SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

「どうでもいい」仕事との付き合い方がわからない

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書き出しによって文のスタイルが結構変わるので、雑感の文体なら読む、という読者少数いてくれると、それは嬉しいことだなあと思ったりする。一応この系列につらなる記事の複数を末尾に貼り付けておく。

 今週は決断について考えることが多かった。本当に仕事で憂鬱だったから。といっても、全然大したことではないのである。こんなことで憂鬱なんて、バカにしてんのかと私が聞く立場だったら言ってしまうだろう。私は今年修学旅行担当をしていて、その中で文化体験プログラムを盛り込むかどうか。そのようなことで火曜日の午後丸々悩んでいたのだった。なぜ憂鬱なのだろうか。それは、決めてしまうと、そう決めた理由を全方位に説明しなければならなくなるからだ。1時間やそこらでちょっと風呂敷や扇子に絵付けをしたり、よくわからない安っぽい石で変な腕輪を作ったりしてもそれで文化を体験したことになるのかなんて微妙なのはわかりきっているから、反対の先生もいるし、それでもまあお寺とかを見ることを続けていてもマンネリなわけだから何か体験要素を入れる方がよいし、実際に持ち帰られて楽しいし、という先生もいるし、様々。行程が決まった後、その責任者である私にみんなが好き勝手色々なことを言ってくるので、その都度修学旅行の理念や教頭・校長の意向や私自身の意思など様々な基準に照らしてそのプログラムを取り入れた理由を説明しなければいけないのだ。

 自分のしたいように物事をできるのだから、それ自体は楽しいはずではないか、と言われるかもしれない。ふむ。確かに。だから一番の問題はどこにあるかというと、私にとって修学旅行がどうでもよすぎることだ。一般に「決断」というと何か自分の中の意思にしたがってしているはずと思われがちである。だから決断をしたんだったら、その人がやりたかったのだろう。やるにたる理由があったのだろう、と周囲から思われる。

 残念。私にとって修学旅行に文化体験プログラムがあるかないかは、本当にどうでもいいのだ。こんなどうでもいい仕事からはさっさと手を引きたい。あまりかかずらいたくないと思う。自分の意思がなく、面倒なことを避けたいと思うとどうなるかというと、ひたすらに誰からも何も言われないような無難な道を選択したくなる。ここで目的はよりよい修学旅行を作り上げることからずれる。けれども周囲の皆は、私がよりよい修学旅行を作り上げようとしていると、その目的は当然共有しているものと考えている。いやいや、そもそもやる気ないんですけど、とは口が裂けても言えないのが辛いところ。自分の中の目的が「誰からも何も言われない無難な選択肢をとること」である以上、この件に関して誰かが何か聞いてくるたびに、その目的が達成されないことの不満が自分の中で募りまくるわけだが、そもそも誰からも何も言われない選択肢などないので、こうした目的を設定してしまうこと自体が間違い。だったのだがねえ。

 心の底からどうでもいいと思う二択に関して、担当者として決断を迫られた場合、誰からも何も言われない選択肢を選ぼうとすると正解がなくなって決められなくなる。それが今回の失敗だった。しかし、どうでもいいのにどうでもよくないふりをするの、普通にきつくないですか。現実的には、どうでもよくてもどうでもよくないふりをするしかないのだが。というか、自分にとってはどうでもよくても、それを実際にやる人たちの身に立てばどちらがよいかはある程度きまるはずで、自己を中心にしないで考えようと思ったのでした。

ところで「どうでもいい」は私の口癖なのですが、この言葉すごく使いやすくて、なんでも大抵「どうでもいい」で済ませられてしまうのですが、過去に個別指導を初めて二ヶ月くらいで生徒に「どうでもいい」がうつって「テストの点とかどうでもいい」と言われた時はちょっとダメージを食らいました。いや、どうでもよくないだろ、と言いかけましたが、私自身が「テストの点とかどうでもいい」と彼に伝えてしまっていたからな・・・。どうでもいいんだけどね。ダブスタであることです。

 

 

 

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駒場の西側

 昨日午後は久々に午後の街をゆっくりと歩いた。駒場キャンパスを西につっきり日本近代文学館の側に抜けるとある、閑静な街並みが最近のお気に入りである。一つ一つの家が比較的大きな空間を持っており、かつその空間を余すところなく使い切ろうとはしていない。そうした空間利用に豊かさを感じる。豊かなものがある、と思う。玄関と玄関前の空間の間にひっそりと設けられた、土の露出する一メートル四方の小さなスペースから、物語のカエルが傘にするような、幅が広く厚みもある緑の葉っぱが数多顔を出し、ほとんど土が見えなくなっている。

 縦に背の高い細い白木の板が合わせられて壁になっている家、コンクリート打ちっ放しの壁が道にせり出している家。素材やその素材の組み合わせ方として手が込んでいても、決して過度に自分自身を主張してこない。そしてよく見ると、相当に大きな空間を持っている。チラリチラリと見える内部と合わせ、それらの家の空間は、その空間を構成した主体の身体や時間感覚と不可分な印象がある。

