目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

もうすぐ働きはじめる

 もうすぐ働きはじめる。そのことに、大きな期待と若干の不安を覚えている。今回は不安の方について

 

同質的な集団

 

 高校・大学・大学院と同質的な集団の中で生きてきたと思う。

 「同質的な集団」という言葉で、私が意味するのは、同じような人生を送ってきた構成員の集まりからなる集団のことだ。それでは、何をもって「同じような人生」とするのか。厳密な規定を行うべき場所では、ここはないから、私自身の規定を述べる。

 私が数分話して、あぁ、この人も私と同じような人生を送ってきたのだな、と判断するとき、主に以下の諸点を見ている。

・考え方の掴みやすさ

・話の聞き方や相づちの打ち方

・話し相手との距離の取り方

・会話におけるノリの様子、笑うタイミング、笑いが惹起されるような話の内容

 もちろん、所属や中高時代の話を聞くのが手っ取り早い。しかし恐ろしいことに、そんなことをしなくとも、以上に着目しながら数分話せば、あぁ、同じような人生を送ってきた人だ、とわかってしまう。自分でも驚くほどに、あまり外れない。

 

同質でない人間たちとの遭遇

 

 自分と同質の人間を見つけ出すスキルに気がついたのは、最近のことである。具体的には、就職活動を始めてからだ。それで、そもそも会話をする時点から、これまでと異なるやり方が必要な場面があるということに気づいた。当然、とても疲れた。

 私が相手に対して劣っているわけでも、ましてや優っているわけでもない。ただたんに、前提としていることが様々に違うので、合わせていかなければならないのだ。

 そうか、私はいつも、だいたい同じような人とつきあっていたんだな、と思った。同じような人、とは、自分にとって気安い人という意味ではない。そうではなく、苦手な人であれ、緊張を強いられる人であれ、すくなくとも、背景は同じであるということだ。そこから、もちろん様々に分岐しうる。けれども、根本的には同じである、という感じだ。

 だからこそ、就職して、これまでの大前提が崩れることが、少し不安だ。

 

新しい価値観へ

 

 こうして書きながら、なんともへんなことを考えるようになったものだ、と思う。

 小学校に上がるときだって、中学校に上がるときだって、高校に上がるときだって、私はそんなことは全く考えたことがなかった。むしろ、どんな新しい世界に飛び込むのかとドキドキしていたものだ。

 それなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。