SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

「安心してどうするんですか死ぬだけなのに?」 うーん

久々の更新であるのに、前回の更新から経た歳月などなかったかのように書いてしまうのだけど、飯田橋文学会主催の文学インタビューを聴いて来た。今回は詩人の高橋睦郎さんに対するインタビューである。この企画は現代を生きる作家の生の声を聴くという趣旨で、インタビュー内容は後日noteなどで公開(有料)されたり、東大出版会から出版されるのだが、その元となるインタビューの収録を講演会のようにして一般公開しており、それに行って来たのである。企画について、詳しくは以下のリンクから。

 

iibungaku.com

 

 現代作家アーカイブは、不可抗力で参加できない場合(実施場所が京都、とか)を除き、これまでほぼ全部参加しているかもしれない。出不精の私としては珍しいことだなと思う。企画を中心的に主導する大学の先生に薦められて出始め、これで都合三年以上になるだろうか。

 上記のリンクを参照してもらえばわかるのだけど、インタビューは基本的に対象の作家さんの生き方であるとか、創作の秘訣、文学をどのように捉えているか、などジェネラルな問いをめぐっており、インタビュアーは作家さんがお話しするための材料をちょこちょこ提供したり、進行を司ると行った形。特定の作品や作家の人生の中の特定の時期、その思想などについて狭くフォーカスするわけではないので、正直話が深まることは稀な感じ。しばしばなされる「ーさんにとって文学とはなんですか」「この作品はどういう背景で書かれたものですか」的な問いに関しては、作家がおそらくこれまでも人生の各所で受けて来た問いであり、「その質問の答え、昔受けたどこかのインタビューに載ってるのでは・・・?」とか思わなくもないのだが、語る時の息遣いや、聴衆を前にした時の構え方など、作家の生身の身体性が伺えるのは魅力。それを目的にして行く企画であろう。

 

 高橋さんに関して私は全く知るところがなかったが、以前三島由紀夫に関するシンポジウムでお話しされているのを見て、「話が面白い人だ」と感じていたので、今回参加した。その作品についてはほとんど読んだことがないが、インタビューの中で垣間見えた高橋さんの人生観が面白かった。

 

 どんな話かというと性に関する話で、具体的には結婚のことなのですが脳内で再現したものを無批判に書き出すと

結婚っていう制度は面倒。本当に面倒で、なければいいのにと思うけど、ないとどれだけ自由かといつも思うけれど、ないとみんな不安になるんだよね多分。でも、不安だからなんだっていうの?安心しても仕方ないでしょう死ぬだけなんだから

 というような感じ。なかなかグッと来た。今、私は大変安定した生活をしてしまっていて、だからグッと来たのだと思う。

 教員の仕事は、うちの学校がゆるいからかもしれないが成果は求められないし仕事の量は自分で調節できるし、したがってほぼ定時に帰れるし。何も苦しゅうないのである。好きな勉強もでき、また勉強せずに酒飲んで映画観て、とか適当な新書読んで、21時に寝る、とかもやり放題なのだ。本当に大きなヘマさえしなければ今の職場にい続けることができる。年収も本当に少しずつだが、上がって行く。

 しかし、高橋さんにしてみれば、「それで、安定しているからなんだっていうの?どうせ死ぬだけなのに」という感じだろう。うむ。そうだよなあ。不安定さを逃れたくて、就職したのに、そして一応うまく行ったのに贅沢な話だが、安定してみると、「だから何なんだ?」とは正直思うんだよな。

 大学院生時代は「自立したい」と「それにはお金が必要だ」の二つの間でひたすらに苦しんでいた気がする。「自立したい」という気持ちに勝つ欲求は当時はなくて(今もかな)、とにかく就職することにしたのだった。就職活動をする中で、体育会系のカルチャーが片鱗でも見えるような場所は心理的に耐えきれないな、と思い今の職場を選んだ。

 一つ一つは合理的な選択の積み重ねなのだが、それがものすごく無難なところにたどりついて、では、それでいいのかと感じなくもないこの頃である。教える仕事なんて学生時代からやっていたことで、できることは目に見えていたし、あんまりガツガツとした進学校や部活重視の学校だと休日がなくなって大変だから、そうでなさそうなところを選んだ。それで実際そのとおりのところに就職できた。予想通りそつなく仕事をこなせている。

 つまり、全て希望通りなのだ。その上でなんだかモヤモヤするのは、結局自分の幅が広がっていないなということである。随分と早々と、おさまるべきところにおさまってしまった。「それで、安定しているからなんだっていうの?どうせ死ぬだけなのに」と高橋さんに面と向かって言われたら、どうしよう。

 大学時代に気づいた自分の長所は、周囲の状況から手に入れることが可能なものを見定め、それを手に入れるという能力である。「手に入らないものは最初から求めない。できないことはしない」というのとは違う。手に入らなさそうなものを求めるときは、安心してそれを求めることができるような環境整備をまず先にやる。そのように何事も、ステップに区切ってやろうとする私なのである。

 その結果として、丸腰でラスボスに向かう、みたいなことはなくなってしまった。大きな困難に歯を食いしばって立ち向かううちに、いつの間にか大きく伸びていた、というような受験のサクセスストーリーのような可能性は、ここ五・六年の私にはない。

 でも、そんな風に常に計画立てて、先を見通して、今にある程度余裕ができるような進み行きをおこなうようにして、それで、どうだっていうのだろう、

 と思わなくもないなと感じるのである。

 

***

 余談なのですが、この土日月と私は三連休で、どっかに行ったりすればいいもののずっと喫茶店か図書館にいて喫茶店・図書館・自宅をぐるぐるしているばかりであり、誰とも一言も会話しなかったので、インタビュー企画で友人と話すときに会話ができなくなっていて自分に引きました。

(私)「祖母の家が八王子にあるんですけど」「八王子なんだ」「いや八王子というか、豊田なんですけど、ちょっと八王子方面なので八王子が出ちゃいました」とか、「通信でいま**免許とろうとしているんだよね」(私)「そうなんですね。何時間くらいですか」「40時間です」「40時間ですよね」「あれ知ってるの?」「いや、40時間と言われたので、そうですよね、という気持ちをこめて」

 とか、もうなんだか、相手の発した言葉をどういう風に受けて次の会話につなげるのかわからなくなっていてそれを弁明して、弁明中にまた新たな言い間違いをして、の繰り返し。