SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

スカイ・クロラの同人小説の断片

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 週休二日制の労働者をしていて不思議なのは水曜日と木曜日の境である。水曜日までは「まだ水曜日か」と思っていて木曜日になると途端に「もう木曜日なのか」と思うようになる。本当に、不思議。

 

 以前戯れにスカイ・クロラの同人のようなものを書こうとしてすぐにやめたのだったがその断片の続きは金輪際書かないだろうし、また、どこかに発表することもないだろうと思われるので、二回に分けて公開する。

 

===

 

 

 この基地に移ってからずっとこの部屋を一人で使っているわけではなかった。上の段に寝ていたのは丹野だった。今となってはあまり思い出せない。僕のようなやつが一体どうして、誰かと一つの部屋で生活できたのか。

 丹野は大テーブルのあるラウンジでは洒脱なやつだった。けれど、部屋に戻ると彼は無口になった。僕に合わせてくれていたのだろうか?それはあっただろう。ただ、僕はそれだけではないものを感じていた。僕に合わせて、同居人と下手にべたべたしようとしなくていいことに、丹野は安堵しているようだった。

 僕が求めれば、彼は自分から、僕と冗談を飛ばしあうようなことをしてくれたのだろう。あたかも自分がそういうことを好む、とでもいうように。けれど、それが丹野の本性ではなかったろう。

 大テーブルのラウンジで、数人のパイロット仲間と騒いでいるとき、僕は丹野の無理を感じていた。純粋に尊敬もしていた。そうやって周囲の人を楽しませようとする彼のサービス精神に。僕にはないものだ。

 

 北方地域の視察で、僕たちが敵戦を経験したのは去年の10月頃だった。このあたりではもう冬の折だ。管轄地域外にも係らず、急遽視察に駆り出されたのはそのエリアの大規模合同演習が本部で行われており、本来の人員がごっそりいなくなっていたからだ。要は留守番のようなものだった。

 巨大な川にそってゆっくりと飛ぶことを2日繰り返した。沖積平野となっている一帯は空から黄緑と黄土色が混じる絵の具のパレットのように見える。僕と丹野は何か変わったものが見えた時や、引き返す時など、業務上の連絡以外に交信をすることはなかった。つまらないとまではいかないが、退屈だった。何時間もドライブをするようなものだ。

 2日目の夕暮れが近づいて、昨日とは別の支流を辿り、大きな渓谷の上を飛んでいる時だった。

「10時方向、二機いる」

 その通信を聞いた時、僕は機体を逆さまにして頭上に渓谷を見ていた。水しぶきに視界をふさがれながらも、その底を見通そうと繰り返し試みていたのだった。慌てて機体を起こし、遠くを見やる。雲間から黒い粒のようなものが二つ近づいてきているのが見える。この距離では、逃げられるかどうか微妙なところ。教科書通りでいけば、戦うことになる。

「戻る?」

「難しいんじゃない」

 この会話を合図に、僕は丹野から離れ、高度を下げる。

 相手側は二機とも同じ高度を保ったまま両手を広げるように横に広がった。

 速力を上げ、左側のやつに近づく。

 相手が高度を下げてくる。

 と、機体を縦にして僕の動線から勢い良く離脱していった。

 こちらもそれを追いながら、シートに締め付けられ、回らなくなる首を必死に動かし、もう一機を確認する。

 丹野との間の戦闘態勢に入っている。こちらまではこなさそうだ。

 何発か打ち込むが、左右に翼を揺らして、うまく回避される。

 しかし、機体の速度はこちらの方が上の様子で、徐々に距離が縮まっていった。

 時間の問題だろう。

 空には障害物がない。逃げ込める場所はないのだ。

 相手との距離が十分に縮まるのを待ち、汗で滑る指でボタンを押す。

 左の翼に弾が直撃すると、スピードはすぐには緩まないが敵機は少しずつ左に傾いていく。

 終わりだ。ゲームセット。

 すぐに丹野の方を見やると、丹野の機体は両翼からもくもくと黒煙を吐き、僕が撃った敵機よりも早いスピードで雲に吸い込まれていくところだった。

「丹野?」

 呼びかけても返答はない。あるわけがないし、あっても、助からない。

 そう思った僕は、踵を返すもう一機を追い始める。

 けれどみるみるうちに高度を下げていくのを見て、危ないかもしれない、と不安になる。

 敵のエリアまではきていないが、このあたりは境目だ。高度が低いまま誘導されれば、対空砲を当てられる可能性がある。

 僕は追うのをやめた。

 ぐんぐん遠ざかる敵機が、黒い粒になり、消えていく。しかしまだ油断はできない。

 少しの間だけ振り返り、丹野の機体が出した黒い煙を見やる。

 そろそろ地上に着く頃だ。

 熱いだろうな。

 あるいは、機体が損傷して底抜けに寒いかもしれない。

 攻撃を受けると、機体は突然鉄の塊としての自分の重みに気づくようだ。

 そうだった。僕は重かった。本当はこんな高いところで浮かんでびゅんびゅん飛ぶような、そういうものではなかった…。

 丹野もそう気づいたに違いない。

 

