僕は時折はスズメを取ってきたり、猫同士の喧嘩で相手に致命傷を負わせたりするほど、本来は顎の力を持つ僕の猫が、そのように僕に対して、絶妙に手加減を加えることができることに驚いたものだった。

 手加減を加える、と言っても、見た目上はまるで本当に僕の手と喧嘩するように、彼はしていたのだ。親の仇のように食らいついてはなさず、二つの肉球を用い、思いがけない強さで僕の手を固定すると、二つの足で繰り返し押し出すように蹴り、かつ噛む。がっつりと四つに組んでいるので、僕が腕をあげようとすると、僕の猫はそのままくっついて宙に浮かばんばかりなのだった。

 そうした猫の所作をすっかり忘れていた、というつもりはない。このように今でも、思い出そうと思えば鮮明に思い出せる。それも体に残る感触として。しかし昨日の夜に至るまでの何ヶ月も、ひょっとして一年以上、僕はそのことをすっかり忘れていたのだ。それを不意に、しかも身体的な感覚として思い出させられたこと。そのことはとても不思議なことであるように思われる。身体の記憶にトリガーはあるのだろうか。僕は一体何の条件を満たして、このタイミングでふと、僕の猫が僕の手に繰り出した攻撃の数々を想起したのだろうか、と思う。

 積み重なる日常の仕事に埋没している状態と、自分自身の記憶の海にふと入り込むこととは全く異なる。前者はひたすらに緻密に物事を動かすことで、現実世界の時間との格闘だが、後者は内に内にと入り込み、現実世界の時間とは別の時間性を体得することだ。大部分の文学は主に後者の領域に取り組むもので、このブログのオチとして優れているかは別として、ふと文学を読みたくなった。それも最近の。

職場で新人としてあること 引き継がれてないことで怒られることについて

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 この秋で入職一年半を迎える。教育現場であるため、他の職場とは環境が全く異なることは重々承知しつつ、それでも「新人」もしくは「新入社員」として過ごしたこの期間に、おそらくどの職場の「新人」でもぶちあたるであろうことや、そこで考えたことをまとめたい。

 

引き継がれていないことで怒られる。

 仕事というのは基本的にどのように小さいものであっても、複数のステップからなるため、一つ一つの業務につき一から十まですべてを引き継ぐことは到底無理である。第一にそれほどに引き継ぎに時間はかけられないし、第二に仕事をやりながら教える方がはるかに効率がよい。だからまず口頭で教えられることを伝えきると、「とりあえずやってみて」ということになる。

 それでやってみるのだが、すべてを引き継ぎきっていないので、当然その仕事には長年その職場にいる人にとっては「あやまち」「ぬけ」と思われるような瑕疵がある。これは、どんなに細かくて簡単そうに見える仕事にも、確実にあるのである。

 いま「瑕疵」と書いたけれども、これは長年やっている人には「瑕疵」だが、初めてあるいは数度目の人にとっては「瑕疵」とは認識できないものである。したがってここに仕事を教える方と教えられる方との間のギャップが生まれる。すなわち、完成した仕事に関し、それを新人に頼んだ先輩の側は「不完全な仕事が上がってきた」と捉え、新人の方は「言われた通りにやったので完璧」と捉える。

 このギャップの状態をどう埋めるかということが、先輩の側の腕の見せ所であるわけだ。「私の伝え方が悪かったのですが」「そういえば言ってなかったんだけど」とこの状況に自分の伝達の問題を見出せる先輩は立派である。「え、これやってないの?ありえない!」「常識的に考えてここはこうするでしょう!」「気が利かない」とか言って伝えていないことができないことを、新人の「常識の欠如」「周囲への気配りの欠如」に帰責しようとする先輩は最悪である。

 こうした先輩の「常識」「気配り」とはよくてその職場内だけに通用する常識、悪ければその人の中だけの常識=マイルールにすぎない。こういう先輩の話を真に受けると業務をするたびに自分を責め、自己否定するようになっていくので要注意である。しかし、ここまでわかりやすいと逆に、周囲も陰に陽に新人の味方に付いてくれる。

 面倒であるのはその中間にあるような冷笑系、嘲笑系の人であろう。つまり新人がした仕事につき、「あぁ、やっぱりわからないか、ごめんね。でもさちょっと考えれば、どう?こっちの方がみんな便利だと思わない?そういうことを考えられるようにならないと」というような言い方で、一見事態を自己の伝達の不完全性に帰責しているように見えて、その実その職場固有の論理(これも悪くするとその人の中のマイルールの可能性あり)に不慣れな新人を責める、というやり方をする先輩である。こういう人はしばしば、半笑いしながら言ってくるわけで、新人としては大変嫌な気分になる。一体何が正解なのかわからないが、侮蔑されているような印象ばかり尾をひく。

 要するにその職場が期待する仕事の水準を、新人の矜持を損なわずに伝達することは難しいということだ。なぜならどのような職場にも独特のカルチャーがあり、それを逐一全て挙げて説明することは、できたとしても膨大な時間がかかって効率が悪いからである。習うより慣れろの方が効率的なのだ。

 しかし「習うより慣れろ」式というのは、つまりは「失敗から学べ」式ということである。だから当然、職場の一人一人に新人の失敗を受け入れる体制が整っていなければならない。そこで重要なのは、そもそも職場の人々が最終的に「失敗」と判断することの9割は新人にとっては「失敗」ではなく「言われた通りに完璧にやったこと」であるという事実である。このギャップを埋めるには、どれだけ緻密に行おうと基本的には引き継ぎは不完全に止まるということを、まずは新人を受け入れる側がよく認識する必要がある。

 新人は職場の内部では弱い。基本的に孤立無援で、その職場ですでに色々な人から頼られている先輩が「新人のせいだ」と言えばまずは職場の多くの人が、新人を疑うであろう。何かの失敗が周囲にまで影響を及ぼす状況で、教育係が悪いのか新人が悪いのかグレーなケース(大抵はどっちも悪い)でも、新人の「気配りが足りない」「常識がない」などと抽象的な言い方をすれば責任転嫁は容易である。なぜこうした事態になるのかと言えば、誰も皆、問題が起きた時、その責任を負いたくないからだ。だからこうした事態を未然に防ぐには、究極的には、失敗に寛容な組織を作るしかない。

 

 しかし、組織の中で「新人」をやることの大変さ。書きながら、改めてそれを思う。別に日本の職場だから大変、と言うつもりはない。外資外資で大変だろう。職場独自のルールは、どのような職場にもあるだろうから。ただ、社員の平均勤続年数が長ければ長いほど、職場独自のルールは固定化する傾向にあるだろうし、その意味で一つの職場に長く務める人の多い日本の職場は大変かもしれない。

 何にせよ、「新人」という役回りはあまり何度も繰り返す気にはなれないものであることは確かだ。

 

 

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こちらもどうぞ。あんまり青臭いのだが、新入社員として普通に思うことを普通に書きました。

summery.hatenablog.com 

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 働き始めるころの不安についてはこちらをどうぞ

summery.hatenablog.com