SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

『闇ミル闇子ちゃん』・アイデンティティ・大学院

 

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 『闇ミル闇子ちゃん』(2014)の単行本を明け方ふと読み直した。本棚にひっそりとしまわれているのに気づいてしまったから。

 著者のsatsumaimoさんは私のいわゆる「同クラ」で、一時期は一緒に小さな演劇を作るなどした。彼は闇子ちゃんのように学生の自意識を快刀乱麻切って切って切りまくるタイプではない。少なくとも二年生までの彼を見る限りは。つまり漫画中の闇子ちゃんの言葉や振る舞いに見られるアイデンティティ確立への途上で学生たちが周囲に対して発揮する欺瞞への鋭すぎる感受性は、彼が大学生活を通して後天的に獲得したもの、ということになると思う。もしそうでなく、闇子ちゃんの吐露するようなことを、彼が大学初年次あたりから普通に思っていたということになれば、私のような自意識過剰な人間は彼の内面において何度血祭りにあがっていたのだろう、と薄ら寒い気分になる。

 何らかのアイデンティティを選び取ることは必ずやそうでないものの排除や、以前の自己の切り捨てが含まれる。人は弱いから、自分が切り捨てていくものに対してそれが「重要ではないものだった」というような否定的態度を取らざるを得ない。それが本当に重要かそうでないかは別として。なぜなら、もしそれが重要なものなのであれば、それを切り捨てるという選択を正当化できないからだ。

 闇子ちゃんは、こうしたアイデンティティ獲得の努力の中で、人々が振り落としていくものに対してとる欺瞞的態度を突く。そして漫画で何度も強調されるように、それは「闇」を指弾して闇を抱える人々との関わりを切り捨て続ける闇子ちゃん自身への批評として帰ってくる。

 大学に入りたての学生間におけるアイデンティティ獲得過程の自意識の闘争。なかなかそこから免れうるものはいない。泰然としている人は、それはそれで、「周囲を実はバカにしている」などとみなされる。二十歳前後の大学生の驚くべき未成熟さ。そしてそれを助長するような前期教養課程のマス化した教育のありよう。前期教養課程で心を病んだり、何らかの形で別なものにどっぷり浸かって、留年他により私の目の前から消えて行った人は私一人の周囲ですら二人や三人ではないのだが、彼らはこうした駒場の空気に中ったのではないか、と勝手に思う。

 

※ちなみに私自身の前期教養課程時代については以下の記事をどうぞ。

summery.hatenablog.com

 

   大学院生まで駒場にいた私の目に、毎年入学してくる大学一年生はどんどん幼く映るようになっていった。教養英語や初年次ゼミのTAで出会う彼らの中に、楽しそうな人はあまりいなかった。彼らは常に自分の選択が他人のそれらとの関係の中でどう位置付けられるか気にしていた。それを見て、私は窮屈だなと感じられた。そういうふうに思い始めたあたりから、私は自分の所属する駒場のキャンパスにほとんどいかなくなった。駒場を歩いているとイライラした。伏在する競争の空気の中にいると、自由に思考ができなくなる気がした。

 正直、最近は大学院にも前期教養的なものと似通ったものを感じる。伏在する競争意識に基づいた他者に対する卓越化の闘争という点で。論文生産にコスパを求める風潮は、論文の数で院生を序列化することに帰結する。また、博士論文を書くまでの期間がどんどん短くなっていくことで、院生は、学振をとっているか、博論の構想が練れているか、(そういうものがあるのなら)博士論文執筆のための審査をすでに受けたか、博論をどれほど書いているか、何年で書くつもりか、などで周囲と比べられることになる。そういう、比較の眼差しにさらされるのが嫌で、そうしたものと大学院は無縁だと思っていたのに…。

 こうした雰囲気は、要するに前期教養課程的なものとの連続性においてとらえられるのだなと思う。卑小な自我を守りたいと思う、それ自体卑小な自意識。それを人生のある段階で抱いてしまうことは責められることではない。闇子ちゃんの漫画からは著者satsumaimoさんの、前期教養課程的なものへの愛が感じられる。なぜなら闇子ちゃんが都度暴き出すように、それらの強がりの裏にある弱さは、20前後ではまだまだ、容易に暴かれるものだから。つまり慈愛に満ちた眼差しとともに結局は、見ることもできなくはないのだ。