 泥のように眠って、起きるともう午後5時だった。こういう寝方をすると、相当疲れないと普段通りに眠れない。

 部屋を出ることにし、まだ重い体を無理やり動かすようにして服を着る。こんなに体が重いのならそのまま寝続けてしまおうかと思うが、もう一度ベッドに潜ってもおそらく眠れないのである。

 酒を飲んでいる数人がたむろしているのを横目にしながら、ラウンジを足早に通りぬける。こういう時に必要以上に臆病になってしまうのが、僕の悪い癖だ。

 …いや、悪い癖というより、そういう風にこそこそとするのが、僕の本性なのかもしれない。 

 中庭のベンチには光田が座っていて、「よお」と左手をあげるのだが、僕はなんだかかったるく、こちらも手を上げると用事でもあるかのように通り過ぎてしまおうとした。

「そうだ」

 光田が僕のことを呼び止める。

「何?」

「何か用事?」

「いや、ない。」何か適当にひねりだせばいいのに、正面から問われると面食らって、正直に言ってしまう。「ぶらぶらしようと思って」

「ちょっと座らない?」

「なんで?」

 光田は何も言わなかった。

「今日はどうだった」

 うんざりした。僕はこういう無駄な世間話が嫌いなのだ。

「どうって、何が?」

「落としたって聞いたけど。二機」

「うん。」

 僕が切口上を繰り返したので、光田はこの話が無意味だと思ったようだった。

「来週代わりがくるらしい」

「誰の?」

「誰だと思う?」

 丹野のだ。もう半年空席だった。そこしかあり得ない。けれど、僕は鈍感なふりをする。

「誰だろう。」

「丹野だよ。」

「ああ」

 光田は僕の反応を伺っているようだった。

「何歳くらいの?」

「年はもう関係ないだろ。俺ら。」

 そうなのだろうか。僕は思う。確かにもう年を経たところで体に変化が起こることはない。けれど、それは意味がないということとは違う気がする。

「じゃあ、何年目?」

「新米みたいだけど。」

 僕は少し驚く。純粋な新米は初めてなのだ。

 もちろんこれだけ人が入れ替わる場所だ。けれど、僕がこれまで会って来たのは一番経験が浅いやつで一年と半年だった。

「飲む?」

 光田がビールを差し出す。

「ありがとう。今日はいい。」

 言って僕は、会話をどう納めようか思案する。ありがとう、とか言って、後悔する。こういう風な場面で感謝すると、なんだか借りを作ったような、隙を与えたような気分になるのだ。

 数秒お互いに黙って、僕の中ではむやみに緊張が増した。そこで光田はいう。

「そっくりだよ、多分」

 その口調が嫌で、僕は抗議するように光田を見る。案の定、彼の目が笑っている。微かだけど。

 僕はそれですっかり不快になって、「だから?」とだけいうと光田の顔を凝視した。

「別に何も。」光田は両手を上げて手のひらを見せる。

 そしてやれやれ、という感じに首をふった。

 内心少し申し訳ないと思った。光田に悪気があるわけじゃない、少し僕を会話に引き込もうとしただけだ。そう考えながら、僕はそのように自分を説得しにかかるくらい、不快感が高まっていることを感じる。これ以上ここにいると、お互いのためにならない、と思い、僕はさっさとその場から離脱した。

 …そっくりだからなんだというのだろう?

 轟音がして向こうの方を見やると、二機戻ってくる。全く同じタイプの機体。当たり前だ。量産型なのだ。

 確かにそっくりだろう。だって、そういうことになっているから。

 みんな同じようなやつだ。

 光田だってそうだ。

 前の基地にいた滝原。中規模演習中に僕から30メートルも離れていないところで打たれて、空の底に沈んでいった。その滝原にそっくりだ。

 もちろん細部は違う。滝原は青い目で、光田は茶色だ。けれど、根本的には同じだ。僕にはわかる。

 光田と滝原はほぼ同じだ。そして、滝原の前もいただろう。

 正直、僕はもう何年戦闘機パイロットをやっているのか、覚えていないのだ。

 二つ前の基地までは思い出せる。そして、三つ以上前があったことも確実だ。しかし、正確にいくつとなると思い出せない。

 おそらく、僕の嫌いな事務室に行けば、そんなものはいくらでも保存されているに違いない。馬鹿でかいドキュメントファイルに信じられないほどの厚みで、僕に関する記録があるのだ。

 しかしそれは僕に対して公開されることがない。もしくは公開されうるとしても、いくつかの複雑な手続きが必要になる。

 毎日空を飛ぶ日と飛ばない日の繰り返し。飛ばない日は地上でぼんやりとして何もやる気が起きない僕。そんな僕に、長いスパンの時間がかかる複雑な手続きをいくつも行うことはできない。

