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目をつぶらない

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橋本治の死去に驚く:「ずっと若い人」の死

橋本治が死んだ

タイトルどおり、作家・橋本治さんのご逝去に驚いた。

作家の橋本治さん死去 70歳 | 2019/1/29(火) 18:13 - Yahoo!ニュース

橋本治については以前別のブログに書いた。そこから少し長めに引用しておきたい。

 

引用元記事

queerweather.hatenablog.com

 

橋本治という人

 さて、ここで、話を橋本治という作家本人に移してみよう。数年前から、橋本治という人物が私には気になっている。

橋本治というのは誠に変わった人である。まず文壇の中での立ち位置が変わっている。本人の言によれば、橋本が書いた本は小説・評論・エッセイと多岐にわたり、その数180点を超えるらしいが、特定の著作が話題に上らない。


 橋本は評論の分野では小林秀雄賞など権威のある賞を受賞しており、小説も若干説教くさい(後述するが、これは厳密には橋本なりのサービス精神なのだろう)が、とにかく読ませる。実力は十分にある書き手である。

 かつまた、現在進行形で盛んに文芸誌に小説を発表したり、新書を書いたりしている。それも、かなり盛んにしているのだ。例えば最近では『知性の顛覆』が出版されたし、雑誌『新潮』10月号では「草薙の剣」という小説を発表している。

新潮 2017年 10 月号

新潮 2017年 10 月号

 橋本は決して終わってしまった昔の作家というわけではないことがここからわかる。

 にも関わらず、文芸の世界でも、評論の世界でも、橋本治が話題に上ることは少ない。


 なぜなのだろうか。
 その第一の理由は、橋本という人間の区分けしがたさにあるのだろう。橋本は作家でもエッセイストでも評論家でもあり、そのどれか一つに彼を還元して語ることは出来ない。いうなれば彼は物書きであり、それ以上でも以下でもない。だから、小説を論じる文脈でも、評論について語る文脈でも、橋本を登場させづらいのだ。橋本を登場させると、話が小説や評論といった特定の分野におさまりにくくなる。


 第二の理由は、彼の書くものの性質による。たとえば橋本の評論は、彼自身が述べるように、とりとめのなさを孕む。まとまっていないような印象がある。しかし、一方で全体に一本の筋が通っていないのかといわれれば、筋がないわけではない。
 なぜそのような文章になるのだろうか。これもまた、評論家でありエッセイストでもある橋本の性質によるのであるのだろうし、橋本が何本も並行し、多くの執筆活動を行っているが故のものともいえるだろう。議論を精緻に構造化するには、橋本のようなスタイルでは、時間が足りない。それに、橋本の饒舌でわき道にそれる語り口のよさは、それでは発揮されないのではないかと思われる。


 今私が「まとまっていないような印象がある」と評したため、橋本の著作がわかりにくいように想像する人もいるかもしれない。しかし特にそういうわけではない。鋭敏かつ明快な部分は多くある。それと同じくらい、明瞭にいえるはずなのに何かに遠慮し、韜晦を含む部分もある。
 橋本は自分が商売をやる町人の息子であるから、どうしても多くの人にサービス精神を発揮してしまうと自著で述べている。また、これだけ多くの作品を発表している書き手の言葉とは思えないが、注目されすぎ、偉くなりすぎることで目をつけられることを恐れてもいるらしい。このような、外見から見える派手な仕事ぶりの一方で存在する世間への繊細な気回しが、橋本の単にわかりやすいというわけではない部分(わかりづらいというわけではない)を構成しているのだろう。

 この橋本が、老年にいたるまで毎月の返済額が100万円にも上るような巨大な借金をバブル期に作り、それを抱えながら仕事をしていたという事実は、意外といえば意外な話だった。橋本の過剰なほどの多作は、経済的な要請に駆られてのものだったのか…となにやら腑に落ちるような気分になったりもする。
 しかし橋本自身の言を信じるのなら、これは事態が逆なのであって、借金を抱えてしまったから否応無くたくさんのものを書かなければならなくなったというよりは、自分はたくさんのものを書けるし書き続けていけるという確信があったからこそ、借金も出来たということなのらしい。

「ずっと若い」橋本

 正直、私は橋本治の本をたくさん読んできたわけではないのだが、私にとって橋本はずっと気になる存在であった。それは上で引用したように、橋本が文壇でトリックスターのような位置にあるから、というだけではない。膨大な橋本の著作を時たま少量拾い読みしながら、私は橋本について「ずっと若い人」という印象を抱いていて、それが私にとって橋本が気になる存在であり続けた理由である。

 これは奇異に映るかもしれない。なぜなら、何の著作で言ってたのか、もう忘れてしまったのだが、(多分『貧乏は正しい』というシリーズ的評論のどれかで。ないし内田樹との対談で)橋本は早く年老いたい、早く50になりたい、というようなことを若い頃思い続けていた、と述べていたからだ。

貧乏は正しい! (小学館文庫)

貧乏は正しい! (小学館文庫)

 
橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

  

 しかし私の目からはむしろ、橋本は年老いてなお、若さを保存しているように見えた。例えれば、「ずっと若い人」という感じである。特に『勉強ができなくても恥ずかしくない』三部作(ちくまプリマー)は、大学受験勉強に向かう周囲に違和感を覚え、最後までやっきになって勉強しようとしない高校生の姿を描いて終わる。

 高校生の姿を描いているからと言って橋本が若いということにはもちろんならない。しかしこの著作からは橋本の、受験勉強という社会が用意した競争システムに乗っかっていく前にあり得た少年少女たちの共同体への憧憬が見られる。そしてそうした共同体にありがちな、大人の社会の論理に対して真っ向から素直に対抗していくことを、橋本はその人生をかけてやってきたのではないだろうか。

 上で引用したようにいくらでも物を書いていく自信があるから、多大な借金を負っても大丈夫、というような無謀さ、多大な借金をして買った住居の価値が無残に暴落することに現れるような暴力的な資本主義の支配する、大人たちの世界に対して、一人ペン一本でどこまでも対抗し続けようとし、実際にそれをやりきってしまうという無謀さは、私に痛快な「若さ」を感じさせた。

 そして翻って、橋本よりもはるかに若い私がいかに「嫌な大人」になりつつあるか実感したりした。それが私が本を通してしか知り得なかった「橋本治」という人物に関する経験だった。

 内面がない登場人物たち

 ところで上の引用部でも紹介した橋本の最近作『草薙の剣』は11月に野間文芸賞をとった作品である。選評では登場人物たちに内面がないことが特徴として指摘され、橋本自身は昭和以降の日本の時代自体を主人公にした、と述べていた。

草薙の剣

草薙の剣

 

 橋本はこの作品で近代以降の日本の小説の大概がそうであるように登場人物の複雑な内面心理を描かなかった。色々なエッセイを見ていると思うのだが、橋本は複雑に考えることを好まないのだと思う。それは橋本のエッセイが簡単だということではない。上引用部で言及している『知性の顚覆』をサクサク読める人は多くないだろう。単純素朴な問いを積み上げることで高いところまで行くのが橋本のやり方だった。『草薙の剣』は単純素朴な人間を幾人も描くことで時代の像を捉えようとした作品である。

 複雑なものを大人の側、単純素朴なものを若さの側に置くとしたら、橋本はやはりここでも若かったと思う。70年生きていて若かった。

 

***

 そういえば、最後に読んだ橋本治のエッセイは以下のリンク先だった。

www.webchikuma.jp

 

 面白かった。ご冥福をお祈りいたします。