 しかしそうした価値観をどこまでも内面化した人々は、可愛いでは済まされない。彼らは他者への暴力を無自覚的に振るう存在へと転化するからだ。それは、一体どのようにして防止し得るのだろう。防止、といって押さえつけるのではなく、他者を貶さずに、みんなで相互に承認しあって、遅い人はその遅さにおいて評価されるような有り様はないのだろうか。

    考えてみれば、そうした共同体の可能性は人文学にあるというのを私は何となく嗅ぎつけてそちらを選択したような気もするのだが、現実にはここ数年で人文学の肩身はますます狭くなる一方。それでもなくならないとは思うが、ポスト削減により目に見えるわかりやすい成果を上げることに汲々とする人々(もちろん、現実的には時間にもお金にも限界があるし、今の状況で、余裕がない人はそうなって当然だが)が人文系で生き残る風潮ができると、長期的には人文科学の価値は内側から掘り崩されてしまう。そういう意味で、危機だと思う。

 

 とか記事を書いて外の様子も確認せずに喫茶店を出たら外が大雨。でもトレーを下げてしまってから入り直すわけにもいかないので、土砂降りに濡れながら自転車を漕いだのでした。とほほ…

私にとっての「広島への最初の旅」

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 毎年この時期になると、高校時代の社会科ゼミナールで、86日〜9日まで広島に研修旅行に行ったことが思い出される。高校2年生の時だった。旅程は平和運動を行う高校生団体との交流や、町歩きフィールドワーク、公益財団法人放射線影響研究所広島市立大学平和研究所・広島市江波山気象館訪問などから構成されていた。今こうして列挙してみると、おそらく個人での訪問を受け入れていないような場所が訪問先に多く含まれており、教員引率の元あるまとまった人数で行う研修旅行でしか可能でないような旅程であることが納得され、先生方が力を入れて作ったプログラムであったということがわかる。

 

 高校時代の私は周囲に比して知的にも情動的にも幼かったため、そうしたプログラムから受け取るべきものを過不足なく受け取り得たかは心許ない。しかし広島というのは街全体として原爆投下の社会的記憶を保存することに努めている場所である。過去にあったカタストロフが、街をどれだけ壊滅的に破壊したか。今現在も残る爪痕は、どのような様相をなしているか。どのような営みにより被曝から今日に至るまでの再生がありえたか。街のいたるところにある解説ボードや資料館などにより、それほど意識的にならなくとも何とはなしに頭に入ってきた。

 到着したのがちょうど86日の原爆記念日で、夜、平和記念公園では追悼イベントが行われていた。本当に多くの人が公園に集まり、灯篭を流したり、原爆ドームを眺めたり、公園の像に祈りを捧げていた。これほどの規模で人々が過去の喪失に思いをはせ、未来に向けての祈りを行う時間と場に接したことはなかった。正直訪問先の記憶は申し訳ないことにほとんど残っていないのだが、広島という街、カタストロフを引き受け、それを背負って生きる街や人々との出会いは私の中に強烈な印象とともに残った。

 それから、高3と浪人時代は難しかったが、大学1年、2年の2年間は少なくとも、86日を、広島平和記念公園で過ごした。青春18切符でだらだらと東京から広島に繰り出し、夜は灯篭流しを見たり、公園内のベンチに腰掛けて本を読んだりした。その時読んだのは、別に広島や戦争に関わる本ではなかったと思う。『暗夜行路』や、『天人五衰』など、そんなものだった。私に限らず、イベントのお祭り的様相に惹きつけられ、ふと家を出て公園に来た人は少なくなかったと思う。私にとっては、その場を多くの人と共有することが重要だった。何か商業的な目的なしに、広い場所に人々が繰り出し、思い思いのことをする。そしてその全体が過去の死者を思うという追悼の方向付けの中にある。そういう空間が新鮮で、そこにいると大きな流れに触れているような気分になった。そうした場は、あまり東京で見出すことができない。東京でも東京大空襲追悼イベントが815日に行われているし、そういうところに行けばそういうことがあるのかもしれないが、平和記念公園という、ある広さを持った追悼のための場所は、東京にはない。そういった場所があることの意味を、行くたびに強く感じた。

 しかし一方、8月6日を広島で過ごした2年間で、私にとっての広島体験を、自分のその後の生にどう位置付けて良いのかはよくわからないままだった。その後、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』(岩波新書、1965年)を読んで、それは少し明確になった。同書の「広島への最初の旅」と題された章では、原水禁原水協の対立や、それをなんとか調停しようとする政治家たちの姿と、それらのいわば党派色のある人々の活動とは別のところで平和を実現しようとする市民のありようが、障害児を授かった衝撃と直面した過去を持ち、今もどうやらそこから完全に抜け出しきっていない、語り手の目をとおして描かれる。

