目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

大学を離れるなんて、嘘だろう?という気分

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 今日は、祖父母に私の大学院の修了と就職を祝ってもらいました。その中で、「長く大学にいたけど、ついに卒業だねえ」という言葉をかけられ、確かに、私は長く大学にいた、としみじみ思ったものでした。

 それにしても、六年も大学にいたとは本当に信じられません。小学校一年生の時の、六年生なんて果てしなく遠くにいる存在でした。学童に入っていた私は一年生から学童で、三年生たちと日々を過ごしていたのですが、その三年生すら、一年生の私にはとても大きく、とても強く、自分がいつかあのようになるとは信じられないように感じていたのを覚えています。

 それに比べれば、大学一年生は随分近く感じる。私が大学にいられるのもあと一週間を切りましたが、大学一年生の時、夜遅くまでドイツ語の不規則動詞を覚えて眠りについた夜と今日の朝が無媒介に接続している気がする。三年ほど口にしていない「同クラ」や「ワンチャン」、「ブッチ」、「大鬼」などの単語も、ネイティブスピーカー(=一年生)並みに発することができるような…。二年生の時に友人に又貸しした図書館の本が生協のゴミ箱の中から発見されて、図書館の無期限使用停止になる寸前までいった時に感得した「私の大学生活終わったな」感も妙にリアルです。

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 このような近さの感覚は、要するに、私が大学入学直後から、結局のところ全く変わっていないということを示しているのではないか?

 知識は増えたかもしれない。いくつかの考え方は身につけたかもしれない。けれど結局、決定的な自己変容にまでは至らなかったのではないか?

 だとしたら、一体この六年間にいかなる意味があったろう?

 

 大きな懐かしさにまどろむ中で、ふとそう思って感傷的になる明け方が、最近実際にあるのです。

 日が昇る直前の青黒い光に包まれた、そんな時は大抵、今年十四歳になる雌猫を彼女のねぐらから強引に引っ張ってきて抱きかかえていて、その猫は、思いがけず早くに起こされた衝撃で、目を大きく見開いてこちらをみています。その「にゃあ」という顔をつぶさに観察する過程で、段階的に現実へと着陸していく…。

 この六年間で、私はどう変わったのか?

 一言で言えそうで、また、言った瞬間に嘘をついた気分になるようなこのことに関して、これから少しずつ突き詰めていきたいと思います。