目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

ワークライフバランスって本当になんだろう。

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 ここ数日、ワークライフバランスについてつらつらと考えていた。今回は、自分がやっている大学の授業の手伝いを関連させながら、ワークライフバランスについて考えたことを書こうと思う。

 

暇すぎる仕事

 大学の授業の手伝いをしている。いわゆるTAというやつだ。仕事内容は主にプリント配布、出欠管理などで、当然、仕事中の80%以上は、待機が業務となる。

 この業務、主観的には「暇」の一言で、研究室の先輩たちもこのTA業務をあまり好んでいない。「暇でしょ、つまんないでしょ?」とよく言われ、まぁそうだな、といつも思う。それならなぜ続けているのかといえば、学内で授業の合間の空き時間にできる手軽なアルバイトだからだ。つまり、お金がもらえるからである。

 

暇な仕事にも価値はある

 しかし、もちろん全くお金のためだけ、というわけでもない。主観的にあまり面白くないこの仕事は、重要であることは確かである。私がいなければ教員の負担は重くなり、その分、生徒に対して与えられる教育の質が下がる。教員にとって、思い思いのタイミングで授業に対するちょっとした批評を求めたり、ちょっとした作業を頼めたりする人間が一人待機しているということは貴重だろう。塾講師のバイトを何年もやっていた自分には、とりわけそれがよくわかる。

 つまり、暇な時間が多く、ありていに言えば面白くないこの仕事は、価値を生んでいるといえる。それも、「教育」という題目のもと、このように簡単に言語化できる程度には、わかりやすい価値を生んでいるのである。

 

ライフに使える時間がいっぱいな職場

 話は飛ぶが、ここ数日、ワークライフバランスについてつらつらと考えていた。友人が、とても労働時間の少ない職場に内定したという話を聞いてからだ。

 その仕事とは、図書館関連の仕事で、給与は決して高くないが低くもなく、だいたい18時半には家に帰れるという。それを聞き、私には、自分の趣味にも、子育てにも時間が費やせる、理想の職場があるものだなとうらやましく思った。

 しかし、職務はルーティンワークが中心で、創造性を発揮する余地は少なく、キャリアアップとは無縁な職場だとも聞いた。これをどうとらえるべきかということをここ数日考えていたのだ。

 

ワークライフバランス」でリスク回避

 仕事に思惑通りの自己実現を求めることは、どこかの組織に所属しようとする限り、基本的に難しい。組織の中では、自分が望んだことをさせてもらえないのは日常茶飯事だからだ。

 従って、専門職など、ある程度働き方が固定してしまっている職に就く場合や一から自分で起業するのではない限り、働き始める前から、働き始めたあとのことを予想するのは難しい。どれだけ慎重に選んでも、企業に勤めるという選択をとる限りにおいては、自分の思惑通りの働き方ができるということはない。

 しかし、どのような場合であっても、落ち着いて熟考する時間が多ければ、現状を冷静に省みたり、必要であればそこから脱出する術を模索することはできる。そうだとすれば、就職活動において考慮すべきは、ワークライフバランスを考えた職選びだと言える。就職活動において、私はそう考えていたし、この考え方は間違ってはいないと思う。とりあえず、ここまではよいだろう。

 ただし、このような思考の過程を経てたどりついた「ワークライフバランス」の考慮の必要性は、つまりはリスクを回避するためのものである。仕事に対して前向きに思考することを通して「ワークライフバランス」にたどりつけていないことが、自分の中ではずっと気になっていた。

 もちろん、時間があるということは、より創造性の富んだ仕事を可能にするという意味で、業務に対してよい影響を及ぼす。よりよく働く事を目指すことと「ワークライフバランス」とは相互補完的なはずだ。

 しかし、このようなポジティブな意味での「ワークライフバランス」の捉え方は、仕事の内容がわかってこそ本当の意味で実感することができるものではないだろうか。ということは、働き始める前段階である今、ワークライフバランスは、とりあえず時間が確保しうる、というほどのことでしか、実際的にはありえないのか。どうなんだろう、ということを考えていた。

 

TAが1日8時間なら、ワークライフ抜群なはず

 最初の話に戻ろう。

 そのようにしてつらつらと考えていた時、毎週の事ながらTA業務が巡ってきた。

 そして、このTA業務こそが、漠然と羨んでいた、友人が勤めることになる図書館の仕事に似ていると思われた。以下の点が、類似点だと考えられた部分である。

 

  • ルーティンワークであること。業務の細部において、専門性や創造性は問われる。しかし、業務フローをダイナミックに改善するような創造性の介入する余地は少ない。
  • 毎日変わらず同じ事をすること自体が価値を生むような仕事である。
  • 業務フローが確立してしまっているため、業務時間の縮小も延長もありえないこと。

 

 ということは、青い鳥が最初から家にいたように、私も最初からうらやんだ職を持っていたということになる。もし、大学の授業TAを毎日8時間やるという仕事があったら、ワークライフバランスは抜群だろう。

 

ワークライフバランスってなんだろう

 しかし、そのような職に就く気は起きないかもしれない、と思われた。ここまできてはじめて、やはり、職自体にやりがいは必要だ、と思われたのである。

 結局、「ワークライフバランス」を、私は、ライフをワークから守るための概念としてしかとらえてなかったのだな、と思う。しかし、本当に考えるべきは、ライフとワークとが相互に良い影響を与え合うような有り様を労働する個々の主体が自分にあった形で見つけることはいかに可能か、ということのはずだ。

 ライフの経験がワークにフィードバックされるとともに、ワークがライフを豊かなものとする。そのようなライフとワークの相互連関のあり様を自分で見出していくことができなければ、バランスをとれているとは言えないだろう。充実したライフと不満に満ちたワーク、もしくは、冷え切ったライフと充実したワーク、どちらの組を抱え込んだとしても、あまり長続きするようには思われない。前者の場合、ワークはますます忌避すべきものとなっていくだろうし、後者の場合、人生はワークのためのものとなっていくだろう。

 

就労に対するシニシズムを超えていくには

 もちろん、私はワークに対してライフを守るという企図が託された「ワークライフバランス」という言葉の使用法を否定するわけではない。実際この言葉が日本で脚光をあびることになったのは、「ブラック企業」「ブラックバイト」などの違法な過剰労働がとりざたされはじめた時期と並行しているのではないかと思っている節があるからだ(全然見当違いかもしれないが)。というか、悪しき労働条件がこれだけ社会問題化されている今、働く事が怖くないわけはないでしょう、と素直に思うし、周囲を見ていても、皆働く事にネガティブな印象しかもっていない。

 働くことへのシニシズムが軽減され、ライフとワークとが相互に良い形で刺激しあうようなポジティブな働き方ができればよいなあ、と切に思う。だけど、仕事が始まる前の段階=仕事内容が本当には想像できない段階で、それに向けて準備することっていかに可能なのかな。