 語り手は、原爆体験を有しているわけでも、また広島と特別に関わりが深いわけでもない、東京の新進作家であり、いわばアウトサイダーである。しかしそのアウトサイダーとしての作家が、大きな破壊からの再生と、平和を希求する人々のモラルに触れ、自己の抱える問題に向き合う契機を得る進み行きを読み、私は初めて、私にとっての広島体験を、私の個人的な生活にも通じうるものとして捉え直す回路を受け取ったようにも思う。

 86日に広島を訪れなくなって、考えてみると5年以上。訪れなくなったのは、第一に結局平和記念公園の追悼を私は消費しているような気がしたから。そして第二に、上で書いたような読書経験の影響もあり、私は私自身に関わる追悼と、それを踏まえた今後の生の方向付けを、私自身の卑小ではあるが、しかし一応わずかにありはするモラルを基盤にコツコツ果たしていかなければならないと思われた。一応私の故郷である、東京の西部で。別に毎日そんなことを意識しているわけではないが。ここ4年間で立て続けに二人祖父を亡くしたので、ブログでは、以下の二つの記事を書いた。ご笑覧いただければ幸い。

 

 

summery.hatenablog.com

 

 

summery.hatenablog.com

 

 

さても哀しき教育の欲望

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 長い期間本気で求め、行動を積み重ねていると大体のものは手に入るような気がする。そもそも、長く本気で求め続けられるものというのは、手に入りうるものだから。最初は全く手に届かないところにあるかもしれないが、行動を起こすと少し近くなる、その時点で、ある程度の距離は推し測られ、全く無理なら、本気で求め続けることはないだろう。だから、長く本気で求め続けることができるものは、手に入りうる。「本気で求める」も重要だが、求めることを長く続けることも同じくらい重要だ。

 私はこれで教員3年目である。大学院の時に私が求めていたものは、幸い手に入ったと入職直後に思った。入試問題に縛られない教育環境。週に一度の研究日。優秀で、少なくとも授業中は座って静かにしていてくれる、そして全体の1/3程度は熱心に話を聞いてくれる生徒。こちらが荒唐無稽な実験的授業をしても、なんとかついて来てくれ、かつはそれなりのものをそこから学んでくれる一部の生徒たちは、私の側の負担を大いに軽減してくれた。生徒が優秀だと、何をやろうと、それなりに結果らしい結果が出てくるから。いや、出てきてしまうから。冷静に考えるとダメダメだったと振り返られる授業についても、そうなのである。だから私の卑小な承認欲求が毀損されることはあまりなかった。

 これ以上はない、と思っていた環境だ。しかし、最近少し違和感を覚えつつもある。私は長く本気で求めた末、今のような職場を得た。求めるものは大抵得られる。しかし、私の求めていたものは、本当に欲しかったものだったのか。もし、欲しいものが、長い期間本気で努力しなければ得られないものなら、何を求めるか、慎重に決めることは重要なはずだ。

 

 前振りが長くなったが、教育の欲望である。どうやら、以前から私が思い描いていたような「教育」を行い続ける限りにおいては、現在の私の求めるところは満たされないような気がしている

 ということで、一旦私が何を欲望して教育に向かっていったのか、そしていまそれがどう変化しているのか、殴るように描きつけたいと思う。いつか整理するかもしれない。

 

 もともと私は第一義的に勉強がしたかった。気の赴くままに勉強をして、時々は自分の勉強したことを共有する。そういうことをして、お金がもらえるならこれ以上ないことだと思っていた。だから勉強する時間があり、話を聞いてくれる生徒がいて、教育内容について縛りがゆるい職場を選んだ。

 しかしこうした私の「求めるもの」のビジョンにあまり考慮されていなかったのは、そういう私の営みが生徒にどのように裨益するのかという観点である。結果としては、生徒に教える自己を問い直さなければいけない段階がきている。単純に言えば自分のことしか考えていなかった、ということに結局はなるのだろう。それでいいと思っていた。好きな勉強をして、知的好奇心が満たされ、それを生徒に話すことで、自分の頭が整理される。獲得した概念は人に説明することで定着するし、質問を受けることで陥穽が埋まり、より強固な体系となる。そういうことがしたかった。

