SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

さても哀しき教育の欲望

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 長い期間本気で求め、行動を積み重ねていると大体のものは手に入るような気がする。そもそも、長く本気で求め続けられるものというのは、手に入りうるものだから。最初は全く手に届かないところにあるかもしれないが、行動を起こすと少し近くなる、その時点で、ある程度の距離は推し測られ、全く無理なら、本気で求め続けることはないだろう。だから、長く本気で求め続けることができるものは、手に入りうる。「本気で求める」も重要だが、求めることを長く続けることも同じくらい重要だ。

 私はこれで教員3年目である。大学院の時に私が求めていたものは、幸い手に入ったと入職直後に思った。入試問題に縛られない教育環境。週に一度の研究日。優秀で、少なくとも授業中は座って静かにしていてくれる、そして全体の1/3程度は熱心に話を聞いてくれる生徒。こちらが荒唐無稽な実験的授業をしても、なんとかついて来てくれ、かつはそれなりのものをそこから学んでくれる一部の生徒たちは、私の側の負担を大いに軽減してくれた。生徒が優秀だと、何をやろうと、それなりに結果らしい結果が出てくるから。いや、出てきてしまうから。冷静に考えるとダメダメだったと振り返られる授業についても、そうなのである。だから私の卑小な承認欲求が毀損されることはあまりなかった。

 これ以上はない、と思っていた環境だ。しかし、最近少し違和感を覚えつつもある。私は長く本気で求めた末、今のような職場を得た。求めるものは大抵得られる。しかし、私の求めていたものは、本当に欲しかったものだったのか。もし、欲しいものが、長い期間本気で努力しなければ得られないものなら、何を求めるか、慎重に決めることは重要なはずだ。

 

 前振りが長くなったが、教育の欲望である。どうやら、以前から私が思い描いていたような「教育」を行い続ける限りにおいては、現在の私の求めるところは満たされないような気がしている

 ということで、一旦私が何を欲望して教育に向かっていったのか、そしていまそれがどう変化しているのか、殴るように描きつけたいと思う。いつか整理するかもしれない。

 

 もともと私は第一義的に勉強がしたかった。気の赴くままに勉強をして、時々は自分の勉強したことを共有する。そういうことをして、お金がもらえるならこれ以上ないことだと思っていた。だから勉強する時間があり、話を聞いてくれる生徒がいて、教育内容について縛りがゆるい職場を選んだ。

 しかしこうした私の「求めるもの」のビジョンにあまり考慮されていなかったのは、そういう私の営みが生徒にどのように裨益するのかという観点である。結果としては、生徒に教える自己を問い直さなければいけない段階がきている。単純に言えば自分のことしか考えていなかった、ということに結局はなるのだろう。それでいいと思っていた。好きな勉強をして、知的好奇心が満たされ、それを生徒に話すことで、自分の頭が整理される。獲得した概念は人に説明することで定着するし、質問を受けることで陥穽が埋まり、より強固な体系となる。そういうことがしたかった。

 けれど、段々、そうして得たものを、結局どうしていくのだろう、と考えはじめている。自分の勉強をやはり社会的に位置付けたい。自己効力感を得たいという気持ちが強くなってきた。そして、教師をやっている以上自己効力感を得られるとしたら、それは第一に生徒にどう役に立ちうるかということを考えることになるはずだ、と思った。

 それでは今私が生徒のためにできることはなにか。彼らにとって価値があると思われる文章を選定して彼らがそれに出会うための手助けをすること。必要なら読むことの支援をすること。それをする理由としては、彼らが今後の生の中で、それら文章から得られる知や認識の深化を必要としていると感じられるから。

 …しかしそもそも私が、それらの知や認識の深化を生活の中でいかにして役立てているかわからない状況で、彼らにそれを手渡したとして、それを受け取ってもらえるのだろうか。

 例えば定番の、西欧近代の矛盾というトピックがある。誰もが知らなければならないと思う。意識して生活を進めていかなければならないと思う。ところで、それを知っている私は、その知によって、何をどう得ているのだろうか。そうした問いに答えられない限りは正直、それを教えるという行為が片手落ちなのではないかと思っている。私自身が、進歩至上主義的な価値観から少し解き放たれて(もちろん完全に、というわけではな全くないが)それゆえに私と、私にそうした価値観を押し付けられずに済むようになる私の周りの人々が少し生きやすくなっている…?近代的主体からこぼれおち、切り捨てられる存在との連帯の重要性を知って、周囲の他者との付き合い方を反省的に省みることができるようになっている…?そうした小さな変容のかけがえのなさがよくわかりつつ、けれどそれを生徒に向けて説得的に語りうるだろうか。

 もしかすると、教師としての私にとって、そうした知の持つ意味は、それを教育するという行為自体なのかもしれない。つまりそれらを知った理由は、そうした考え方を次世代に繋ぐこと…?そのために、それを知ったということ…?