 静かに落ち着いた場所でひっそりと布置される生活空間の記号。そこからは、背景となる物語の存在が透けて見える。文字によって伝達される物語に倦む。そうではなく、私の体がもしその中にあったら、私自身が感化されてまた、別の存在に変わっていくだろうと思わせてくるような、物語の時間と空間に入っていきたいと思ったりもする。読書はこちらから相手の物語を積極的に聞き取ろうとしてはじめて成立するもので、それは多かれ少なかれ一種のトラバーユなのだが、そうではなく、気づいたらそこにいた、という物語に会いたい。私の体の波長を通常とは異なるように読むことができるような、異なる文脈の総体としての物語の場にいたい。鳥が飛ぶごとにその影がさっと横切っていくような、それほどにも多くの面積と単一な淡い灰色のコンクリート壁を見ながら思う。

   決断が出来なくなった。仕事で自己の裁量を与えられていないから、というのは簡単だが、残念。そういえば昔から決断は苦手だった。不確定要素が大きすぎる、思い切った決断はできる。できないのは細かい決断。例えば二つの店の食べログを見て、忘年会の場所をどちらにするか、など。今の生の延長線上に、決断があるのか微妙

 

 

 

一人暮らしでできるようになったこと

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 たまにすごくライトなことが描きたくなるので、今日は一人暮らしでできるようになったことを書く。

 一人暮らしを始めたのは一昨年の7月で、これを書いている2019年1月で今ちょうど1年半になる。全く完全にいいことづくめというわけではないが、主観的には大満足である。個人的な感慨を元にしながら、一人暮らしを始めてよかったことを挙げていきたい。

 

1:圧倒的に便利になった

 やはり調布の方の京王線沿線にある私の実家は、駅に近くはあったけれど、不便だったのだなと思う。私は勉強するときによく喫茶店を使うのだが、徒歩でいける距離に喫茶店はなく、一番近い喫茶店は電車ないし自転車で少なくとも20分以上かかった。しかも20分でたどり着けるのは駅前の喫茶店で、基本的に人でごった返しており、騒がしかった。地域の図書館は自転車で30分、通っていた大学までは電車を二度乗り継いで1時間かかった。社会人になってから一人暮らしを始めるまでの半年間は、職場が埼玉だったこともあり、電車で片道1時間半かかった。さすがに参った。

 今は都内の下町エリアに住んでおり、職場も異動により都内になった。通勤時間は片道30分。自転車で10分圏内に休日でも午後までは比較的空いている喫茶店が二つあり、大学にも同じく自転車10分でいける。国会図書館にも30分でアクセスできる。本当に、本当に楽になった。多少高くとも、便利な場所に住むということは重要だと思う。生活コストの低さから実家暮らしにこだわり、毎日往復2時間ほどかけて会社に通っている人たちには是非一人暮らしを試してもらいたい。自分が充実した生を送るためには、多少のお金は使うべきである。

 

2:食事の時間を自由に決められるようになった。

 実家にいると大抵夕食は作ってもらうことになる。すると、家族と同じ時間に同じテーブルに座って食べることになる。自分の都合で食事の時間を決めることはできなくなる。もちろん「食事は自分の好きな時にとるから」と言っておくこともできるし、実際そうすることも多かったが、そういうことをすると、ただ親に作らせているだけとなってしまい後ろめたい。もちろん、一緒に食べたからってその労力に報いている、というわけではないのだが・・・。

 また、「自分の好きな時に食べる」宣言をした上で、両親が食卓で食事をとっているところをスルーしてお風呂に入ったりキッチン周りの設備を利用したりするのはやりにくい。何かの作業に集中したい、などという特別な理由がなさそうであるにも関わらず、あえて一緒に夕食をとらないというのは家族を避けているのか、という風に捉えられてしまうのではないか、などと思ってしまう。そこで両親が食卓についているときは家の中での行動が制限されることになる。

 結果、家にいる間は基本的に、家族と夕食をとるか、そうでない場合には自分の行動がなんとなく拘束されている気分になってしまう。

 食事の時間を自由に決められるようになったことは、本当に大きなメリットである。

 

3:19時ころから仮眠を取れるようになった。

 2に関連して、夕食の時間を自分で決められるようになったので、通常夕食をとる時間帯である19~21時に仮眠をとることができるようになった。

 18時頃まで集中して何かの作業をしていると、大抵頭は使い物にならなくなる。そこで2時間ほど寝られればいいのだが、夕食があるとこれができない。結果、実家ではあまり夜の時間帯を有効に使うことができなくなっていたので、ここで寝られるようになったのは大きなメリットである。

 

4:深夜の喫茶店・ファミレス利用が容易になった。

 1と関連する事項。自転車ですぐに行ける距離にファミレスやマックがあるので、夜遅くになってもふと思い立って行き、作業できるようになった。家族とともに生活していると世間の目もあるし戸締りにかかる騒音もあるので夜遅くに、特段の理由なしに外出するのがためらわれる(するときはしていたけど)のだが、一人なので自由にできるようになった。

 

