SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

私にとっての「広島への最初の旅」

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 毎年この時期になると、高校時代の社会科ゼミナールで、86日〜9日まで広島に研修旅行に行ったことが思い出される。高校2年生の時だった。旅程は平和運動を行う高校生団体との交流や、町歩きフィールドワーク、公益財団法人放射線影響研究所広島市立大学平和研究所・広島市江波山気象館訪問などから構成されていた。今こうして列挙してみると、おそらく個人での訪問を受け入れていないような場所が訪問先に多く含まれており、教員引率の元あるまとまった人数で行う研修旅行でしか可能でないような旅程であることが納得され、先生方が力を入れて作ったプログラムであったということがわかる。

 

 高校時代の私は周囲に比して知的にも情動的にも幼かったため、そうしたプログラムから受け取るべきものを過不足なく受け取り得たかは心許ない。しかし広島というのは街全体として原爆投下の社会的記憶を保存することに努めている場所である。過去にあったカタストロフが、街をどれだけ壊滅的に破壊したか。今現在も残る爪痕は、どのような様相をなしているか。どのような営みにより被曝から今日に至るまでの再生がありえたか。街のいたるところにある解説ボードや資料館などにより、それほど意識的にならなくとも何とはなしに頭に入ってきた。

 到着したのがちょうど86日の原爆記念日で、夜、平和記念公園では追悼イベントが行われていた。本当に多くの人が公園に集まり、灯篭を流したり、原爆ドームを眺めたり、公園の像に祈りを捧げていた。これほどの規模で人々が過去の喪失に思いをはせ、未来に向けての祈りを行う時間と場に接したことはなかった。正直訪問先の記憶は申し訳ないことにほとんど残っていないのだが、広島という街、カタストロフを引き受け、それを背負って生きる街や人々との出会いは私の中に強烈な印象とともに残った。

 それから、高3と浪人時代は難しかったが、大学1年、2年の2年間は少なくとも、86日を、広島平和記念公園で過ごした。青春18切符でだらだらと東京から広島に繰り出し、夜は灯篭流しを見たり、公園内のベンチに腰掛けて本を読んだりした。その時読んだのは、別に広島や戦争に関わる本ではなかったと思う。『暗夜行路』や、『天人五衰』など、そんなものだった。私に限らず、イベントのお祭り的様相に惹きつけられ、ふと家を出て公園に来た人は少なくなかったと思う。私にとっては、その場を多くの人と共有することが重要だった。何か商業的な目的なしに、広い場所に人々が繰り出し、思い思いのことをする。そしてその全体が過去の死者を思うという追悼の方向付けの中にある。そういう空間が新鮮で、そこにいると大きな流れに触れているような気分になった。そうした場は、あまり東京で見出すことができない。東京でも東京大空襲追悼イベントが815日に行われているし、そういうところに行けばそういうことがあるのかもしれないが、平和記念公園という、ある広さを持った追悼のための場所は、東京にはない。そういった場所があることの意味を、行くたびに強く感じた。

 しかし一方、8月6日を広島で過ごした2年間で、私にとっての広島体験を、自分のその後の生にどう位置付けて良いのかはよくわからないままだった。その後、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』(岩波新書、1965年)を読んで、それは少し明確になった。同書の「広島への最初の旅」と題された章では、原水禁原水協の対立や、それをなんとか調停しようとする政治家たちの姿と、それらのいわば党派色のある人々の活動とは別のところで平和を実現しようとする市民のありようが、障害児を授かった衝撃と直面した過去を持ち、今もどうやらそこから完全に抜け出しきっていない、語り手の目をとおして描かれる。

 語り手は、原爆体験を有しているわけでも、また広島と特別に関わりが深いわけでもない、東京の新進作家であり、いわばアウトサイダーである。しかしそのアウトサイダーとしての作家が、大きな破壊からの再生と、平和を希求する人々のモラルに触れ、自己の抱える問題に向き合う契機を得る進み行きを読み、私は初めて、私にとっての広島体験を、私の個人的な生活にも通じうるものとして捉え直す回路を受け取ったようにも思う。

 86日に広島を訪れなくなって、考えてみると5年以上。訪れなくなったのは、第一に結局平和記念公園の追悼を私は消費しているような気がしたから。そして第二に、上で書いたような読書経験の影響もあり、私は私自身に関わる追悼と、それを踏まえた今後の生の方向付けを、私自身の卑小ではあるが、しかし一応わずかにありはするモラルを基盤にコツコツ果たしていかなければならないと思われた。一応私の故郷である、東京の西部で。別に毎日そんなことを意識しているわけではないが。ここ4年間で立て続けに二人祖父を亡くしたので、ブログでは、以下の二つの記事を書いた。ご笑覧いただければ幸い。

 

 

summery.hatenablog.com

 

 

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