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目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

飼っていた猫に批判されつづけた高校時代

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 泣きながら目を覚ました。死んだ猫の夢を見たのだ。彼が死んでゆく様子は随分前に書いたことがある。今読み返すと、当時の文体に小っ恥ずかしさを覚えるけれど、とりあえず貼っておく。

 

summery.hatenablog.com

もう一度出会う

 夢の中で、私の猫は死ぬ前の苦しみを反復していた。病院から帰ってきた彼を抱いていると、彼は突然不穏な鳴き声を発し始める。当時は、それを「どうしたのかな」というくらいにしかとらえていなかった。それが、死へとつながるような彼の中の決定的な異変だったと後からわかった今、夢の中で、病院から帰っていた彼を抱く私の視界の隅には黒い靄がみえる。自分の夢ながら月並みだが、「死の影」というわけだ。一見幸福そうな彼を抱く私を靄がとりまいている。その私を私が見ている。多分、彼と私のシルエットの少し後ろから。彼が不穏な声で鳴き始め、心配そうな顔をする私、そして、すでに結末を知っている私。悲劇が起こる。そしてそのことを知りながら、私は私と猫とを見ているのだ。

 そのあとは、昔の記事に書いた通りだ。彼は呼吸困難に陥る。そして、もんどりうって、床をかきむしって苦しむ。私は彼に呼びかけるが、彼は私を見ていない。床をかきむしる彼のお尻からむりむりと糞がひり出る。私は、私の猫が文字通り巨大な力にしぼりとられているように感じる。大きな手に捻られ、その中身が出てきてしまっているようだ。

 彼が死ぬところに改めて出会った私、いや、現実には、それは見なかったのだ。私は彼が死ぬ時、部屋から出ていたから。けれども、夢の中ではそれと出会っていることになっている。

 彼が死んだのち、なぜだか私は、彼と対面している。若かった頃の彼と。残念ながら、学業方面での忙しさと、高校時代以来音に過敏になった私が感じる鳴き声への鬱陶しさとで、最後の2年ほどは、いつもまともにかまったとは言えなかった。毎日一度抱くということくらいはしていたけれど、それもほとんど義務感からだった。そのことが思い出される。

私を批判する猫

−−−君と遊ぶことを全力で楽しみにしていた時代に築いた、私と君との間の信頼関係は、あとあとすっかり薄れてしまったね。君は私のこの17年間をどう見たんだろうね。私はなんだかいつも必死で、必死のままここまできてしまった気がする。君に寂しい思いをさせたかな−−−

 

 感傷的な思いにかられながら、目覚めてひとしきり泣いたのち、冷静になって、私はこのような感傷が、何かを解決することはないと思われた。それは、私の側の感傷を猫に投影したものだからだ。

 私が大学に入るころからだと思う、私の猫は、私を明確に批判するようになった。具体的には、部屋の戸のところにいて、私に向かって、糾弾するように激しく鳴くようになった。それでいて、抱き上げると怒ってひっかくようになった。母はそれを「遊んで欲しがっている」と解釈していたようだが、少なくとも私に対しての彼の態度は明確に、批判だった。17年間も一緒にいて、私の猫が私を批判していること、それくらいわからないはずはない。

 それでは彼は何を批判していたのか。わからない。その批判の内容を、幼年時代に私と彼との間にあったような親密な関係性の欠如に対して向けられたものとして捉えることは出来る。また実際にこれまで私はそう捉えてきた。

    しかし、そう捉えるとすると私はいつまでも、私の猫を庇護すべき・愛玩すべき弱者の側に置くことになるのではないか。感傷にかられて泣いたのち、この涙はなんなのだろう、と冷静に考える中で、そのように思われたのだ。

    まぁ、もちろんそう受け取ってもいいのだけど。ペットを飼うということはペットを都合の良いように消費する行為だし、私も私の家族も、断じてそれだけではないにしても、基本的には間違いなくそのような動機から、猫を飼い始めたのだ(拾った)。

彼はどういう猫だったのだろう

 しかし、彼はもう少し大人で、もっと言えば、もう少し老獪だったのではないか。何しろ17だ。ベタベタくっつきあう関係性をいつまでも求め続けるわけではないだろう。

    私は晩年の彼が私に向けた批判が、私の人間性や、成長するにつれて私に起きた変化に向けられるような、より根本的なものだったのではないかと思っている。

    そのような推測の根拠として、壮年以降の私の猫が、「可愛がってください」とすり寄るだけの存在ではなかったことが挙げられる。彼は彼なりの規範を持っており、彼なりの快楽の型があった。それにそぐわないものは、彼の方から激烈に排除していた。10歳を越えたあたりからだ。

    それは、彼の老年期の身体の事情だったのだろうか?気づかなかったけれど、彼は激しい腰痛を抱えていたのかもしれない。去勢をしたことが後になって効いてきて、妙な体調不良を恒常的に抱えていたのかも。また、目も耳もほとんど満足に働いていなかったのかもしれない。医者には母が折に触れて連れて行っていた。そして、少なくともそこでそのような診断は得なかった。しかし、もちろん本当のところはわからない。

    それら身体的な事情が、彼の変化に絡む可能性を念頭に置きつつも、私には彼の変化がそれだけで説明されるとは思えない。彼もまた、この17年間に複雑な心的成長を経てきている。彼の中の内的な変容が、単に愛玩される存在に留まることを拒絶したのだと私は考えている。

    そしてまた、そのような成長を経て彼は、17年間同じ家で成長してきた私を、共に成長した存在としての立場から、激烈に批判してきていたのではないか。

 残念ながら彼と過ごした17年間、彼の生きて居るうちに一度も思い浮かべることのなかった問いを、今日私は思い浮かべている。それは、彼は結局どういう猫だったのか、という問いだ。この問いは、私のこれまでを振り返るきっかけを与えてくれる気がする。

    そして、このように、自己の成長とわかち難き存在として、そしてまた、私のこれまでを本気で批判してくる存在として彼を捉え直すことこそが、彼の死後に、彼と新たな関係性を開くきっかけでもあるのではないかと思われる。

    彼が死んだ時、糞まみれになって苦悶の表情のまま固まった彼の死体に絶句している私と母の横を、すたすたと通り過ぎ、クンと一度匂いを嗅いでからすぐに外に遊びに行ってしまった、もう一匹の猫。ちょっと前まで仲良く寝ていた彼の死体に驚くほど冷淡な彼女の態度に私は大いに勇気づけられたのだったが…

    14歳になってまだ元気いっぱいのその雌猫を胸に抱えながら、私は、彼はどんな猫だったのか、と考えを巡らせている。