 総じていえば①自分の自由になる時間が増えたし、②自分の時間をよりよく使うことができるようになった。支出は増えたが、一人暮らしには満足している。今の感慨だけでいえば、これから先何年も、この生活を続けて行きたい。

 

 

四年ぶりの『風立ちぬ』考:叶わない夢を追うことのペーソス

 

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久しぶりに『風立ちぬ』を観た

 四年前、『風立ちぬ』を観て急ぎ以下の記事の感想を書いた。タイトルのとおり、『風立ちぬ』を批判した記事だ。

 

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 その後、大学院でさらに勉強を進めたり、映画『この世界の片隅に』を観て戦争とその表象について考えた経験から、現在は若干異なる感想を持っている。昨日見直してみて、少し書いておかなければならないと思われたので、自分の『風立ちぬ』批判に対して四年後の現在の自分が応じておきたい。

 ちなみに『この世界の片隅に』について考えたことは以下のとおり。

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 戦争を映像作品で表象することについて少し考えたことは以下のとおりだが、この記事はちょっとおちゃらけ過ぎていて、近日中にリライトする予定。

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風立ちぬ』を批判する?

 「風立ちぬ」で私が興味深く思うのは、堀越二郎が足の骨を折ってしまった菜穂子の女中を背負って転んだ時に大汗をかきながらふと見つめた空の上の方にカプローニの作った飛行機と、それが飛ぶ美しく夢想的な色彩の空を観てしまうところである。そのような純粋な飛行機の美しさへの憧れ、それが人の手の届かぬ高みを優雅に舞うロマンを夢想的世界として挿入し、二郎が飛行機技師として成功を修めるという単純すぎる美談と結びつけることで、宮崎駿は物語の審美主義的色彩を強めているように思う。そう考えるとこれはかなり罪深いことといえるのではないか。

 四年前に書いた記事の一部で、殺人機械を審美的に描くことの危険性を指摘しようとしている。しかし、作品が完全に審美主義的ビジョンに中心化しているわけではない。そうそう簡単にわかるものではなくとも、危機の伏在はあちこちに描かれていた気がする。

 映画が二郎から見た世界観だけを描き出しており、それが揺らぐことがないのであれば、批判に値する。争点は二郎の世界が相対化される契機が導入されているのか、ないし、二郎の観念の世界を突き詰めていった結果、それが破綻をきたし自壊する様が描かれているのか、というところである。二郎が二郎だけの世界に自閉し、そこに安住する様だけが描き出されているのであれば映画は閉じたものであり、観客に二郎の思想への共感を要求するだけのものになるだろう。

 しかし、どうもそうではないような気がする。私はむしろ二郎の悲哀を感じる。悲哀を感じるというのはつまり、二郎自身の人間としての苦しみが、私に共感可能な形で描き出されている気がする、ということである。

飛行機を作っていたせいで殆ど顧みる事が出来なかった結果として死んだ妻が生き続けることを命じる最後の夢は、純粋な愛から来たものというよりも、何かデモーニッシュな力による生き続けることへの強制のように思われる。というのも、二郎は作中で飛行機を作る事、そしてまた、恋愛に全てを傾けていたように見受けられるから、「生きて」と言われても観客はそのあと二郎が何を糧に生きていくのかほとんど全く想像がつかないからだ。そこで本来は感動的な言葉であるはずの「生きて」が宙に浮いて、何もなくても生き続けなくてはならない、その後の生のはじまりを予感させる。

 最後のシーンで菜穂子が二郎に「生きて」というのは今回観返しても、あまりよい台詞と思えなかった。二郎にとって都合のよい台詞だと思う。そもそも二郎は生死の葛藤を抱えて来ていなかったように思うので、端的に最後の最後で生死の話を持ち出すのは的外れだと思う。もしそうしたいのなら、例えば二郎が、自己のつくった戦闘機が一機も帰ってこなかったことに対する何らかの形の責任感を感じ、死を選択せんとするとか(本当に「例えば」に過ぎないのだが)、そういう少なくとも二郎が生死の問題に拘っていることを示すシークエンスが挿入されるべきだと思う。

 自分の作った飛行機は一機残らず落ちて一つも帰ってこなかったにも関わらず、自分が技師という立場上戦争を生き延びてしまったこと、それについての問いを発しようとした直後に「生きて」という言葉に押されて感謝とともに生き続けることを選択する二郎、私が二郎に共感できなさを感じる原因は、彼の中の葛藤、問いかけの不在なのだ。彼は考えていない。そしてそれはある時には「働くのは男の義務だ」「この仕事を途中で辞めてもらう訳にはいかない」という社会の声によって、あるときは菜穂子の後押しによって許される。そして最終的に二郎はただ純粋なだけの人になっていくのが、面白いと思った。

 これに関しては、今も同様の感慨。むしろ、二郎が常に自分の中に抱いた夢に対して目的合理的にしか行動できないところに、どうやらペーソスがありそうである。つまり、彼の夢想する美しい夢の世界は本当は存在しない。そのことに彼は絶対に気づかない。夢の世界と現実との距離は二郎がいかに努力しても縮めることができない。

