目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

16歳の雌猫

 このブログで、死んでしまった猫ではない方の猫を「14歳の雌猫」と何度か書いたのだが、それは村上春樹に影響されてなんとなく自分の頭を占めるようになった概念(たしか村上春樹が「14歳の雌猫」について語っていたのを、どこかで読んだ覚えがある)で、本当のところ、彼女は16歳であるようだ。この間死んだ猫の方は17歳だった。彼は16歳で、すでに歯がぼろぼろになりはじめていたが、今の雌猫の方は全くもって元気であり、また頑丈だ。

 この雌猫は、もとはといえば多摩川の土手に捨てられていたという。それを誰かが拾ったらしいのだが、拾った人も飼う気まではなかったため、自治会に預けた。そうして当時自治会館で硬筆を習っていた私が、ある日この猫に出会うにいたったのである。

 彼女が何日間多摩川の土手に放置されていたのかは知らない。ダンボールに入れられていたらしいが、彼女以外の猫は皆死んでしまっていた。つまり、もともとそのように厳しい環境のもと生き残ってきた、特別頑丈な猫なのである。

 一般に野良猫は強い。小学生時代のピアノの先生は、野良猫を数匹家に抱え込んでいたが、それらの猫のほとんどが、当たり前のように20歳を超えていた。その家は一部がゴミ屋敷と化しており、多分餌も定期的には与えられず、あまり良い環境ではなかった(よくそんなところで私はピアノを習っていたなあ)と思うのだが、それでもそれだけ猫たちは生きるのである。

 今こうして書きながら、私はその雌猫をなでているのだが、彼女の虫のいどころが悪いときに触ると、未だにミミズ腫れ寸前までガブガブと噛まれる(もちろんこれでも彼女としては十分に手加減している)。

 痛くないわけではないのだが、前の猫が晩年歯を悪くしていたから、力強く噛まれるだけでなぜか安心してしまう。実際、ガブガブと噛まなくなったら、お別れが近いということだと思う。