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目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

28 つづき

 僕はそれからどのように死ぬか、そのことばかり考えていた。それはどのように生きるかという問いと不可分であった。なぜならどのように死ぬかと考えることはつまりは生きることだったからだ。このままでは僕は不明瞭になる一方だと、そればかり思った。小笠原に旅行に行ったのはつまるところ、そんなときだった。誠実な夫婦が切盛りする、小さなペンションに泊まった僕には何もやることがなかった。ブタ海岸という海岸の名前を地図で見つけて、その名前の面白さだけに惹き付けられ、そこに辿りつく為に小さな山を越えた。雨が降っていて、燃えるようなオレンジの野生のヤギに遭遇したときは死を覚悟した。僕は野生の動物と向き合ったことなんてなかったのだ。

 「これはこのペンションに泊まって頂いた方にお土産としてもらって頂いているんです。お父さんが毎回とってくる、白サンゴなのですけど。」

 壊れやすいことそれ自体に強みを見出すような、成人男性の片手ほどもある白サンゴを頂くと、僕はそれを鞄に一応しまいはしたものの、それは東京に帰るまでに壊れてしまっているだろうと思った。それはこの島から持ち出そうとすると壊れるものだ。そして僕の対面している、40に入るか入らないかほどのオーナーの女性は、僕の中のあらゆる誠実な女性像の権化のように感じられ、それが壊れやすい白サンゴと不思議に重なりあいながら思い出される。

 足下がつるつると滑る山道をひたすら下におりながら、僕は二度、ロバの様に大きい、しかしよく見ると確かにヤギである、燃えるようなオレンジのヤギを見た。一度は山道にて遭遇という形で、二度目はそれが僕の歩く道の斜め上にあるおそらく獣道から見ているのがちらりと見えた。山から下りてきた彼が僕と並行して歩いていることに気づく。それは僕しか気づかない。上のヤギもそんなことについてはしらんふりをしている。それを見て僕は「ヤギだ」、「ヤギはいいなぁ」と思う。「僕がその鼻面を触っても、やっぱりそこでじっと、確固としているのだ。」と口に出してつぶやいたような気分になる。

 その日は風が強く、ブタ海岸から見える海は濁っていた。もっとも、白砂の白をみればそれが平時にはよほど綺麗なのだろうということは容易に推測できた。誰も人がいない、やや荒れ模様の海で泳ぐ勇気の無い僕に、浜辺にいくつも空いた穴がかたりかけるようである。「ここに空いています、ここにカニがいます」それは正しい意味で、カニがそこにいることを示す単なる記号として空いているように見えた。