目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

大学院の修了、そして、「生まれてくる生命を支える社会を創る」方へ

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大学院を修了しました

 修了しました。とにかく多くの人に会い、多くの話をしたここ二日間。くたくたでした。二週間ほどあまり人と話をしていなかったのもあり、相手の話を聞いて、それに受け答えることを思い出すことから始まり、表情を読んで微妙に言葉のニュアンスを変えることなど、何から何まで大変でありました。表情を読むことに、日常的に難しさを感じるということでは必ずしもないのですが、その技術を一時間ほどで一気に取り戻して行く過程に負荷がかかり、大変なことをいつも私はやっていたのだなと実感させられました。

 とはいえ、同じ修了者や後輩、そして先生方とのお話が中心。当然のことながら、話が通じる人との話ばかりで、これでも随分とやりやすい方のはずなのです。働き始めたら、もっともっとコミュニケーションに負荷はかかるだろうな。環境の激変に弱いのですが、弱いなりに耐えていくと確かに多くを学べるのも事実。とりあえず、就労開始までに英気を養おうと思います。

 ところで、これで大学院とは正式にさよならなので、今後について、若干の決意めいたことを書いておきたいと思います。まだ不完全ではありますが、一応。

 

「生まれてくる生命を支える社会を創る」

 

 最近、東日本大震災直後の『世界』『文藝春秋』『中央公論』を読み直していました。その中で、『世界』の2011年5月号、つまり東日本大震災を内容に盛り込んだ初号を読み返し「生まれてくる生命を支える社会を創る」という記事をみつけました。

ci.nii.ac.jp

 

 この記事を見つけた私は、その題名だけでなんだか安堵してしまいました。人より優位に立つことや、自己利益を追求することではなく、人とともに支えあい助け合い生きていくことを求める人々がまだまだいると思うと、私も頑張ろうという気分になります。 

 社会を変えようとか、そのような大それたことを思っているわけではありません。「コモリン岬」における見田宗介の言葉を用いながら言えば、私は私自身の聖域を守ろうとしているのです。本来的に混沌として、不条理な世界の中で、なんらかの文化的構築物を仮構しなければ、人間は社会的な存在として生きていくことはできません。助け合い共に生きる共同体のあり方、もしかしたら今、危機にあるかもしれないあり方は、私が人間としてあるために最も基本的なあり方であると思います。つまり、「聖域」です。

 自分勝手でわがままな私は、普段はこの聖域を守る方ではなく、この聖域に守られ、またそのことを知っているにもかかわらず、それを維持しようと努力することはせずに、べったりと甘え、よりかかっている方である。だからこそというべきか、甘えてもたれかかっているこの聖域が、揺らぎ始めているのではないかということを敏感に感じずにはいられません。そして、何かしなければならない、と思います。自分にできることは、読み、そして、書くことと、話を聞き、そして応答することだと思います。

 四月から働く際の初心として、とりあえずそのようなことを書いておきます