 けれど、段々、そうして得たものを、結局どうしていくのだろう、と考えはじめている。自分の勉強をやはり社会的に位置付けたい。自己効力感を得たいという気持ちが強くなってきた。そして、教師をやっている以上自己効力感を得られるとしたら、それは第一に生徒にどう役に立ちうるかということを考えることになるはずだ、と思った。

 それでは今私が生徒のためにできることはなにか。彼らにとって価値があると思われる文章を選定して彼らがそれに出会うための手助けをすること。必要なら読むことの支援をすること。それをする理由としては、彼らが今後の生の中で、それら文章から得られる知や認識の深化を必要としていると感じられるから。

 …しかしそもそも私が、それらの知や認識の深化を生活の中でいかにして役立てているかわからない状況で、彼らにそれを手渡したとして、それを受け取ってもらえるのだろうか。

 例えば定番の、西欧近代の矛盾というトピックがある。誰もが知らなければならないと思う。意識して生活を進めていかなければならないと思う。ところで、それを知っている私は、その知によって、何をどう得ているのだろうか。そうした問いに答えられない限りは正直、それを教えるという行為が片手落ちなのではないかと思っている。私自身が、進歩至上主義的な価値観から少し解き放たれて(もちろん完全に、というわけではな全くないが)それゆえに私と、私にそうした価値観を押し付けられずに済むようになる私の周りの人々が少し生きやすくなっている…?近代的主体からこぼれおち、切り捨てられる存在との連帯の重要性を知って、周囲の他者との付き合い方を反省的に省みることができるようになっている…?そうした小さな変容のかけがえのなさがよくわかりつつ、けれどそれを生徒に向けて説得的に語りうるだろうか。

 もしかすると、教師としての私にとって、そうした知の持つ意味は、それを教育するという行為自体なのかもしれない。つまりそれらを知った理由は、そうした考え方を次世代に繋ぐこと…?そのために、それを知ったということ…?

 それも一つありうる解だ。大抵のことは短い期間で何とかなったりすることはない。多くの人と漸進的に進めるしかない。知の裾野をコツコツと広げていくしかない。そしてこれは、少し勉強した人なら誰でもできる。地味この上ない。この地味さに、私は正直今、クラクラしている。でも、教員としての自分の役回りを前提として考えるのなら、私が勉強することの意味は、勉強したことを伝えることでしかあり得ない。

 振り返って見ると、私は誰でもできることをしたくなかった

 一年目、本当に校務分掌が嫌だった。授業準備で目の下のクマを日に日に拡大再生産するような日々の中、修学旅行係になって、旅行委員のお世話をしたり、しおりの作成の段取りを決めたりすることが面倒でしようがなく、しかし打ち合わせのために来た旅行会社の人が私より数倍大変そうで、真夏にスーツ、汗だくだくで、40代くらいの明らかに中堅社員なのだが最若手の私にぺこぺこ頭下げてくれて、それを見て始めて、みんな面倒なことに絡め取られて大変だと気づいた経験とか、記憶に新しいのだが、それはおいといて話を進めると、夜の職員室で完成したしおりを各クラスの人数分とりわけて輪ゴムをかけてクラス担任の机におく作業をしていたときに感じたその作業の物質性というか、どうしようもなく地味で、なぜ教科の専門性を持っている(ということになっている)自分のような人がこれをやらなければいけないのかとため息が出るとともに、しかし誰かがやらなければしおりが一人でに各クラスの人数分にわかれてくれることなどないわけで、私がやりたくないのなら、誰かに頭を下げてやってもらわなければならない、物事を動かすというのはこういうことなのだなと思ったこと、それが思い出される。

 何が言いたいのかと言うとそれと同じような地味さを、教育に感じる。あまり教科書を使った教育をしていないが例としてそれを持ち出すなら、正直教科書には重要なことがもうだいたい書いてあって、読めばわかることだが生徒は教科書の重要な記述の場所も、そこに書いてあることの重要性もわからないから、私が大事そうなところの大体の内容をまとめて伝達する。こんなこと教師用指導書でちょこっと勉強した人なら誰でもできることだが、放っておくと誰もやらないのだから、誰かが確実にやらなければいけない。上で述べた通り実際には私は教科書を使わないが、別にそれは高校生が一般に学ぶことをスキップしているわけではない。それが深まる方向にしたいと思っているのであって、むしろ私は高校の一般教育課程の延長の学びができるように相当意識している。で、そうすると教科書を使わない指導でも、生徒の役に立つことは何かとか、多少は入試を意識した方がいいのかとか、学習指導要領的には、とか、そういうことを考えた結果選定する文章は大抵教科書に出てくるような著者のものになったり、トピックも似通ってくる(そういう意味で教科書はよくできている)。交換可能な仕事が嫌だったが、教師は教師で確実に交換可能な役回り