 本当は超越的世界に近づき得ないことに気づいて立ち止まる際にこそ他者との交感の可能性が開かれるのではなかったか。にも関わらず、菜穂子の「生きて」はむしろ、夢への追求をやめないように迫っているように感じられる。生きるべきか死ぬべきかと悩む地点から本当ははじまりうる周囲への開かれを、夢の中の菜穂子はあらかじめキャンセルしてしまったように思う。二郎は菜穂子と対話を交わす地点から二郎は始めなければならなかった。しかし夢の中で、菜穂子は一方的に「生きて」と言って消えて行く。

考えないことを許されている二郎を羨ましく思う。私は最近「考えろよ」と言われてばかりだ。菜穂子に最後「あなた、考えて」と言って欲しかった。それで二郎が「ありがとう」と返したらすごく笑えたのに。あーさすがにわかってたんだな、何にも考えてないということに、と思えたのに。

 四年前の私はこのように書いており、やはり菜穂子と二郎とが話し合う場面を四年前の私も期待していたのだと思う。以下の記事に書いたように、『千と千尋の神隠し』では他者との間の対話を通じた共同性の創出(=「本当の名」の獲得)こそがフィクションとしての同作の賭け金となっていたような印象があるが、第二次世界大戦の話をそうした向日的な方向に開くことが難しいのは必然ではあろうか。

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 もちろん、夢の中の菜穂子は二郎の中の菜穂子である。だから、最後の場面は、葛藤が生まれようとする瞬間にそれをキャンセルし、ひたすら自分の中にしかない、絶対にたどり着けない理想を求め続けなければならない二郎の、生きづらさの源泉とでもいうべきものと思う。二郎はあのあとも、周囲の他者を犠牲にして夢に邁進するだろう。そしてそれだけ真摯に夢を追い求めても追い求め切れることのない夢は、二郎の中でますます美しいものになるだろう。その美しさが、むしろ悲しい。

 『風の谷のナウシカ』でも現れて来たテーマだが、生命を闇の中のまたたく光に例えたように、宮崎駿は決して美しい人間のありようを理想としているのではない。苦しみ、悶え、這いつくばりながら生きようとする生命の姿を描こうとしている。

 それではなぜ美しい風景が必要なのか。それは一つには美しい理想を追い求めようとしてしまう人間のありようを示すためであり、また一つには、美しい理想と現実との間の乖離をこそ描こうとしているからではないかと思う。もう少し考えを進める必要がある気はするが、一旦ここで終える。

 

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 ところで、この『風立ちぬ』との関係で、今私の中で大いに期待しているのは『君たちはどう生きるか』を原作にとると言われる続編です。その「期待」については、以下の記事に書いたので、よろしければあわせてご笑覧ください。

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スカイ・クロラの同人小説の断片

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 週休二日制の労働者をしていて不思議なのは水曜日と木曜日の境である。水曜日までは「まだ水曜日か」と思っていて木曜日になると途端に「もう木曜日なのか」と思うようになる。本当に、不思議。

 

 以前戯れにスカイ・クロラの同人のようなものを書こうとしてすぐにやめたのだったがその断片の続きは金輪際書かないだろうし、また、どこかに発表することもないだろうと思われるので、二回に分けて公開する。

 

===

 

 

 この基地に移ってからずっとこの部屋を一人で使っているわけではなかった。上の段に寝ていたのは丹野だった。今となってはあまり思い出せない。僕のようなやつが一体どうして、誰かと一つの部屋で生活できたのか。

 丹野は大テーブルのあるラウンジでは洒脱なやつだった。けれど、部屋に戻ると彼は無口になった。僕に合わせてくれていたのだろうか?それはあっただろう。ただ、僕はそれだけではないものを感じていた。僕に合わせて、同居人と下手にべたべたしようとしなくていいことに、丹野は安堵しているようだった。

 僕が求めれば、彼は自分から、僕と冗談を飛ばしあうようなことをしてくれたのだろう。あたかも自分がそういうことを好む、とでもいうように。けれど、それが丹野の本性ではなかったろう。

 大テーブルのラウンジで、数人のパイロット仲間と騒いでいるとき、僕は丹野の無理を感じていた。純粋に尊敬もしていた。そうやって周囲の人を楽しませようとする彼のサービス精神に。僕にはないものだ。

 

 北方地域の視察で、僕たちが敵戦を経験したのは去年の10月頃だった。このあたりではもう冬の折だ。管轄地域外にも係らず、急遽視察に駆り出されたのはそのエリアの大規模合同演習が本部で行われており、本来の人員がごっそりいなくなっていたからだ。要は留守番のようなものだった。

 巨大な川にそってゆっくりと飛ぶことを2日繰り返した。沖積平野となっている一帯は空から黄緑と黄土色が混じる絵の具のパレットのように見える。僕と丹野は何か変わったものが見えた時や、引き返す時など、業務上の連絡以外に交信をすることはなかった。つまらないとまではいかないが、退屈だった。何時間もドライブをするようなものだ。

