SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

私がUTクラスタだった頃

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    最近ちょっと真面目な記事ばかり書いていたので、今日は私が最高のツイッターだった時の話と、その少し後までの話をします。

ツイッターって知ってる?

 私がツイッターを始めたのは、大学一年生の6月ごろです。駒場の食堂で、浪人した私よりも一年先に入学した高校時代の同級生から、唐突に勧められたのでした。

ツイッター…?そういうのがあるのは知ってるけど、なんだか難しそうだし、私はやったことないかも…」

 こんな感じままのピュアな受け答えをして困惑を隠さない私に、彼はたたみかけました。

「いやいや簡単だよ。みんないるからやってみなよ」

 手際よく私からGメールアドレスを聞き出した彼は、ものの3分ほどでアカウントを作ってしまったのでした。

 以降、私は3年以上astro_cat_という名前でつぶやき続けました。多い日は1日に50もつぶやいたと思います。一週間に15コマくらいとっていた、せわしない日々。私は暇さえあれば人差し指でTLを下に引っ張っていました。

 一応エクセルに、当時のつぶやきの数々を保存しています。私は一つのつぶやきの文字数が多めだったので、1万2千ほどのツイートの文字数は合わせて60万を超えています。その大半はほんとうにクソofクソなのでもはや頭から読み返すことなど思いもよらない状況です。

 それは私という人間の記録としては意味があるかもしれませんが、私に興味を持たない人々にとってはただのゴミの山です。よくもこんなものを、大衆の目に映りうる形で発信していたものだなと感心します。

私がUTクラスタだった頃

 ツイッターを始めてしばらく、私は「UTクラスタ」の一員となっていました。 

 UTクラスタとは何か。要するに主に前期教養課程の東大生ツイッタラーたちの総称です。

 「前期教養課程」と決めつけてしまいましたが、「UTクラスタ」という言葉で後期課程、大学院生を含めた東大生ツイッタラー全体を示すこともあるとは思います。というか、そちらの方が正しい言葉の使い方かもしれません。

 しかし、私はここで、主に前期課程の東大生ツイッタラーの集合体を示して使おうと思います。なぜなら、後期課程以降はそれぞれが専門の勉強を始めるため、皆一斉に進振り(進学先の科類決定のための手続き。成績が良いと選択肢が広がる)の方向に向けて勉強していた前期課程の時ほどに、帰属意識を持ったカテゴリとして「UTクラスタ」という名前が用いられることはなくなるからです。少なくとも、私自身はそうでした。

 そのこともあって、後期課程や大学院生になってまで、「UTクラスタ」云々言っている人はださいな、と後期課程に進んだばかりの私は思っていました。私にとって、「UTクラスタ」とはどこまでも前期課程と結びつくものなのです。なので、ここではその僕の感覚を大事にしてこの言葉を用いたいと思います。

 さて、話を最初のところに戻します。食堂で友人に勧められ、ツイッターを始めた僕は、大半の平々凡々なUTツイッタラー達と同様のステップを踏んで、ツイッターという場に自分を順応させていきます。

 今、全つぶやきを保存した膨大なエクセルファイルの最初の部分を見ると、ツイッターを始めた直後、僕は「Twitterはじめました。よろしく」「なにつぶやければいいかよくわかんない」的なつぶやきをしていることがわかります。

 見ての通りツイッター初心者の大半が一度はつぶやくのではないかと思われるような完全にテンプレに則ったつぶやきです。もちろん、テンプレだと思ってやっていたわけではないのですが、後から振り返ればテンプレに綺麗に乗っていました。

 それから二週間くらいはTLを現実の延長と捉え、自分の中で特定している中堅ツイッタラーの友人(フォロワー200くらい)に突然「そうかな?」とかリプライを送って周囲を困惑させたりしていました。

 もう少し後になると、要領がわかってきて同じ類(たぐい)の人っぽいUTツイッタラーを積極的にフォローし、クラスタ内で通貨となる「英一つまんなすぎ」「試験終わったらオンキャン焼くわw」的なネタをつぶやくようになります。

 普通に授業に間に合ってるにもかかわらず、教室内で「ぶっち(寝過ごすなど、よろしくない理由から授業に出ないこと)だわ、これで3度目w」とかつぶやき、ファボ(お気に入り登録)をもらったりしたこともありました。あの時にもらったファボは嬉しかったなあ。一時期ファボをもらうことが快感になっていました。

 こうして述べていると顔から火が出そうになるのですが、要するに私はちょっと自意識過剰な普通の大学生がやることを普通にやっていました。

「オンキャンパス意外といいよね」とはちょっと言えない

 私が授業に間に合いながら「ぶっち」とつぶやいていたように「試験終わったらオンキャン(当時の1年前期の英語の教科書)焼くわw」とつぶやいていた当時のUTクラスタたちの大半は、今も大切に『オンキャンパス』を持っているのではないかと思います。別につぶやきの内容が現実かどうかということはどうでもよかったのです。

