SUMMERY

目をつぶらない

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こち亀はどこで間違ったのか

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こち亀の「くそ」化

 別にアンチを助長するわけでは決してないのだが、数年前以下に紹介されているスレを見つけて、スレタイトルから驚かされたのを思い出す。

iwacchi.tumblr.com

 このスレタイトルがいかなる背景から登場するにいたったかということに関しては、以下の解説が参考になる。

 

解説
こち亀
こちら葛飾区亀有公園前派出所。作者は秋本治。1976年より週刊少年ジャンプにて連載開始、現在も連載中。
東京の下町・葛飾区の亀有公園前派出所を舞台に、破天荒な主人公の警官・両津勘吉が巻き起こす数々の騒動とそれらに彩りを添える多数の個性豊かなサブキャラクターの活躍を描いた痛快ギャグ漫画である。
初期はただの職務怠慢バイオレンスポリスマンだった両津だが、連載を重ねる毎に作者の画力の変化で丸みを帯びそれとともに圭角が取れた下町人情オヤジの要素が付加されていった。連載が軌道に乗った中期以降も、秋本治の緻密な取材とそれを活用する構成力、背景にまで細やかに気を遣う丹念さ、実験的で革新的なアイディアを武器に ジャンプ黄金期にあっても同作品は白眉であった。

 しかし、後期から現在に至り、女性キャラの奇乳化、女性新キャラの乱発無意味なロリキャラの登場、古参キャラの自我崩壊、起承転結を無視したストーリー、稚拙で場にそぐわないモブ・背景、少女漫画の描写を折衷させたが如き拙い筆致で連載を続け、無様な姿を晒す。同時に、両津は下町パワフル人情お巡りさんから 生意気娘のいる寿司屋の住み込み職人に転職。敬愛する春日八郎も忘却の彼方、脂の乗り切った30ぐらいの粋な女
(48巻/おにあいカップル!?の巻)が好みだったはずだが、今や単なるロリコン少女萌えオヤジとなりさがる。

くそら糞飾区糞有糞園前糞出所【こち亀】Ver.51(レス5番より)

 

 つまり「後期」におけるこち亀の変化を許すことのできない読者達が、現在のこち亀のあり様を貶すために用いられる言葉が「くそ」であるわけである。

 

 私自身は、長大なこち亀のすべてをカバーしているとはとても言えず、小学生の頃に中心的に読んだのは80~120だが、奇しくもこのあたりがこち亀の「後期」への移行期間であった。幼い私にも、「奇乳化」は目についた。もともとヒロインの胸はそれなりに大きく描かれていたのだがそれが巻を追うごとにいや増しになっていき、120巻ほどでピークを迎える。

 

 流行に聡く、凝り性の秋本氏のことだから、「今、女性の身体のデフォルメが来ている!」ということを90年代前半くらい(90巻台後半)に察知しそれに合わせていったのだろう。

 その認識自体は間違ってはいなかったのだろうが、まあ、あまりよい方向性ではなかったと思う。私は80巻台に一つの完成を見るような作者の下町への眼差しをこそこち亀の本領と捉えているからだ。

 

作者の下町への眼差し

 「作者の下町への眼差し」とはどういうことか。

 

 80巻台のこち亀を読むと、街並みを描写することに力が割かれているのがわかる。ストーリー上は必要ないような余りのコマに、ふと通りの一角が丹念に描きこまれていたりする。

 他のジャンプ漫画にこのような余りのコマはほとんどないといってよいだろう。通常どのコマも、何らかのキャラクタの動きや、ストーリー進行上不可欠な事物を描き出している。

 

 余りのコマに現れるしばしば異様なまでに力の入った下町描写は、漫画の企図が破天荒な警官両津勘吉の行動の描き出しにあるのではなく、その行動に焦点化することを通し、そのような行動が行われる街自体を描くことにあることを示していると考えられる。

 つまり80巻台のこち亀のコマは、それを描き出す作者が下町をどう見るのかという眼差しの物語でもあるのである。両津勘吉は、下町の風俗を描き出すきっかけとして機能している。

 

 私にとって80巻台のこち亀が面白かったのは、両津勘吉のキャラクタ造形に加えて、この作者の街並みへの眼差しだった。自分が下町を歩いたとしたら簡単に見落としてしまうであろう何の変哲も無い通りをあくまで丹念に描き出すことにより、そこに作者が感得している一種の情味が、読む私にもうつってくる。下町をみる見方というものを、私はこち亀から教わった気がするのである。

 

 だから、それが明らかに変化していく110巻以降を読むことは私に取って実りの多いものではなかった。上に引用した解説のうち、以下の部分は思わず頷いてしまう。

後期から現在に至り、女性キャラの奇乳化、女性新キャラの乱発無意味なロリキャラの登場、古参キャラの自我崩壊、起承転結を無視したストーリー、稚拙で場にそぐわないモブ・背景、少女漫画の描写を折衷させたが如き拙い筆致で連載を続け、無様な姿を晒す。同時に、両津は下町パワフル人情お巡りさんから 生意気娘のいる寿司屋の住み込み職人に転職。

 そう、110巻〜120巻台に顕在化した秋本の新路線は私には迷走にしか見えなかったのだ。

 

こち亀はどこで間違ったのか

 120巻以降もたまに古本屋でこち亀を立ち読みすることはあったが、それらの新路線が効いてきているようには思われなかった。路線転換期の「稚拙」さが改めて作家としての新しい境地を開くことに期待を抱いてはいたのだが…。

 やはり、こち亀の本領は下町の風俗描写であろう。もちろん、秋本は以降も折に触れてそれに立ち戻りはしていた。しかし120巻台以降の下町描写は過度な情味を読者に押し付けるようなものであり、正直、鬱陶しくて仕方がなかった。80巻台に見られたような冷静な観察者に徹する作者ではなく、「これが下町だ、どうだ?いいだろう?」と盛んにせまる推しの強い作者がそこにいた。下町への新たな見方をそっと差し出してくれるのではなしに、自分の見方こそが下町の見方なのだと強要してきた。しようがない。どうせ、何を書いても打ち切りになることはなかったのだろうから。

 

 

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