 2日目の夕暮れが近づいて、昨日とは別の支流を辿り、大きな渓谷の上を飛んでいる時だった。

「10時方向、二機いる」

 その通信を聞いた時、僕は機体を逆さまにして頭上に渓谷を見ていた。水しぶきに視界をふさがれながらも、その底を見通そうと繰り返し試みていたのだった。慌てて機体を起こし、遠くを見やる。雲間から黒い粒のようなものが二つ近づいてきているのが見える。この距離では、逃げられるかどうか微妙なところ。教科書通りでいけば、戦うことになる。

「戻る?」

「難しいんじゃない」

 この会話を合図に、僕は丹野から離れ、高度を下げる。

 相手側は二機とも同じ高度を保ったまま両手を広げるように横に広がった。

 速力を上げ、左側のやつに近づく。

 相手が高度を下げてくる。

 と、機体を縦にして僕の動線から勢い良く離脱していった。

 こちらもそれを追いながら、シートに締め付けられ、回らなくなる首を必死に動かし、もう一機を確認する。

 丹野との間の戦闘態勢に入っている。こちらまではこなさそうだ。

 何発か打ち込むが、左右に翼を揺らして、うまく回避される。

 しかし、機体の速度はこちらの方が上の様子で、徐々に距離が縮まっていった。

 時間の問題だろう。

 空には障害物がない。逃げ込める場所はないのだ。

 相手との距離が十分に縮まるのを待ち、汗で滑る指でボタンを押す。

 左の翼に弾が直撃すると、スピードはすぐには緩まないが敵機は少しずつ左に傾いていく。

 終わりだ。ゲームセット。

 すぐに丹野の方を見やると、丹野の機体は両翼からもくもくと黒煙を吐き、僕が撃った敵機よりも早いスピードで雲に吸い込まれていくところだった。

「丹野?」

 呼びかけても返答はない。あるわけがないし、あっても、助からない。

 そう思った僕は、踵を返すもう一機を追い始める。

 けれどみるみるうちに高度を下げていくのを見て、危ないかもしれない、と不安になる。

 敵のエリアまではきていないが、このあたりは境目だ。高度が低いまま誘導されれば、対空砲を当てられる可能性がある。

 僕は追うのをやめた。

 ぐんぐん遠ざかる敵機が、黒い粒になり、消えていく。しかしまだ油断はできない。

 少しの間だけ振り返り、丹野の機体が出した黒い煙を見やる。

 そろそろ地上に着く頃だ。

 熱いだろうな。

 あるいは、機体が損傷して底抜けに寒いかもしれない。

 攻撃を受けると、機体は突然鉄の塊としての自分の重みに気づくようだ。

 そうだった。僕は重かった。本当はこんな高いところで浮かんでびゅんびゅん飛ぶような、そういうものではなかった…。

 丹野もそう気づいたに違いない。

 

 泥のように眠って、起きるともう午後5時だった。こういう寝方をすると、相当疲れないと普段通りに眠れない。

 部屋を出ることにし、まだ重い体を無理やり動かすようにして服を着る。こんなに体が重いのならそのまま寝続けてしまおうかと思うが、もう一度ベッドに潜ってもおそらく眠れないのである。

 酒を飲んでいる数人がたむろしているのを横目にしながら、ラウンジを足早に通りぬける。こういう時に必要以上に臆病になってしまうのが、僕の悪い癖だ。

 …いや、悪い癖というより、そういう風にこそこそとするのが、僕の本性なのかもしれない。 

 中庭のベンチには光田が座っていて、「よお」と左手をあげるのだが、僕はなんだかかったるく、こちらも手を上げると用事でもあるかのように通り過ぎてしまおうとした。

「そうだ」

 光田が僕のことを呼び止める。

「何?」

「何か用事?」

「いや、ない。」何か適当にひねりだせばいいのに、正面から問われると面食らって、正直に言ってしまう。「ぶらぶらしようと思って」

「ちょっと座らない?」

「なんで?」

 光田は何も言わなかった。

「今日はどうだった」

 うんざりした。僕はこういう無駄な世間話が嫌いなのだ。

「どうって、何が?」

「落としたって聞いたけど。二機」

「うん。」

 僕が切口上を繰り返したので、光田はこの話が無意味だと思ったようだった。

「来週代わりがくるらしい」

「誰の?」

「誰だと思う?」

 丹野のだ。もう半年空席だった。そこしかあり得ない。けれど、僕は鈍感なふりをする。

「誰だろう。」

「丹野だよ。」

「ああ」

 光田は僕の反応を伺っているようだった。

「何歳くらいの?」

「年はもう関係ないだろ。俺ら。」

 そうなのだろうか。僕は思う。確かにもう年を経たところで体に変化が起こることはない。けれど、それは意味がないということとは違う気がする。

「じゃあ、何年目?」

「新米みたいだけど。」

 僕は少し驚く。純粋な新米は初めてなのだ。

 もちろんこれだけ人が入れ替わる場所だ。けれど、僕がこれまで会って来たのは一番経験が浅いやつで一年と半年だった。

「飲む?」

 光田がビールを差し出す。

「ありがとう。今日はいい。」

 言って僕は、会話をどう納めようか思案する。ありがとう、とか言って、後悔する。こういう風な場面で感謝すると、なんだか借りを作ったような、隙を与えたような気分になるのだ。

