SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

一人暮らしでできるようになったこと

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 たまにすごくライトなことが描きたくなるので、今日は一人暮らしでできるようになったことを書く。

 一人暮らしを始めたのは一昨年の7月で、これを書いている2019年1月で今ちょうど1年半になる。全く完全にいいことづくめというわけではないが、主観的には大満足である。個人的な感慨を元にしながら、一人暮らしを始めてよかったことを挙げていきたい。

 

1:圧倒的に便利になった

 やはり調布の方の京王線沿線にある私の実家は、駅に近くはあったけれど、不便だったのだなと思う。私は勉強するときによく喫茶店を使うのだが、徒歩でいける距離に喫茶店はなく、一番近い喫茶店は電車ないし自転車で少なくとも20分以上かかった。しかも20分でたどり着けるのは駅前の喫茶店で、基本的に人でごった返しており、騒がしかった。地域の図書館は自転車で30分、通っていた大学までは電車を二度乗り継いで1時間かかった。社会人になってから一人暮らしを始めるまでの半年間は、職場が埼玉だったこともあり、電車で片道1時間半かかった。さすがに参った。

 今は都内の下町エリアに住んでおり、職場も異動により都内になった。通勤時間は片道30分。自転車で10分圏内に休日でも午後までは比較的空いている喫茶店が二つあり、大学にも同じく自転車10分でいける。国会図書館にも30分でアクセスできる。本当に、本当に楽になった。多少高くとも、便利な場所に住むということは重要だと思う。生活コストの低さから実家暮らしにこだわり、毎日往復2時間ほどかけて会社に通っている人たちには是非一人暮らしを試してもらいたい。自分が充実した生を送るためには、多少のお金は使うべきである。

 

2:食事の時間を自由に決められるようになった。

 実家にいると大抵夕食は作ってもらうことになる。すると、家族と同じ時間に同じテーブルに座って食べることになる。自分の都合で食事の時間を決めることはできなくなる。もちろん「食事は自分の好きな時にとるから」と言っておくこともできるし、実際そうすることも多かったが、そういうことをすると、ただ親に作らせているだけとなってしまい後ろめたい。もちろん、一緒に食べたからってその労力に報いている、というわけではないのだが・・・。

 また、「自分の好きな時に食べる」宣言をした上で、両親が食卓で食事をとっているところをスルーしてお風呂に入ったりキッチン周りの設備を利用したりするのはやりにくい。何かの作業に集中したい、などという特別な理由がなさそうであるにも関わらず、あえて一緒に夕食をとらないというのは家族を避けているのか、という風に捉えられてしまうのではないか、などと思ってしまう。そこで両親が食卓についているときは家の中での行動が制限されることになる。

 結果、家にいる間は基本的に、家族と夕食をとるか、そうでない場合には自分の行動がなんとなく拘束されている気分になってしまう。

 食事の時間を自由に決められるようになったことは、本当に大きなメリットである。

 

3:19時ころから仮眠を取れるようになった。

 2に関連して、夕食の時間を自分で決められるようになったので、通常夕食をとる時間帯である19~21時に仮眠をとることができるようになった。

 18時頃まで集中して何かの作業をしていると、大抵頭は使い物にならなくなる。そこで2時間ほど寝られればいいのだが、夕食があるとこれができない。結果、実家ではあまり夜の時間帯を有効に使うことができなくなっていたので、ここで寝られるようになったのは大きなメリットである。

 

4:深夜の喫茶店・ファミレス利用が容易になった。

 1と関連する事項。自転車ですぐに行ける距離にファミレスやマックがあるので、夜遅くになってもふと思い立って行き、作業できるようになった。家族とともに生活していると世間の目もあるし戸締りにかかる騒音もあるので夜遅くに、特段の理由なしに外出するのがためらわれる(するときはしていたけど)のだが、一人なので自由にできるようになった。

 

 総じていえば①自分の自由になる時間が増えたし、②自分の時間をよりよく使うことができるようになった。支出は増えたが、一人暮らしには満足している。今の感慨だけでいえば、これから先何年も、この生活を続けて行きたい。