目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

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 何かに集中することが出来なくて、学校から帰ってから夕飯を食べ、ベッドにねっころがると、そのまま散漫な集中力で二時間くらいすごしてしまい、そのことへの後悔があまりに激しいので休養にならない休養となった。休養にならない休養をしてしまったことに怒りを抑えられない。そしてさらに疲れていく。

 

木のテーブルの隅にそらの青が映り、それらの木の表面の使い込んだ表面に空が反射している。

 

 二時間くらい何をしていたのかと言うと、まずはインターネットをやる、ここまではまだよい(なぜなら、それは一応僕の関心を惹き付けるので、眠くならないからだ)が、問題はそのあとである。本でも読もうとなるが、寝転んだ状態で本を読むのは僕にとっては本当に無理なのだ。眼鏡を外すから、視界がぼやけ、それだけで眠くなるのに、文字が読んだそばから頭を抜け出ていき、そのうち文章が二重に見えてくる。僕が昨日読もうとしたのは『晩年様式集』だったが、登場人物もそれらの関係も全くわからなくなってしまったので、断念した。もう下手に向き合おうとしない方がよいだろう。そのあとに『仏陀の言葉』も読もうとして、こちらも断念だった。これらのことから、散漫な時には散漫な時にふさわしい本を読むべきだということがわかる。例えば、興味はあるが手を出したことがなかった社会問題などに関する新書などは手軽で良いのではないだろうか、僕はいつでもしっかりやらなくてはならないという義務感が強すぎるのかもしれない。

 しかし、このようなことが一度でもあるととても信じられないほどに落ち込んでしまうので、そのような時は自分の学生という身分に本当に感謝するのだ。これで一人暮らしをしていたら立ち直るのに時間がかかるだろうな、立ち直る、と言っても、たった三時間、ぐだぐだしてしまっただけのようにも思われる。そう単純化すれば、いとも簡単な話のようだ。ところが僕はこのことが僕にとって根深い問題だということを十分に知っている。こういった状態がどろどろと重なったその泥濘の中に、いつまでも埋没しうることを知っている、僕の全てを鈍らせるようなそのどろどろと不快な怠惰を(怠惰というと気持ち悪いが)僕は心の底から憎んでいる。それは僕にとって何の必要性も喚起しない感情である。それは麻薬のようなものだ。そして今僕は、これが僕にとって最大の敵なのではないかと感じ始めている。しかしこれの根源がよくわからない。いつから僕は定期的にそれらどろどろしたものに襲われるようになったのか。