 それも一つありうる解だ。大抵のことは短い期間で何とかなったりすることはない。多くの人と漸進的に進めるしかない。知の裾野をコツコツと広げていくしかない。そしてこれは、少し勉強した人なら誰でもできる。地味この上ない。この地味さに、私は正直今、クラクラしている。でも、教員としての自分の役回りを前提として考えるのなら、私が勉強することの意味は、勉強したことを伝えることでしかあり得ない。

 振り返って見ると、私は誰でもできることをしたくなかった

 一年目、本当に校務分掌が嫌だった。授業準備で目の下のクマを日に日に拡大再生産するような日々の中、修学旅行係になって、旅行委員のお世話をしたり、しおりの作成の段取りを決めたりすることが面倒でしようがなく、しかし打ち合わせのために来た旅行会社の人が私より数倍大変そうで、真夏にスーツ、汗だくだくで、40代くらいの明らかに中堅社員なのだが最若手の私にぺこぺこ頭下げてくれて、それを見て始めて、みんな面倒なことに絡め取られて大変だと気づいた経験とか、記憶に新しいのだが、それはおいといて話を進めると、夜の職員室で完成したしおりを各クラスの人数分とりわけて輪ゴムをかけてクラス担任の机におく作業をしていたときに感じたその作業の物質性というか、どうしようもなく地味で、なぜ教科の専門性を持っている(ということになっている)自分のような人がこれをやらなければいけないのかとため息が出るとともに、しかし誰かがやらなければしおりが一人でに各クラスの人数分にわかれてくれることなどないわけで、私がやりたくないのなら、誰かに頭を下げてやってもらわなければならない、物事を動かすというのはこういうことなのだなと思ったこと、それが思い出される。

 何が言いたいのかと言うとそれと同じような地味さを、教育に感じる。あまり教科書を使った教育をしていないが例としてそれを持ち出すなら、正直教科書には重要なことがもうだいたい書いてあって、読めばわかることだが生徒は教科書の重要な記述の場所も、そこに書いてあることの重要性もわからないから、私が大事そうなところの大体の内容をまとめて伝達する。こんなこと教師用指導書でちょこっと勉強した人なら誰でもできることだが、放っておくと誰もやらないのだから、誰かが確実にやらなければいけない。上で述べた通り実際には私は教科書を使わないが、別にそれは高校生が一般に学ぶことをスキップしているわけではない。それが深まる方向にしたいと思っているのであって、むしろ私は高校の一般教育課程の延長の学びができるように相当意識している。で、そうすると教科書を使わない指導でも、生徒の役に立つことは何かとか、多少は入試を意識した方がいいのかとか、学習指導要領的には、とか、そういうことを考えた結果選定する文章は大抵教科書に出てくるような著者のものになったり、トピックも似通ってくる(そういう意味で教科書はよくできている)。交換可能な仕事が嫌だったが、教師は教師で確実に交換可能な役回り

 

読みづらくて本当に申し訳ないのですがこのままもう少し続けます。最初はクリアなつもりだったのに、書くうちにすっかりわからなくなってしまった。

 

交換可能な役回りの交換可能性から自分の頭を引き離すには、それぞれの物事の自分にとっての価値を模索することである。なぜなら「誰でもできそうなことに思えるけど私にとっては固有の価値がある、なぜなら〜」ということは常に言えるから。だから教師として、教えることよりも教えることと不可分な、学ぶことの自分にとっての価値を私は中心的に考えていたのだった。教えることも抽象化に抽象化をかさねればせいぜいどっかの新入社員がゴミ捨てたり机拭いたりすることと交換可能性という意味で対して変わらないのであれば、それぞれの経験が自分にとってどのような意味があるかを考えるべきだ…。でもそれでは空虚だ、自分がどんなニーズを満たしているのかというところを意識しなければ空虚だ、というところから私の違和感は始まっているので、だとすれば、交換可能性を受け入れるところから話を始めなければならない。

「いや、それはおかしい、むしろ他者を意識した地点から、自分の交換不可能性が浮かび上がるはずである」というのはその通りでしょうが、そのためには、まず交換可能性をくぐり抜けなければいけないわけで、交換可能な自己をはっきり意識化してこそ、そこから交換不可能なものが浮かび上がってくるはずなのである。

ということで、私は交換可能な営みとしての教育に自己が参与していること、正直私がやっている教育なんて、大部分誰にでもできるということをはっきりと直視しなければならない。それはつまり、まずニーズに応えることを中心化しなければならない、ということになるのだと思う。誰か特定の人しか答え得ないニーズというのを多方面に人がだだっぴろげて向けるということはないわけで、ニーズに応えるということは、まずもって少なくとも一旦、ニーズに応えうる複数の人の中の一部に自分がなるということでしかあり得ない…のだと思う。その中で、段々ニーズを発する側も、ニーズに応じる人の固有性に合わせたニーズを発するようになる。そこまできてやっと私の交換不可能性のようなものが生きるはず。

 

私の教育の欲望は、多くの人と同じく、自分自身の交換不可能性を感じたいという欲望から構成されている面がある。しかし交換不可能性は交換可能性の自覚をくぐり抜けることでしかありえない。最初の話に戻るが、私が本当に求めていたのは、「教育を通じて自己の交換不可能性を日々感じること」だった。ところが今、むしろ自己の交換可能性をこそひしひしと感じている。なぜそうなったのかといえば、正確に求めたいものを言語化して求めて来なかったから。教育は教育でも、どんな教育でもよかったわけでは決してなかったから。方向転換をしなければならない。

   これはどのような仕事でも同じはずだが、教員志望の人は特に、交換可能性をくぐり抜けることをスキップしたいと思ってしまうのでは?教壇に立って生徒に向かって50分も話せる。一応、一方的に聞いてもらえる。その環境を求める人というのは、やはり、どこかで他の誰でもない一個の自分を表現したいという欲望を持っているのでは?自分がそうだからそれを一般化してしまうのですが。

   ここまで考察しても、明日から私が劇的に変わることは特になく、校務分掌とか、すでに十分知っている・理解していることを改めて生徒にわかりやすく話すこととか、資料を何百部もコピーすることとか、無限に面倒臭いままなんだろうけれど、教育自体を欲望することでは欲望の明確化が足りていなかったということがわかった。その結果が今の状況ということ。