 いいのだ。正直、過去も未来も僕にはあまり関係ない。

 現在に関しても、それほど身に迫るものとして感じられない。

 面倒なことを避け、ほどほどに期待通りの受け答えをし、べたべたとして醜悪なものを見ないようにする。僕にはどうしようもないものが多いから、そういうものに極力触らないようにするのだ。

 もう何年も、僕は本気で怒ったり笑ったりということがない気がする。

 いつでもあらゆるものから手が離せるようにと、そうして生きているのだ。

 

向こうから草薙が近づいてくるのが見える。

僕はタバコを取り出して吸い始めた。

「ちょうだい」

黙って一本差し出す。

「ありがと。」

マッチを擦って一息すると、草薙はこちらの方を向いた。

「コーヒー飲む?」

「まあ。」

夕焼けに照らされながら、偵察機が二機帰って来た。

 

さっきのは、街に出るという意味だったのか。

頭がぼんやりとしていて、うまく運転に集中できない。

助手席で草薙は携帯を開いて少し何事か打ち込んでは、閉じることを繰り返していた。

「エリア長?」

「あのクソババァ」

「そんなに悪い人には見えないけど」

 草薙は僕を睨むと、何か小さな声で口走ったが、風がビュンビュンとあんまりうるさくて、聞こえなかった。

 草薙が大変な立場にいることは、僕にもわかっていた。基地全体の戦略策定、演習の準備、それに僕たちの世話。

 もちろん、僕は世話されているつもりはない。自分のことは自分でやれる。迷惑をかけているつもりもない。けれど隊員同士の軋轢の話は、聞かなくもない。

 面倒臭くて僕は関わらないし、草薙もそういうのは嫌いなはずだ。だけど今、草薙はそういうのに気を配らなければならない。

「またあそこで飲むの?」

「いや?」

「いやじゃないけど。」

「そう。」

 日が沈む。前方11時方向に、昼ごろ飛び立っていった土岐野の飛行機が見える。

 あーあ、見つかるな、と僕は思う。別になにもまずいことはないはずだ。しかし、隊長と平の隊員が二人で出かけるということはあまりないのだ。だから、そういう意味では、やはりまずいのかもしれない。

 まずいというか、あとで色々聞かれて面倒かもしれない。

 けれど草薙はそんなことは気にしない、と言わんばかりに手をかざし、飛行機の方を見た。夕日にその肌が照って、目元が怪しげな暗さを帯びているのが一層明らかだ。

「あんまり寝てない?」

 聞こえなかったのか、無視しているのかわからないが、草薙はそれには答えずに、「ここ左」とだけ言った。

「街はまっすぐだよ」

「いいから、左。」

 僕には左の方に何もないように見えた。

 起伏のある草原。

 風が強い。

 一応、道らしき道はある。

 ゆっくりと僕は左に曲がった。

「今度研修を受ける。」

 草薙は言った。

「何の?」

「もう少し上にいくための。」

 「すごいね」と言いかけて、僕はやめた。草薙は本当にそういうことを面倒がってそうだったからだ。けれど、草薙がそれほど面倒なことをなぜ続けるのか、僕にはいまだにわからなかった。

 少し進むと、丘が少なくなって来て、視界がひらけた。相変わらず草原だったが、ひときわ草深くなっているところに道が続いていて、小さな家屋が見えて来た。ヨーロッパの冬寒くなる地域によくありそうな、頑丈な家だ。ただし、「屋敷」とまでいうと大げさで、サイズとしてはそこまで大きくない。四人住んだら窮屈、と言ったくらいだろう。

 それがくっきりと見えるころには、日もほとんど暮れて、僕たちは青黒い光に包まれていた。

 虫の声がいたるところでする。

 今頃土岐野は基地に戻って、大テーブルのラウンジでみんなに、僕と草薙を見たと伝えてるだろう。

 でも、それがそのあとどのような話に繋がるのだろう?

 僕にはよくわからなかった。本当はよくわかっているような気もするが、考えるのが面倒で、わからないことにしたのだ。

 車を止めると、草薙は扉をあけてスタスタと玄関に向かい歩いていく。僕には目もくれないような無下な身振りだ。けれど、僕にとっては車を止めるまで待ち続けられるよりも正直楽だ。

 しかし、ここはどこなのだろう。

 もう何年も使われていないような郵便受けの根元にしゃがみ込んだ草薙は、そこに隠していた鍵を取り出した。そしてそれを僕に投げ渡す

「開けて」

 草薙の方は、家の外観を写真に収め始めた。

 玄関先には数株のグラジオラスが咲いている。住んでもう少し丁寧に手入れすれば、全体として気持ちの良い家になりそうだ。そう思いながら、鍵を差し込みはしたものの、うまく回らない。

 僕の部屋と同じだ。

 強く回しても、弱く回してもうまくいかない。

 宥めすかすように、少しずつ加減を調節し歯が噛むのを待つ。

 なんだかこんなことばっかりやっているような気がしてくる。