 ちなみに、脱線しますが、私は『オンキャンパス』と『キャンパスワイド』(こっちは当時の1年後期の英語の教科書)を二冊ずつ持っています。TL上ではいざしらず、現実の僕はオンキャンパスが結構好きだったのでした。私の友人には『オンキャンパス』のリスニング教材を子守唄がわりに聞いている人もいました。

 『オンキャンパス』と『キャンパスワイド』について詳しく知りたい方は以下を参照してください。英語力を高めたい人にはおすすめです。

On Campus

On Campus

 
Campus Wide

Campus Wide

 

 今少し考えてみて思うのは、反抗期を抜けきらない19歳前後の私たちにとって、『オンキャンパス』は母親のようなものだったのかもしれないな、ということです。高校生男子が「お母さん大好き」とは死んでも言わないように、UTツイッタラーの自認を持っていた僕は、オンキャンパス焚書オフ構想すら膨らんでいたUTクラスタのTLの中で、「オンキャンパスって実はとてもいい教材だよね。」というようなイカ東発言は死んでもできないなと感じていました。一気に場が白けてしまいます。(ところでイカ東ってもはや死語ですかね)

俺らマジ、最高のツイッターだわ…。

 話を戻しましょう。建前と本音が全く異なること。そんなこと、みんなわかっています。わかっていながらやっているのです。私たちは、単に試験が近づいてきたことの興奮と不安を分かち合いたいだけでした。だから、その目的に合わせて現実を改変することをいとわなかったのです。

 そうだ、試験勉強を前日に始めたことにしよう、どうせ誰もその真偽なんて確かめないのだ。それで盛り上がるなら、いいじゃないか…。

 どうやったらさらに盛り上げることができるか、ということを、駒場図書館で眠い目こすって必死に試験勉強をしながら、私は考えていました。あの、そこに座るものを常に眠くさせる、ぶよぶよとした不気味なクッションの椅子に座って。

 ガリガリ勉強しては、「やばい」「勉強してない」とつぶやきます。すると、ファボが来るかどうかは別として、僕のつぶやきに呼応するように誰かが「英一だるい」とつぶやいたりします。それを、僕はファボをもってむかえます。「俺らマジ、最高のツイッターだわ…。」そんなことを思いながら。

UTクラスタからの離脱

 前期教養を終えると、「英一」「オンキャン」などの共通言語が失効し、個々のツイッタラーは、進振りで決まった進学先のクラスタに自分を合わせていこうとするとともに、前期教養時代のクラスタから自己を差別化し始めます。

 eeicのように後期課程でもまた前期課程の祭りを繰り返しつづけるクラスタを形成するところもあるのですが、私の所属した後期教養はそうではない方でした。そもそも、後期教養とは「試験終わったらオンキャン焼くわw」的なノリを前期時代から、何か汚いものでも見るように見ていた人たちの集合体であったのです。

 そういうところに所属するようになったことと軌を一にして、僕も前期のUTクラスタのノリからは卒業していきました。

 しかしそれは私がeeicとか「オンキャン焼くわw」よりも高尚になっていったということではもちろんなく、また別のノリが通貨となる共同体に参入していったということです。

離脱後の私とツイッター

 UTクラスタから足を洗いはじめたこの時期くらいに、私は、友人の影響もあって、ツイッター上に巣食うネタツイッタラー(?)を数人フォローし始めました。

 また同時に、ツイッター論客の発言も盛んに観察するようになりました。

 前者は「ネタ」とだけ聞くと軽そうですが、誰でもわかるようなネタにわかる人だけわかるネタを巧妙に織り交ぜ、それを当意即妙に投下することで日々「面白」を生み出すことのできるような才気溢れるユーザー達であり、私の中では「詩人」に分類されるべき面々であります。

「あぁ、こういう才能のある人たちが、現実世界では普通にサラリーマンとかフリーターとかやっているんだ、すごいな、この才能の蕩尽は。贅沢だな。これを読んでいる私…。」

 とかそういうようなことを思いながら継続的に私は、彼らを観察していきました。

 後者はツイッターで青筋立てて議論する人たちであり、ニュースなどで話題になる事柄について時宜をえた賢い発言をして300RTくらいは比較的用意に稼ぎだす人たちです。

 彼らのやりとりを見て、議論に強いというのはこういうことをいうのだ、と感心するとともに、「議論に勝つための議論」の浅はかさも学びました。

 そしてまた、その浅はかな「議論に勝つための議論」ですらまだ議論しようとしているだけましなのだな、と思わせてくるような有象無象の「そもそも議論しないクソリプアカウント」の存在も知りました。インターネットって怖いな、と思いました。

 UTクラスタを離脱した私は、その後もツイッターをやり続けました。そうして、時折寂しくなると、ふと在りし日のUTツイッタラー達のアカウントに立ち戻り、前期教養時代の「最高のツイッター」だった私たちを懐古的に振り返ったりしたのでした。

 この話は、アクセス数が多かったり、スターとかなんらかの反応があれば、つらつらとつづけようと思います。お読みいただきありがとうございました。