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目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

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 時間が出来るとその分なにか楽しもうと思うが、その方法をあまりに知らないために、遠出をし文化的活動をすればいいと思考が固まり、気づいたら美術館に来ている。しかもそこであまり真面目に美術品を見ると言うのでもなく、むしろ本を読み始めてしまうからあまりリラックスにもならない、気分転換が出来ればいいだけなのだが。この怠惰な習慣づけをどこかで断ち切らないかぎりは、僕は何一つ新しく物事を初めることができない。ここにわざわざそのようなことを書くのはそういう理由だ。

 たとえばあなたに丸一日、暇な休みが与えられたとして、あなたは何をするだろう。その休みは思いがけないものであったので、あなたは誰一人友達を誘っていないし、何の予定もないのだ。読みたい本はあるし、よく考えたらすべき作業はある、が、そのような日に限って、外はなにやら快晴で透き通る風を感じもする。それらのどろどろとした時間の中であなたは一旦途方に暮れる(ここから「あなた」は僕になる)途方に暮れるあなたを取り巻くそれらの時間はそれを意識すればするほどどろどろと固まってくるので、あなたを見ている僕もそのどろどろとした時間に足の先を突っ込む様であるのだ。果たしてあなたにどのような選択肢があるだろう、それらの時間をあなたが手際よくさばくことが出来たとして、そのことはあなたに手際よく時間をさばいたという以上の満足感を与えることが出来るか。

 退屈な時間を過ごすことは本当に難しいことで、僕はそれを常にもてあます。映画を観るのも、本を読むのも、なにかが違う気がする。しかしこの違う気がするというのは単に時間の使いかたに正解は無いという以上のことを意味しない。誰にとっても退屈はそのように、何一つ手応えがないところから来る。だからその手応えのなさを払拭するためには、何か一つのことに集中して時間を投下するべきだ。そうすれば、時間を投下したという事実が結果物として手元にのこる。何でもよいから目先の何か、つまり、一日にあまり多くのことをしようとしないことがポイントではないか。

 私はそう考えて、あなたの生活を振り返ると、あなたは日曜日に図書館にこもって毎週朝から晩まで本を読む一人の少年を絶えず意識しながら、そうなれない自分に大して不甲斐なさを感じつつ、そうならない自分にある種の余裕を見つける、どちらにしてもくだらない話だなと思う僕はまたどっちつかずのどろどろとした時間に身をまかせ、夕方に憂鬱を募らせることになる