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目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

29

 一心不乱に穴を掘っては堀崩した砂のなかに空く、更に深みへと続く穴を見つける、それはいとも簡単に埋まってしまうから、途中から僕は手近な木の棒でそれを刺し、目印にしてから周囲を掘り崩していった。そうすると、常に次にどこを掘ればいいのかわかるからだ。40cmほど堀った、こんなに深くまでカニは行くのだ。しかし、もうすぐだ。僕にはカニが僕が掘るスピードよりも早く地面を掘る事が出来るとは到底思えなかった。あるいはそこにカニはもういないかもしれない。しかし、そこには例えばカニの居た痕跡はあるだろうと思った。

 何十回目かに棒を刺した時固いものに当たったために、僕は慎重にそろそろカニ、もしくは行き止まりなのだ、と思った。ゆっくりと手を差し伸ばすと、固いものにあたった。カニだ、と思い、それを一気に引き出す。けれどもそれは甲羅だった。それはアオウミガメの子供だったのだ。そしてその首には僕が目印の為に指した棒が突き刺さっていて、それは最後の息を引き取るところのように見えた。青というより濃紺で、やや固い皮膚、何度も図鑑で見たその皮膚の裂け目は今までに僕の中でカメのイメージと結びついた事の無いような柔らかなピンク色をしていた。

 前日に島の中心部のウミガメセンターで今が産卵期だと聞かされ、また島の人々のカメを守る努力を知らされていた僕は驚きと後ろめたさで一杯になった。けれどもそれは5分ほど経ったあとの話で、それがカメだと知った時には僕は、それをこのように浜を掘る僕の一心不乱さに潜むある種の暴力性に対するしっぺ返しの様に感じたのだ。それはこのように野生の抵抗として現れる。僕の手に収まる大きさのアオウミガメの子供は頭と四肢をだらんと僕の手に横たえ、それを直視しないでいることを許さない。僕にはどうしても納得がいかなかった。カメはそのように地中深くに卵を生まない。また、これほど脆弱なカメの子供が自分で穴を掘るようにも思われない。それでは、カニがカメの子供を攫んで自分の巣へと連れて行ったのだろうか。

 それにしても僕は、自分の一撃がカメを殺害した様に思えた。そのような小さな殺害を僕は思った。あるいはそれはカニにより地中深くに連れて行かれたあともまだ少しく生きていて、もはやそれが適わぬほど衰弱しながらなおも最後の逃亡を測ろうとしていたのかもしれない。僕のあこがれた小笠原、青い海、星の降るような天、そしてアオウミガメの産卵。僕の手の中の小さなカメには僕の様に五本の指を持つ手がない。それは小さなひれになっている。そのひれのかさかさした、しかし時折思いがけずやわらかな、つぶつぶとした表面が僕にはこの南の島の多くの体験をなでるように統合したものとして思い出される。そのひれの中に、夜にヤシの木の下でじっとこちらをみていたオガサワラオオコウモリも、島コーヒーも、ペンションの奥さんもいる気がする。僕にはその小さな殺害を遂行する意図はなかった。それ故にこそむしろ僕は、それを素直に受け入れることが出来る。アオウミガメが不意の一撃で即死したとき、僕も不意の一撃を食らったのだ。論理立てて言う事は出来ないが、恐らくそれは一言で言おうとすると、「生きなければならない」という命令の形で現れた衝撃であり、生き続けることで僕ははじめてその正しい意味を知るだろう。