 

読みづらくて本当に申し訳ないのですがこのままもう少し続けます。最初はクリアなつもりだったのに、書くうちにすっかりわからなくなってしまった。

 

交換可能な役回りの交換可能性から自分の頭を引き離すには、それぞれの物事の自分にとっての価値を模索することである。なぜなら「誰でもできそうなことに思えるけど私にとっては固有の価値がある、なぜなら〜」ということは常に言えるから。だから教師として、教えることよりも教えることと不可分な、学ぶことの自分にとっての価値を私は中心的に考えていたのだった。教えることも抽象化に抽象化をかさねればせいぜいどっかの新入社員がゴミ捨てたり机拭いたりすることと交換可能性という意味で対して変わらないのであれば、それぞれの経験が自分にとってどのような意味があるかを考えるべきだ…。でもそれでは空虚だ、自分がどんなニーズを満たしているのかというところを意識しなければ空虚だ、というところから私の違和感は始まっているので、だとすれば、交換可能性を受け入れるところから話を始めなければならない。

「いや、それはおかしい、むしろ他者を意識した地点から、自分の交換不可能性が浮かび上がるはずである」というのはその通りでしょうが、そのためには、まず交換可能性をくぐり抜けなければいけないわけで、交換可能な自己をはっきり意識化してこそ、そこから交換不可能なものが浮かび上がってくるはずなのである。

ということで、私は交換可能な営みとしての教育に自己が参与していること、正直私がやっている教育なんて、大部分誰にでもできるということをはっきりと直視しなければならない。それはつまり、まずニーズに応えることを中心化しなければならない、ということになるのだと思う。誰か特定の人しか答え得ないニーズというのを多方面に人がだだっぴろげて向けるということはないわけで、ニーズに応えるということは、まずもって少なくとも一旦、ニーズに応えうる複数の人の中の一部に自分がなるということでしかあり得ない…のだと思う。その中で、段々ニーズを発する側も、ニーズに応じる人の固有性に合わせたニーズを発するようになる。そこまできてやっと私の交換不可能性のようなものが生きるはず。

 

私の教育の欲望は、多くの人と同じく、自分自身の交換不可能性を感じたいという欲望から構成されている面がある。しかし交換不可能性は交換可能性の自覚をくぐり抜けることでしかありえない。最初の話に戻るが、私が本当に求めていたのは、「教育を通じて自己の交換不可能性を日々感じること」だった。ところが今、むしろ自己の交換可能性をこそひしひしと感じている。なぜそうなったのかといえば、正確に求めたいものを言語化して求めて来なかったから。教育は教育でも、どんな教育でもよかったわけでは決してなかったから。方向転換をしなければならない。

   これはどのような仕事でも同じはずだが、教員志望の人は特に、交換可能性をくぐり抜けることをスキップしたいと思ってしまうのでは?教壇に立って生徒に向かって50分も話せる。一応、一方的に聞いてもらえる。その環境を求める人というのは、やはり、どこかで他の誰でもない一個の自分を表現したいという欲望を持っているのでは?自分がそうだからそれを一般化してしまうのですが。

   ここまで考察しても、明日から私が劇的に変わることは特になく、校務分掌とか、すでに十分知っている・理解していることを改めて生徒にわかりやすく話すこととか、資料を何百部もコピーすることとか、無限に面倒臭いままなんだろうけれど、教育自体を欲望することでは欲望の明確化が足りていなかったということがわかった。その結果が今の状況ということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Silent Hill4 と最近読んだ現代小説

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 今週も忙しかったなあ。

 折に触れて観直す動画が上に貼ったもの。Silent Hill4:The Roomというゲームのオープニング動画であるのだが、現れる異形のものたちの表象が見事だと思う。ゲーム内で「ゴースト」と呼ばれる彼らのいずれも、大きな暴力により破壊され、変形された身体を持って現実世界に現れる。

 彼らは生前市民社会では厳重に禁じられてあるはずの(しかし確かに存在してはいる)苛烈な暴力の対象となっており、その傷ついた身体は一般的道徳を著しくはみ出した地点—規範のない場所—を象徴する。通常ではあり得ない動き、いかなる意味も読み取れない声は、彼らと私たちとの間に共有可能なルールの不在を思わせる。