 数秒お互いに黙って、僕の中ではむやみに緊張が増した。そこで光田はいう。

「そっくりだよ、多分」

 その口調が嫌で、僕は抗議するように光田を見る。案の定、彼の目が笑っている。微かだけど。

 僕はそれですっかり不快になって、「だから?」とだけいうと光田の顔を凝視した。

「別に何も。」光田は両手を上げて手のひらを見せる。

 そしてやれやれ、という感じに首をふった。

 内心少し申し訳ないと思った。光田に悪気があるわけじゃない、少し僕を会話に引き込もうとしただけだ。そう考えながら、僕はそのように自分を説得しにかかるくらい、不快感が高まっていることを感じる。これ以上ここにいると、お互いのためにならない、と思い、僕はさっさとその場から離脱した。

 …そっくりだからなんだというのだろう?

 轟音がして向こうの方を見やると、二機戻ってくる。全く同じタイプの機体。当たり前だ。量産型なのだ。

 確かにそっくりだろう。だって、そういうことになっているから。

 みんな同じようなやつだ。

 光田だってそうだ。

 前の基地にいた滝原。中規模演習中に僕から30メートルも離れていないところで打たれて、空の底に沈んでいった。その滝原にそっくりだ。

 もちろん細部は違う。滝原は青い目で、光田は茶色だ。けれど、根本的には同じだ。僕にはわかる。

 光田と滝原はほぼ同じだ。そして、滝原の前もいただろう。

 正直、僕はもう何年戦闘機パイロットをやっているのか、覚えていないのだ。

 二つ前の基地までは思い出せる。そして、三つ以上前があったことも確実だ。しかし、正確にいくつとなると思い出せない。

 おそらく、僕の嫌いな事務室に行けば、そんなものはいくらでも保存されているに違いない。馬鹿でかいドキュメントファイルに信じられないほどの厚みで、僕に関する記録があるのだ。

 しかしそれは僕に対して公開されることがない。もしくは公開されうるとしても、いくつかの複雑な手続きが必要になる。

 毎日空を飛ぶ日と飛ばない日の繰り返し。飛ばない日は地上でぼんやりとして何もやる気が起きない僕。そんな僕に、長いスパンの時間がかかる複雑な手続きをいくつも行うことはできない。

 いいのだ。正直、過去も未来も僕にはあまり関係ない。

 現在に関しても、それほど身に迫るものとして感じられない。

 面倒なことを避け、ほどほどに期待通りの受け答えをし、べたべたとして醜悪なものを見ないようにする。僕にはどうしようもないものが多いから、そういうものに極力触らないようにするのだ。

 もう何年も、僕は本気で怒ったり笑ったりということがない気がする。

 いつでもあらゆるものから手が離せるようにと、そうして生きているのだ。

 

向こうから草薙が近づいてくるのが見える。

僕はタバコを取り出して吸い始めた。

「ちょうだい」

黙って一本差し出す。

「ありがと。」

マッチを擦って一息すると、草薙はこちらの方を向いた。

「コーヒー飲む?」

「まあ。」

夕焼けに照らされながら、偵察機が二機帰って来た。

 

さっきのは、街に出るという意味だったのか。

頭がぼんやりとしていて、うまく運転に集中できない。

助手席で草薙は携帯を開いて少し何事か打ち込んでは、閉じることを繰り返していた。

「エリア長?」

「あのクソババァ」

「そんなに悪い人には見えないけど」

 草薙は僕を睨むと、何か小さな声で口走ったが、風がビュンビュンとあんまりうるさくて、聞こえなかった。

 草薙が大変な立場にいることは、僕にもわかっていた。基地全体の戦略策定、演習の準備、それに僕たちの世話。

 もちろん、僕は世話されているつもりはない。自分のことは自分でやれる。迷惑をかけているつもりもない。けれど隊員同士の軋轢の話は、聞かなくもない。

 面倒臭くて僕は関わらないし、草薙もそういうのは嫌いなはずだ。だけど今、草薙はそういうのに気を配らなければならない。

「またあそこで飲むの?」

「いや?」

「いやじゃないけど。」

「そう。」

 日が沈む。前方11時方向に、昼ごろ飛び立っていった土岐野の飛行機が見える。

 あーあ、見つかるな、と僕は思う。別になにもまずいことはないはずだ。しかし、隊長と平の隊員が二人で出かけるということはあまりないのだ。だから、そういう意味では、やはりまずいのかもしれない。

 まずいというか、あとで色々聞かれて面倒かもしれない。

 けれど草薙はそんなことは気にしない、と言わんばかりに手をかざし、飛行機の方を見た。夕日にその肌が照って、目元が怪しげな暗さを帯びているのが一層明らかだ。

「あんまり寝てない?」

 聞こえなかったのか、無視しているのかわからないが、草薙はそれには答えずに、「ここ左」とだけ言った。

「街はまっすぐだよ」

「いいから、左。」

 僕には左の方に何もないように見えた。

 起伏のある草原。

 風が強い。

 一応、道らしき道はある。

 ゆっくりと僕は左に曲がった。

「今度研修を受ける。」

 草薙は言った。

「何の?」

「もう少し上にいくための。」

 「すごいね」と言いかけて、僕はやめた。草薙は本当にそういうことを面倒がってそうだったからだ。けれど、草薙がそれほど面倒なことをなぜ続けるのか、僕にはいまだにわからなかった。

