SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

岸本斉史『ナルト』 少年漫画に現れる伝統の継承と世代間の対話

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 何やらもやもやとした気分で読むことも書くこともうまく出来なくなっていた。多分原因は、ここ四日ほど、人とほとんど一言も会話していないことにある。読んで書くだけに、身体が飽きているのだ。つまり私は人と話したいのだと思う。もしくは、身体を動かしたり、活性化させたい。今日岩盤浴に行こうと思っていたのに、小雨が降り始めてしまったこと。そのことが本当に良くなかったと思う。自転車で出かけられなくなり、断念せざるを得なかった。

NARUTOを一気に読んだ

 今日の午後はひたすら、母親がまとめ買いをしたNARUTOを読んでいた。

 私のNARUTOとの出会いは、ジャンプを定期的に購入し始めた小学6年生のころのことである。それ以来、中学3年生まで毎週ジャンプの購入を続けていた。

    それではその間ずっと誌上でNARUTOを読んでいたのかというと、全くそうではなく、興味を持ち始めたのが購入を初めて一年経った中1の時くらい。それで、それくらいの時期から、ついでにパラパラと読むことを3年ほど続けていた。

    しかし、予備知識が全くなかったため、正直よくわからなかった。中学生の私には、インターネットで漫画の筋を調べたり、漫画喫茶で一気読みするという発想は湧いてこなかったのである。

 以上のような事情から、NARUTOという作品の後期の画風しか知らなかったため、読み始めてまず、初期の絵の濃さに驚いた。線が太い。ベタやトーンが多い。そしてコマの中が随分とごちゃごちゃしている。

 それが、中忍試験をすぎたあたりからであろうか、徐々に絵が改善されていく。捨象すべきものが捨象され、動的な描写がいきいきとするとともに、圧倒的に見やすい構図となっていく。また一方で、書き込むべきところは集中的に書き込まれており、芸が細かい。

▽戦闘の描き方がうまい

 ざっと読んだ感想として、戦闘シーンの描き方がうまいと思われた。例えば、チヨバア+サクラVSサソリ戦のあたりは、大変優れた描写である。漫画史に残るのではないだろうか。

 また、NARUTOという作品においては、力と力で押し合うような戦いと、知能戦とがうまく使い分けられている。ドラゴンボールのように大方力の強さ(戦闘力)だけで決まる作品とも、ハンターハンターのような濃密な知能戦を中心とした作品とも異なる戦闘のあり方をみせてくれている。

    影分身の術や変わり身の術によるトリックなど、ワンパターンな部分や、難易度の高すぎることをあまりにあっさりとやってのける忍び達にいやいや、とツッコミを入れたくなるような場面はある。しかし、全体としては良くやっている。週刊誌のスピード感で、絵も原作も一人でやってこれなら上出来だと思う。

 この歳までずっとジャンプはワンピース一強だと思っていたのだが、一気通貫(巻)に読んだ感想としては、ワンピースより面白いし、出来がよいと言って良いと思う。

▽先行世代と後発世代との戦い、そして対話が効果的に描かれる終盤

 特に終盤の、蘇った伝説上の人物たちと戦うという展開は大変良い。もちろん、生者と死者とを問わず、本来味方の側に分類されるはずの者が敵の術により操られ、敵として立ちふさがるというのはこれまでにも様々な作品で見受けられはした。

    しかし、NARUTOの終盤において、このある種王道的な展開には、先行世代と後続世代との世代間対決が他の作品よりもはるかに強く仮託されている。そのため、読者としては、ネタ切れで味方を敵として持ち出すしかなかったんだな、という倦厭感を排し、特別の期待を持って読むことができると思われる。

 なぜそう読めるのか。それは、NARUTOが忍びという血縁的な結合の強い集合体内部の事情を繰り返し描いてきた作品であることと関係している。作品内では初期から一貫して、先行世代の作り上げた社会的・文化的基盤に育てられ、それを守り、また、場合によっては乗り越えようとする忍び達の意識が繰り返し描かれてきた。すでに亡き者となった英雄達が、現在の忍び達を励ますと同時に、また重圧ともなってきたのである。

 回想シーンでしか現れなかったり、作中に登場せずただ遠い祖先としてのみ言及されてきた人物達が、実際に後続世代の忍び達の前に立ちふさがるという展開は、したがって、世代間の戦いや葛藤、そして和解、超克、引き継ぎといった様々なドラマを生み出す。このドラマに対する期待感が、王道的な死者との闘いを飽きさせることなく読ませるのである。

 また、先に、死者との戦いという一つの王道の展開をNARUTOという作品が用いる際、そこにこの作品ならではのオリジナリティが付与されていることは言及されるべきだろう。

    そのオリジナリティとは、転生し、敵として立ちふさがる先行世代の英雄達が、大方身体のみ操られているということだ。彼らは操られながらも、思考能力や会話能力に関して、生前と同様であり、意識としては敵である主人公サイドに味方している。

 そのため、彼らは、自分の弱点や、自分にいかにして勝てば良いのかというアドバイスを後続世代に対して行いながら、同時に戦いもするのである。

    この設定は、①先行世代と後続世代との間の対話を惹起しやすいこと②不必要に戦いの描写を長引かせないこと、以上二点で優れた設定であるということができよう。

▽もし読んでいない人は是非

 今回NARUTOをざっと読んでみて、もう少し早めに読んでおけばよかったな、と思った。今読みながら、大変優れた作品だな、と思うのだが、一方で、その中のいかにも少年漫画的な要素(具体的には友情至上主義やあきらめないで最後まで戦うことを是とする価値観など)に当たるとすぐに鼻白んでしまうのも事実。小学生の頃だったら、多分どっぷりはまっていただろう。

 ある作品と出会うのにふさわしい年齢というものがある。私は常にそれに遅れてばかりだ。今も、現在進行形でいくつかの作品から遅れている。時間は有限だから、ある程度は仕方ないかもしれない。しかし「時間は有限」と言えるほど、時間を有効に活用できているのか?と思わずにはいられない。

 

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 ジャンプ漫画については以下の記事もありますのであわせてどうぞ

 

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