目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

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 それで肝心のノモンハン事件にどのように本編が関わるのかという問いなのだが、それに僕は答える準備が出来ていないので、気になった点を挙げることにとどめる。

 

 まず、語り手の間宮は既に戦争体験から何十年もの時を隔てた現代の視点から語っているから、ノモンハン事件の語りは、必然的にノモンハン事件は失敗し、また日本は負けたという点に必ず落ち着くはずで、必ずそのような終わりになることがわかっている。その中で語っている。聞き手の岡田も読者も日本が先の大戦で敗戦という結果に終わった事は知っているはずだから、そのような結果に収斂することをわかりながら聞く。

 また、間宮は語り手であるのだから、同時に間宮が物語の中でどのような危機に陥ろうと、最終的には生き残るということはこれもまた自明のものとして語られるし、聞かれる。 

 ところで、間宮は当時から、自分が生き延び、小隊の他の構成員が本田を除いて死ぬ事を知ってしまっていたのだ。間宮は予言者ではないからそれがいかなる形で行われるかを知らない。しかし、彼は本田という予言者からそれを聞いてしまう、予言のみを知るものとして、既に結末を知っている状態の観察者として物語の中で振る舞う。

 つまり、このノモンハン事件の挿話で間宮は、語り手としての現在の間宮が話の着地点を知りながら話を開始しているのと同じく、予言の力により、結末を知りながらそれを生き、苦しむという役割を演じている。

 ここに示されているのは、歴史と予言の力とが合わさった、奇怪な運命の駆動力である。その前に間宮はなすすべもなく、そして間宮以外の兵隊はそれを知る事もないままなぎ倒されて死へと至る。

 翻って、岡田に予言を与える老いた本田と加納姉妹の予言はひどく抽象的だ。それはすでに運命というものがありえなくなっているような感を催させる。