目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

 この間とある飲み会に出席して「いまなにしてるの?最近なんか面白い劇見たり美術館行ったりした?」と聞かれた時にあまりに何もなくて自分で驚いた。そうだ、私は大学三年生の前半までは一月に一度以上は美術館に行ったり演劇を見たりしていた。映画も結構見ていた。けれどそういったことはめっきり無くなってしまった。

 何故だろう。夏休みは卒業論文のことで頭がいっぱいで他に何もできなかった。準備をしていたわけではなく、卒論の文献を熱心に読んでいたわけでもない。ただ、気持ちが落ち着かず色々と行く気にはならなかったのだ。旅行にも行かなかった。喫茶店にいった覚えもほとんどない。読書ノートをつけておくべきだった。もはや私が何をその時期に読んでいたのか知るすべがない。私は確かに何かを読んでいた。読むことで時間を過ごしていた。そのはずなのだけれどもなぁ。8月に留学から帰ってきたこともあってか、日本語をとっくりと読むのが久しぶりで、それだけでなんだかいくらでも時間が過ごせたのだ。朝起きると卒論の焦りを感じ、図書館に向かうしかなく、図書館に着くと全く関係ない本を取り出して朝から晩まで読んでいた。そして満足して帰宅していた。

 同時代のすぐれた芸術を鑑賞するとき、それを見はじめてすぐ、体がすうっと軽くなって、拘泥していた重しから解かれた気分がする。私は自家中毒になっていたのだ、と思う。私の手はいつの間にか重くなっていて、私の頭の明晰さはいつの間にか半減している。そしてそれが進行中に同時に認識できない以上、私は自力でそこから逃れることはできなかった。

 私を自由にしてくれる言葉と出会えていない近頃。最近では『さようなら、ギャング達』で女につけられた名前、「中島みゆきソングブック」というものが最後だった。真に新しい経験だったと思う。決して結びつかないCD集と個人の名との融合その一行でかったるい中小説を読むことにとりあえず決めてよかったな、と思ったのが今も思い出される。

 

 物語には飽きた。今更冒頭何10ページも読んで、舞台設定を頭に入れてから内的に世界を構築し、参入しなければいけないような小説を誰が読むんだろうとすら思う。