SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

Silent Hill4 と最近読んだ現代小説

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 今週も忙しかったなあ。

 折に触れて観直す動画が上に貼ったもの。Silent Hill4:The Roomというゲームのオープニング動画であるのだが、現れる異形のものたちの表象が見事だと思う。ゲーム内で「ゴースト」と呼ばれる彼らのいずれも、大きな暴力により破壊され、変形された身体を持って現実世界に現れる。

 彼らは生前市民社会では厳重に禁じられてあるはずの(しかし確かに存在してはいる)苛烈な暴力の対象となっており、その傷ついた身体は一般的道徳を著しくはみ出した地点—規範のない場所—を象徴する。通常ではあり得ない動き、いかなる意味も読み取れない声は、彼らと私たちとの間に共有可能なルールの不在を思わせる。

 しかし彼らはあえてプレイヤーである私たちを襲ってくるわけで、それは著しくねじくれ曲がっており、基本的にはいかなる意味でも理解不能なのだろうが、しかし、やはり一種のコミュニケーションの希求なのだろう。ゴーストが生きているものの心の産物なのだとしたら、彼らは規範の埒外に対する私たちの恐れそのものの象徴であるのだろう。

 大江健三郎『水死』を読み直している。作中に現れる思想対立は面白いが、それだけならわざわざ小説として書く意味がない。「森々」(農本主義?)と「淼々」(日想観?)の運動性が交差する「立ったまま水死」を書くことの意味、二つの思想を重ね合わせたまま宙吊りにすることの評価が為されなければならない。が、わからず。11月の学会発表になんとか出せれば良いが…。

 最近、「使わない爪をといでいても仕方がない」というフレーズをよく思い浮かべる。「といでいても仕方がない」と諦めているのではない。人間は使わない爪をといでしまうものだ。それを虚しいものでなくするために、何が必要かということを考えている。私の現任校は、どちらかというと進学校で、教員の学歴も高めなのだが、その中には、コツコツ密かに、最先端の学問的動向を追っている人がいる。彼らの知見は、しかし高校で授業をする分には大して役に立たないだろうし、生徒にも同僚にも理解されないだろう。彼らは何かしら自己の認識を新たにしていく試みに知的快楽を覚えているのだろうが、それが本当に単なる快楽のためなのだったら、そのうちに飽きが来る。勉強をどう日常生活・職業生活に生かしていけるのか、気になっている。

 授業では町屋良平の『しき』(初出:『文藝』2018年夏季号)を読んだ。授業参加者からは割と好評だったし、私も思春期の少年たちの内面はうまく描けていると思ったが、それらを安直なリリシズムに回収しようとする語り手の振る舞いが鼻についた。思春期の少年たちの内面の曖昧さを描き出そうとすることよりも、それらしきものを読者の見たいように加工して見せている気がした。細部の失敗をあげつらうことはあまりしたくないし、実際瑣末な失敗は目をつぶることができる私だが、読者に迎合するかのような語り手の傲慢さ(あえてやっているのなら良いが、そうでないもの)が見える作品については話は別で、看過できない。

 もう一つ北条裕子の『美しい顔』(初出:『群像』2018年6月号)も読んだ。これは読んでいる途中にいたたまれなさを覚えるものだったが今から振り返ると、町屋良平の語り手に感じるような傲慢さはなかった。うまくいっていない部分に関しても、作者は真摯な努力の上に表現を行っているという感があった。ただし、母親のお友達の女性に説教される場面など、端的に浅はかだと思った。そうした教条的な説教はわざわざ文学でしか書けないのかと強く疑問に思った。ラストは「あーはいはいそうまとめるのね」と言いたくなるような、安直なトラウマ乗り越え物語で、私にもわからないので偉そうなことは言えないが、被災者の物語とはこのように単純なものたりうるのかとこれについても疑問に思った。

 両作品とこの間感想を書いた高橋弘希送り火』(初出:『文学界』2018年5月号)に共通するのはどの小説も思春期の少年少女、それも田舎の少年少女(『しき』にも田舎から越してきた少年が重要人物として現れる)に内面化していること。なぜなのだろう?若者の心理は現代ではそれほど多くの人が取り組まなければいけないほどわけのわからないものなのだろうか。にしては彼らの大半がどっぷりつかってしまっているSNSは、まだ現代文学にとってのトポスたり得ていないような気がする。

 芥川賞はあくまで新人賞で、その候補作および受賞作が瑕瑾のない作品である必要はない。しかし読み手としては何か見所のある新しさを感じさせるデビュー作を期待してしまうもので、私がこれまでいくつかの受賞作や候補作の中で、これはすごいと思ったのは…沼田真佑『影裏』かなあ。それ以前だと、円城塔川上未映子目取真俊がよかった。錚々たるメンツ。今年や去年に受賞した作家がこうしたビッグネーム並みの活躍をするようになるのかなあ。期待。少なくとも次の芥川賞の候補には高山羽根子・今村夏子・古川真人が名を連ねており、今村さんは正直私にはよくわからないが友人が強烈に押しているし、他の二人は実力があると思えるし、楽しみである。