 少し進むと、丘が少なくなって来て、視界がひらけた。相変わらず草原だったが、ひときわ草深くなっているところに道が続いていて、小さな家屋が見えて来た。ヨーロッパの冬寒くなる地域によくありそうな、頑丈な家だ。ただし、「屋敷」とまでいうと大げさで、サイズとしてはそこまで大きくない。四人住んだら窮屈、と言ったくらいだろう。

 それがくっきりと見えるころには、日もほとんど暮れて、僕たちは青黒い光に包まれていた。

 虫の声がいたるところでする。

 今頃土岐野は基地に戻って、大テーブルのラウンジでみんなに、僕と草薙を見たと伝えてるだろう。

 でも、それがそのあとどのような話に繋がるのだろう?

 僕にはよくわからなかった。本当はよくわかっているような気もするが、考えるのが面倒で、わからないことにしたのだ。

 車を止めると、草薙は扉をあけてスタスタと玄関に向かい歩いていく。僕には目もくれないような無下な身振りだ。けれど、僕にとっては車を止めるまで待ち続けられるよりも正直楽だ。

 しかし、ここはどこなのだろう。

 もう何年も使われていないような郵便受けの根元にしゃがみ込んだ草薙は、そこに隠していた鍵を取り出した。そしてそれを僕に投げ渡す

「開けて」

 草薙の方は、家の外観を写真に収め始めた。

 玄関先には数株のグラジオラスが咲いている。住んでもう少し丁寧に手入れすれば、全体として気持ちの良い家になりそうだ。そう思いながら、鍵を差し込みはしたものの、うまく回らない。

 僕の部屋と同じだ。

 強く回しても、弱く回してもうまくいかない。

 宥めすかすように、少しずつ加減を調節し歯が噛むのを待つ。

 なんだかこんなことばっかりやっているような気がしてくる。

エヴァンゲリオンの中の愚かな人間たち

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 お正月にPrime Videoにエヴァ序・破が入り、何事にも基本的に集中できない飽食と惰眠の二、三日、なんとなく改めて観たのだった。実に五年ぶりくらいだった。というのもQは気になって何度か折に触れて観てはいるものの、序と破はQの前座のような気がして、ストーリー的にも序などイントロダクションのような感もあり、観返すほどではないと思っていた。

 そのような感想は特に変わらなかったが、働き始めた自分自身の経験からの捉え返しもあり、今回得た印象は、エヴァンゲリオンというのはネルフという組織を描いた話だということだ。そんなの当たり前だろ、と思うかもしれないが、私が言っているのは、そこに日本的組織が抱える問題点と葛藤が描かれている、ということだ。以下ざざっと駄文を書きなぐる。

 

シンジくんはむしろ普通の若者

 シンジくんはよく見ると別に弱い子でもみっともない子でもなく、私が同じ立場でもエヴァには乗りたくないし、お父さんに反抗しつつもその愛を求めてしまったりするのだろうと思う。そんなちょっと内向的な普通の若者であるシンジくんがみっともなく弱い子だと思えるとしたら、それはネルフという組織に内在するおじさんたちの、「自分たちのミッションに積極的に貢献しようとしない若者は弱い、格好悪い」というステレオタイプを観衆が内面化してしまうがゆえだと思う。

 そしてこれは別に、会社で頻繁に起こること・・・な気がする。幸い今の職場(職員室)でそういう経験をすることはないが。

 例えばある会社が売り上げ目標を立て、まあ大して役にも立たなさそうな商品をひたすら売りさばかなければならないとして、もしそこで商品の社会貢献性なり、売り方あなり、なんでもいいが疑問を持って「こんなものを売りたくない」などと言おうものなら、「結果を出せないから逃げる」「言い訳ばっかり。みっともない」「自分の殻を破って売ってみろ」などと言われてしまうのではないか。

 

誰も言葉をうまく使えない

 シンジくんに欠けているものは自分の問題意識を言語化する能力である。なぜエヴァに乗りたくないか、なぜ周囲の人たちのいうことに自分が反発するのかを彼は明確に説明できない。そして、彼の周囲の大人たちもそんなシンジくんの悩みの核心をすくい取り、彼を根底的なところで説得することができない。今回見て思ったのだが、シンジくんの理解者だと思っていたミサトさんは、公平に見て時折当たらずとも遠からずなことはいうが、結局はすぐ精神論になってしまって、ダメだこりゃ、と思った。こういう人すごいいそうだけどね。