 しかし彼らはあえてプレイヤーである私たちを襲ってくるわけで、それは著しくねじくれ曲がっており、基本的にはいかなる意味でも理解不能なのだろうが、しかし、やはり一種のコミュニケーションの希求なのだろう。ゴーストが生きているものの心の産物なのだとしたら、彼らは規範の埒外に対する私たちの恐れそのものの象徴であるのだろう。

 大江健三郎『水死』を読み直している。作中に現れる思想対立は面白いが、それだけならわざわざ小説として書く意味がない。「森々」(農本主義?)と「淼々」(日想観?)の運動性が交差する「立ったまま水死」を書くことの意味、二つの思想を重ね合わせたまま宙吊りにすることの評価が為されなければならない。が、わからず。11月の学会発表になんとか出せれば良いが…。

 最近、「使わない爪をといでいても仕方がない」というフレーズをよく思い浮かべる。「といでいても仕方がない」と諦めているのではない。人間は使わない爪をといでしまうものだ。それを虚しいものでなくするために、何が必要かということを考えている。私の現任校は、どちらかというと進学校で、教員の学歴も高めなのだが、その中には、コツコツ密かに、最先端の学問的動向を追っている人がいる。彼らの知見は、しかし高校で授業をする分には大して役に立たないだろうし、生徒にも同僚にも理解されないだろう。彼らは何かしら自己の認識を新たにしていく試みに知的快楽を覚えているのだろうが、それが本当に単なる快楽のためなのだったら、そのうちに飽きが来る。勉強をどう日常生活・職業生活に生かしていけるのか、気になっている。

 授業では町屋良平の『しき』(初出:『文藝』2018年夏季号)を読んだ。授業参加者からは割と好評だったし、私も思春期の少年たちの内面はうまく描けていると思ったが、それらを安直なリリシズムに回収しようとする語り手の振る舞いが鼻についた。思春期の少年たちの内面の曖昧さを描き出そうとすることよりも、それらしきものを読者の見たいように加工して見せている気がした。細部の失敗をあげつらうことはあまりしたくないし、実際瑣末な失敗は目をつぶることができる私だが、読者に迎合するかのような語り手の傲慢さ(あえてやっているのなら良いが、そうでないもの)が見える作品については話は別で、看過できない。

 もう一つ北条裕子の『美しい顔』(初出:『群像』2018年6月号)も読んだ。これは読んでいる途中にいたたまれなさを覚えるものだったが今から振り返ると、町屋良平の語り手に感じるような傲慢さはなかった。うまくいっていない部分に関しても、作者は真摯な努力の上に表現を行っているという感があった。ただし、母親のお友達の女性に説教される場面など、端的に浅はかだと思った。そうした教条的な説教はわざわざ文学でしか書けないのかと強く疑問に思った。ラストは「あーはいはいそうまとめるのね」と言いたくなるような、安直なトラウマ乗り越え物語で、私にもわからないので偉そうなことは言えないが、被災者の物語とはこのように単純なものたりうるのかとこれについても疑問に思った。

 両作品とこの間感想を書いた高橋弘希送り火』(初出:『文学界』2018年5月号)に共通するのはどの小説も思春期の少年少女、それも田舎の少年少女(『しき』にも田舎から越してきた少年が重要人物として現れる)に内面化していること。なぜなのだろう?若者の心理は現代ではそれほど多くの人が取り組まなければいけないほどわけのわからないものなのだろうか。にしては彼らの大半がどっぷりつかってしまっているSNSは、まだ現代文学にとってのトポスたり得ていないような気がする。

 芥川賞はあくまで新人賞で、その候補作および受賞作が瑕瑾のない作品である必要はない。しかし読み手としては何か見所のある新しさを感じさせるデビュー作を期待してしまうもので、私がこれまでいくつかの受賞作や候補作の中で、これはすごいと思ったのは…沼田真佑『影裏』かなあ。それ以前だと、円城塔川上未映子目取真俊がよかった。錚々たるメンツ。今年や去年に受賞した作家がこうしたビッグネーム並みの活躍をするようになるのかなあ。期待。少なくとも次の芥川賞の候補には高山羽根子・今村夏子・古川真人が名を連ねており、今村さんは正直私にはよくわからないが友人が強烈に押しているし、他の二人は実力があると思えるし、楽しみである。

雑記:学校現場におけるマネジメントスキルの育成はどうすればいいのか

 

