SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

私を教育した人の複数

 小学校の頃から現在に至るまで、都度都度私は教育されてきたのだが、同じ人に長い期間教育されたことは数えるほどしかなかった。例えば小学生時代。私の小学校では2年に一度クラス替えがあり、担任の先生が交代するタイミングは基本的にクラス替えに合わせてだったので、多くの人は6年間で3人の先生に教育されることになる。もちろん、実際には何かの事情で先生が変わる、ということはなくはないが、6年間の間で3人の先生の元で勉強した、という人がほとんどだったと思う。しかしなぜか、私の担任の先生は産休・育休でお休みになる方が多く、4年生までの4年間で4回変わった。5、6年生は同じ人だったので、小学校時代全体で見ると6人の先生にお世話になった。

中学校時代は毎年クラス替えがあり、3人の先生にお世話になった。部活、生徒会、塾でそれぞれ別の先生にお世話になった。中学時代はとにかく、いろんな人にいろんな側面で教育されていた。そういうのが窮屈な人にとっては無論大変だっただろうが、私は教育される状況によくも悪くも適応した。

高校時代も毎年クラス替えがあったが、1年生の時と2年生の時はたまたま同じ先生にあたったので、担任は2人経験した。大学以降でいえば、学部と修士で指導教官を変えたので一定期間私の教育に責任を持ったのは2人。博士1年目は修士の時と同じ指導教官だったが、その指導教官が今年で定年なので、D2になるタイミングでまた変わる。

他方仕事の方では、まだ2年目終わりなのだが、直属の上司はこれで4人目。といっても1人は1週間だけだったから実質3人目。しかしたった2年で、ということなので十分多い。

ある程度の期間、私の教育者となってくれた人は、この人生で16人。四月から指導教官が変更するとともに、仕事の方でも上司が新たになるので、18人になる。随分な数である。私はどうも、ある一人の教育者のもとで数年なりと落ち着くことの少ない運命を辿っているらしい。

 

私は多くの人を教育者として持てるのはいいことだと思う。ある1人の考え方に強く規定されすぎることはないからだ。

多分内田樹だと思うが、父と母の意見は食い違うくらいがちょうどいい、ということをどこかの本で述べていた気がする。なぜなら、その環境下で、子供は父の意見のとおりにすることも、母の意見のとおりにすることも、また、父と母の意見が異なることを理由に、自分の考えのとおりに第三の道を選ぶこともできるから。この話は自分を教育する教育者についても言えることだと思う。

多くの教育者を持った私は、都度都度の教育者の言っていることに影響を受けながらも、スパンを長くとれば基本的には誰かのいうとおりそのままではない道を生きてきた。小学校の先生が私に期待した道も、中学校の先生が私に期待した道も、結局は選んでいない。それが現在の、働きながら大学院という中途半端といえば中途半端な選択に結びついているのかもしれない。それが成功か失敗かはわからないが、ともかく私は自己の選択をある程度能動的にして来られたのではないかと思っている。