SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

「どうでもいい」仕事との付き合い方がわからない

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書き出しによって文のスタイルが結構変わるので、雑感の文体なら読む、という読者少数いてくれると、それは嬉しいことだなあと思ったりする。一応この系列につらなる記事の複数を末尾に貼り付けておく。

 今週は決断について考えることが多かった。本当に仕事で憂鬱だったから。といっても、全然大したことではないのである。こんなことで憂鬱なんて、バカにしてんのかと私が聞く立場だったら言ってしまうだろう。私は今年修学旅行担当をしていて、その中で文化体験プログラムを盛り込むかどうか。そのようなことで火曜日の午後丸々悩んでいたのだった。なぜ憂鬱なのだろうか。それは、決めてしまうと、そう決めた理由を全方位に説明しなければならなくなるからだ。1時間やそこらでちょっと風呂敷や扇子に絵付けをしたり、よくわからない安っぽい石で変な腕輪を作ったりしてもそれで文化を体験したことになるのかなんて微妙なのはわかりきっているから、反対の先生もいるし、それでもまあお寺とかを見ることを続けていてもマンネリなわけだから何か体験要素を入れる方がよいし、実際に持ち帰られて楽しいし、という先生もいるし、様々。行程が決まった後、その責任者である私にみんなが好き勝手色々なことを言ってくるので、その都度修学旅行の理念や教頭・校長の意向や私自身の意思など様々な基準に照らしてそのプログラムを取り入れた理由を説明しなければいけないのだ。

 自分のしたいように物事をできるのだから、それ自体は楽しいはずではないか、と言われるかもしれない。ふむ。確かに。だから一番の問題はどこにあるかというと、私にとって修学旅行がどうでもよすぎることだ。一般に「決断」というと何か自分の中の意思にしたがってしているはずと思われがちである。だから決断をしたんだったら、その人がやりたかったのだろう。やるにたる理由があったのだろう、と周囲から思われる。

 残念。私にとって修学旅行に文化体験プログラムがあるかないかは、本当にどうでもいいのだ。こんなどうでもいい仕事からはさっさと手を引きたい。あまりかかずらいたくないと思う。自分の意思がなく、面倒なことを避けたいと思うとどうなるかというと、ひたすらに誰からも何も言われないような無難な道を選択したくなる。ここで目的はよりよい修学旅行を作り上げることからずれる。けれども周囲の皆は、私がよりよい修学旅行を作り上げようとしていると、その目的は当然共有しているものと考えている。いやいや、そもそもやる気ないんですけど、とは口が裂けても言えないのが辛いところ。自分の中の目的が「誰からも何も言われない無難な選択肢をとること」である以上、この件に関して誰かが何か聞いてくるたびに、その目的が達成されないことの不満が自分の中で募りまくるわけだが、そもそも誰からも何も言われない選択肢などないので、こうした目的を設定してしまうこと自体が間違い。だったのだがねえ。

 心の底からどうでもいいと思う二択に関して、担当者として決断を迫られた場合、誰からも何も言われない選択肢を選ぼうとすると正解がなくなって決められなくなる。それが今回の失敗だった。しかし、どうでもいいのにどうでもよくないふりをするの、普通にきつくないですか。現実的には、どうでもよくてもどうでもよくないふりをするしかないのだが。というか、自分にとってはどうでもよくても、それを実際にやる人たちの身に立てばどちらがよいかはある程度きまるはずで、自己を中心にしないで考えようと思ったのでした。

ところで「どうでもいい」は私の口癖なのですが、この言葉すごく使いやすくて、なんでも大抵「どうでもいい」で済ませられてしまうのですが、過去に個別指導を初めて二ヶ月くらいで生徒に「どうでもいい」がうつって「テストの点とかどうでもいい」と言われた時はちょっとダメージを食らいました。いや、どうでもよくないだろ、と言いかけましたが、私自身が「テストの点とかどうでもいい」と彼に伝えてしまっていたからな・・・。どうでもいいんだけどね。ダブスタであることです。

 

 

 

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