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 さてさて、雑記に行くが、なんでしょうね、最近疲れることが増えて来てしまって、授業準備と授業の繰り返しだけやっていれば楽なものを現実にはそうはいかないのが辛いところね。担任業務、はまだ生徒相手だから楽だが、保護者対応に行事・部活関係は本当に体力をごりごり削ってくる。授業・生徒対応とは全く異なる頭と身体の使い方をしなければならないのが辛い。教育現場は教師になんでもできることを求めて来ていて、他方私は、残念だけど何でもできるようになることに魅力を感じてはいないのである。それはひょっとして何も満足にはできないことと紙一重なのではないかと感じてしまって。

 一つの職場しか経験していないのに何だが、よく日本企業について語る際に、「日本企業はスペシャリストを育成する力に欠ける」と言われる。例えば「あの人は経理処理が苦手だから、できるようになってもらおう。」みたいな思考が叩かれる。得意な人にやらせればその人のスキルはもっと上がるだろうし、苦手な人は自分の得意な分野にさくことのできる時間が多くなる。全体の効率はそっちの方があがるはずなのに、そうしないのはなぜかと。

 やはりこの問いへの解は、日本企業が終身雇用・年功序列を基本に据えており、誰もがいつか管理職になることを想定した人材育成をしているから、ということになるのだろう。これから課長になる人が、経理処理を全くやったことがなく、知らない・経理処理のセクションと全くなんのコネもない、では確かに話にならない。こうした育成システムが、つまりは労働者個々人がスキルを上げ、それを元に複数の会社を渡り歩くような現在出現しつつある社会のシステムと矛盾しているということなのだろう。

 学校現場にもある程度まで同じことが言える。副校長や校長にならんとする人が保護者対応をしたことがなく、行事運営の方法やその際の危機管理をできないというのでは話にならない。それが、どんな教員も色々できた方がいい、という考えにつながる。

 解決策は、管理職と教員とをきっぱりわけてしまうことなのだが、これには教員から反発が出る。次の策は管理職になることを見越した育成パスとそうでないパスをわける、という手。しかしこれだと管理職パスの人が転職してしまった場合その人にかけたコストは無駄になる。すると、ともかくどの教員にも手広くやってもらっておいた方が、結果誰が残ることになってもその人に経験がある程度蓄積されているので、問題が少ないということになる。

 …と、せっかくの休日なのに仕事の話を書いてしまったが、専門性を身に付けたいのに雑多な仕事で疲弊させられるのが嫌だ、というのはどこかに勤める現代的労働者共通の悩みな気がするので書こうかと思ったのだった。

高橋弘希『送り火』の語り手に対する違和感

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 毎日疲れる。心地よい疲れと、身体が重くなるような倦怠と、その狭間にある。これ以上忙しくなると疲弊していきそうな、そんなギリギリなところにいる気がする。この生活の破綻もそう遠くないかもしれない。

 

 高橋弘希の『送り火』を読んだ。第159回芥川賞受賞作である。

 高橋の作品については話題になった『指の骨』を読んだことがあり、その時は濃密な筆致から立ち上がってくる「リアルな戦場」という虚構(高橋はもちろん戦争経験者ではない)に圧倒されたものだった。しかし読後感は良かったものの、それほど評価する気にはならなかった。簡単に言えば、高橋の戦争描写は、これまでの作品にその多くを依存している気がしたからだ。

 もちろん小説という文化的装置は、それまでの積み重ねの上に立つものだから、あからさまな剽窃は排されるべきだが、時代とともに蓄積されてきた戦争の描写を借りることは自由にしてよいと私は考えている。しかし私には、高橋がこれまでに蓄積されてきたものを組み合わせる、その編集の上手さは感じられても、彼がそれらの上に何か独自のものを積み重ね得ているようには思えなかった。

 ただ、作家はそれぞれ独自のものを持っており、高橋も例外ではないのだから、その独自のものが感じられないのは妙で、はて、これは何故なのだろう(読み手の私に問題がある?)と考えていた。

 

 今回、『送り火』を読んでその理由がわかった気がする。『送り火』は例によって非常によく書けているし、面白く読めたが、積み重ねられる一つ一つのエピソードの収め方が妙に技巧的で、〈挿話を安直なリリシズムに回収することに巧みな作家〉という印象を途中で持ってしまったのだが、するともうあまり作品内世界に没入することができなくなった。

 問題だと思ったのは、語り手が、本来複雑であるはずの問題について語らねばならない時は主人公の中学三年生に内面化することで回避し、そうでない風景描写などについては顔を出して繊細な言葉で塗り込める、この往復関係である。一言で言ってしまえば、そこにあざとさと狡猾さを感じた。