 こうした根本的なところでのディスコミュニケーションが、作品を覆う人と人との間の感情的・性愛的なやりとりの表面化につながっていると思う。

 赤城リツコさんおよびそのお母さんが碇ゲンドウに手篭めにされたこと。私にとってはシンジくん以上に、そちらが気になっている。優秀な研究者が男性との性愛関係からぬけだせず、叛逆を試み、かつは失敗し死ぬ。死後もシステムの中に生き続ける母親は、娘とともにゲンドウに反抗することよりも、あくまでその腕の中に抱かれることを選ぶ。女天皇を手篭めにした道元を、なんとなくゲンドウという名前から思い起こしてしまう。理性の敗北は、人間存在というものの卑小さを表しており、こうしたネルフ内部の動物的な人間同士の関係のありように比べれば、優れて魅力的なフォルムを持つ使徒キリスト教神秘主義のモチーフなど一体どれほどのものだろうと思う。

 

愚かな日本の組織を描く庵野監督

 いや、そうした卑小な人間存在のあまりにも打算的な目標の追求や、自分で決めてしまった規範に絡め取られて生きることの、本人にとっては深刻であろうが、組織から降りることや逃げることを肯定する微温的な言説が氾濫する現代から見るとどうしてもただ単に「愚か」といってしまいたくなるようなありようが、まさかの神の意志や世界の崩壊といった、その小ささに対比した時めくるめく大きな状況と直結してしまうことが、作品の魅力を構成しているのだろう。シン・ゴジラもしかりだが、庵野秀明は日本の組織のあり方、その中での卑小な人間模様を描くためにこそ、巨大な怪物を作中に出現させているように思う。世界を滅ぼしかねない使徒と戦うのが、モラルの低下した、どこぞのブラックな中小企業にいそうなネルフの人間たちというあまりにも終わってる状況は、むしろエヴァンゲリオンの本領なのだろう。

大江健三郎における「本当のこと」

 先の記事を書きながら、大江健三郎の作品を長らく読んできた身として、どうしても「本当の事」というフレーズを大江健三郎と結びつけて思い出さざるを得なかった。

 

summery.hatenablog.com

 

 Betterさんのモデルになった人が意識していたかはわからないのだが、「本当の事」は大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967)における鍵語である。

コギト工房 大江健三郎 万延元年のフットボール

bookclub.kodansha.co.jp

 

 『万延元年のフットボール』のあらすじについては上記記事で明らかであろうが「本当の事」は観察者=語り手=根所蜜三郎が描き出す行動者=蜜三郎の弟=鷹四が静かに、かつ、熱狂的に追い求める対象である。作中では鷹四は最終的に「本当の事」にたどり着くことができずに猟銃で自害するように描かれる。服部訓和はこの結末につき、自害によって読者に提示される、ざくろのように割れた鷹四の身体こそが、むしろ「本当の事」の内実であったのではないかと述べている。

ci.nii.ac.jp

 

 大江はこの作品に限らず、死んでゆく行動者とそれを観察する語り手という二者を度々小説に現してきた。『万延元年』から実に40年近く経ち、発表された作品『憂い顔の童子』には、この「本当の事」問題が、行動者から観察者=語り手に受け渡されていることがわかる。下引用部「古義人」は大江健三郎自身の似姿である、老年の作家=語り手のことを示している。

ウソの山のアリジゴクの穴から、これは本当のことやと、紙を一枚差し出して見せるのでしょうか?死ぬ歳になった小説家というものも、難儀なことですな!

大江健三郎.憂い顔の童子おかしな二人組」三部作(講談社文庫、初出2002年)(Kindleの位置No.137-139)..Kindle版.

 

そして千樫がつたえたのは、古義人さんがウソの小説の山ひとつできるほど書いてから、歳をとって紙きれ一枚分でも本当のことを書くならば、それは本当と信じてやってほしい、というものだった。吾良さんのことを思うてベルリンで働かれておる間でも、その後のことになっても……

同上(Kindleの位置No.207-210)..Kindle版.

bookclub.kodansha.co.jp

 

 「本当の事」に惹きつけられ、それにたどり着くことと死の招来を同時に行ってしまう行動者の系譜とは裏腹に、観察者の系譜は、迂回を繰り返し、迂回を積み上げていくことでこそむしろ、対象に接近することを試みる。二人の女性たちが語り手=古義人の「本当のこと」について言及するように、古義人は迂回を繰り返す中で、周囲の人との関係性を切り結び、彼らに後押しされるように小説を書き続ける。

 小説を書くことの中で追及される「本当のこと」とは何か。それが最近気になっている。おそらくそれは、言語以前の領域ということになるのだろうが。

 80年代の大江作品では、超越的なものに傾倒する語り手がしばしば登場する。彼らはいわば「本当のこと」に惹きつけられており、それを書き終えれば書くべきことは全て終わるような、究極の小説、最後の小説を構想したりもする。

 しかし小説中、語り手のそうした試みは基本的にいずれも失敗で終わるのだ。そして、むしろ超越的なものに対する接続が断たれた地点でこそ、他者と交感するトポスが開かれる。大江におけるフィクションは、この最後の小説を書けない地点から始まっているように、私には思われる。

 

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 大江健三郎については以下の記事も書いたのでよろしければあわせてご笑覧ください。

 

summery.hatenablog.com

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