SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

19『同時代ゲーム』-1

ねじまき鳥クロニクル』と同時に、『同時代ゲーム』を少しずつ読み進めている。まだ大したことは考えていないので、メモ程度にする。

 

○この作品を読む中で自分の中で一つ明らかになったのは、大江健三郎という作家の一つの特徴である。主人公=語り手の語り方に注目してみよう。彼は村に伝わってきた創建の物語の語り手として、何度も何度もその物語を反芻し、様々な解釈を披露するわけだが、その端緒は、語り手のメキシコ在住体験である。メキシコの街の生活において、自己の出身地となった村との共通性をいくつも見つけたことが彼の手紙のきっかけとなっている。

 読み進めるうちに気づくのは、語り手の連想の豊かさである。彼は現在の生活の小さな出来事や小さな気づきを村の創建の物語に結びつけて考え、それを解釈し直す。彼は頭の中で何度も創建の物語を反芻し、それを新たな状況に当たって何度も再読することによって新しい解釈を付け加えていくのだ。これは大江が『さようなら、私の本よ!』等の後期の著作で繰り返し強調している「再読=リ・リーディング」であり、それはほとんど執拗なまでに行われる。

 一見、というより、実際のところも全く関係のない事象を自己の物語の解釈し直しに「流用」する大江の語り手の手つきはもはや勝手な様にさえ思われる部分がある。そうしてこの勝手さは、『晩年様式集』などで大江自身が親族(妹、娘、妻、息子)から批判されるところだ。

 

○「親戚じゅうが集ったその畸形の誕生の夜、大人たちのいつまでも囁き合う声に妨げられて眠れなかったカルロス少年は、その深夜、藁を敷いた寝床で、この宇宙のなかの銀河系の太陽をめぐるひとつの星の、南アメリカの、コロンビアという国の一地方の、一つの村に行きて死ぬケシ粒のような自分ということを考え、恐怖にとらえられた。ところが、その現に納屋の石壁に向けて頭を押し当てて寝ている自分が、この村に属し、このあたりの地方に属し、コロンビアというひとつの国に属することで南アメリカに位置し、地球という星に属して太陽をめぐり、銀河系に属して宇宙の一成員であるということに思いいたると、さきの恐怖にみあうほどの至福の思いが湧いて、かれは小便を漏らすほどであったのである……。」(p.46,『同時代ゲーム新潮文庫版,昭和59年.)