 もちろん、小説という場において、通常語り手は適宜必要な場所に顔を出し、小説を小説として立ち上げるための大立ち回りを密かに行なっている。だから、それ自体を糾弾することは反-小説的なのであって、さすがにそんなことをいうつもりはない。しかし、高橋がなぜ「送り火」を書かなければならなかったのかが伝わってこなかった。肝心な問題に踏み込んでいないように感じた。最後に描かれる送り火の場面も、それ以前に描かれたエピソードとテーマ的にうまく結びついていない。薄っぺらいと思う。

 選考委員の高樹のぶ子はこの作品について以下のように述べている。

「「送り火」の一五歳の少年は、ひたすら理不尽な暴力の被害者でしかない。この少年の肉体的心理的な血祭りが、作者によって、どんな位置づけと意味を持っているのだろう。それが見いだせなくて、私は受賞に反対した。」

「読み終わり、目をそむけながら、それで何? と呟いた。それで何? の答えが無ければ、この暴力は文学ではなく警察に任せれば良いことになる。」

(以上、『文藝春秋』2018年9月号 )

 私はこれに同意したいと思う。近いうちにこの作品について授業で扱われるので、他の人たちの感想を聴きながら再考したい。

 

 

 

 

Prime会員をやめます/自己愛の強い人

 

 標題の通りamazonのプライム会員をやめることになった。長らく学生でい続けているので、ずっと学生料金だったが、ついにStudentの会員年限に達してしまったので、これを機会にやめることにした。正規会員料金が確か毎月500円で、まあ、それほどの価値はないかなと思ったのが理由である。私にとってのPrime特典の価値は以下のとおり。

・新刊本送料無料:私は新刊本をほとんど買わないので使わなかった

・Prime Video:一時期は結構使ったが、めぼしいものを見終えてしまったので使わなくなった。一時期は無料映画以外もよく見ていたが、近くのGEOで100円の旧作も400円だったりするので、割高に感じていた。正直近くにTSUTAYAやGEOがあって、定期的に行くことを厭わないのなら、そっちの方がPrimeよりずっと安くつくと思う。

・Prime Music:地味に一番使った、が、ないならないなりになんとかなると思う。

 正直、Prime Videoの無料Videoに満足できるかどうかが分かれ目だと思う。私はもう、月に二本以上無料映画をPrimeを介してみることはないだろうと思われたので、やめるに至った。

 ということで今日は代替案にこれからなるGEOに行きカードを作った。そういえば18を超えてからこの方、ビデオ屋のアダルトコーナーに入ったことがなかったので入った。ほとんど「新作」というラベルが貼られていて、そういうマーケティングなのかもしれないが、そうでなく本当にあれだけの作品が新作で作り続けられているのだとしたら、それは大したことである。このご時世、女性向けのビデオもゲイ・レズビアン向けビデオも皆無なのが印象的だった。順当にエヴァ(旧劇)とまどマギの劇場版(叛逆)を借りた。どっちもprime videoでは300円以上だったか見られなかったかそんな感じだったと思う。

 

 職場に入ってきた3歳くらい年下の新入社員、受け持ちは英語。ピカピカの時計をして、スーツもオーダーのようなぴったりさ。しかし、自分がいかに、世間とずれた環境で育ってきたかということを強調するありように、鼻白んだ。それはあなたの言葉ですか?と聴きたくなる。京都大の学生のごく一部が、自分たちのことを「変人」とアピールするような、そんな感じ。しかし至極当たり前のことながら、自己の「変」さをアピールすることそれ自体は、別に変ではない。特別な存在で居たい、というあまりにも普通の欲望で、まあ病的なほど自分が変であることを強調するのなら、確かにそれはかなり変、というかやばいのだが、そうでなければまあ、話す人自身の凡庸さの証明。私も小学生の時だか中学生の時だか、一時期自分がいかに変かをそれほどあからさまにではないが、周囲に喧伝しようとした時期はあった。大抵の、ちょっと自分に自信のない人は身に覚えがあるのではないか。ただそれを会社で表にだすというのは、当然気づいているべきことをその時まで気づいてこなかったということで、幼い感じはいなめない。幼いというより、そういうことが許されてきた同質的な集団にずっといたのだろうし、そうした馴れ合いの、湿った若い体臭が立ち込めていそうな微温的共同体、そんなに羨ましくはない。