SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

村田沙耶香、高山羽根子、雑記

さて、雑記なのですが、最近読んだ小説についてまずは一言ずつ感想を述べたい。

 

村田沙耶香『しろいろの街の、その骨の体温の』(朝日新聞出版、2012年)

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最近珍しいニュータウンを舞台にした小説。ニュータウンの開発やその停滞と第二次性徴期の身体の変化を重ね合わせて書くのが小説の基本的な仕掛けで、その上にカースト間の対立厳しい教室で生きる様々な層の生徒たちの生きざまとその裏にある不安や葛藤が、主にカースト下位の私の自己防衛的観察眼により剔出される。

題名に現れるように身体感覚を表すのに秀でた著者。芥川賞を受賞した『コンビニ人間』(2016)を読んだときは、「一般的な人と異なるものの見方をする人の奇妙な認識のありようを淡々と活写されても、読者は置いていかれるだけなのでは…」というような感想しか抱けなかった(ちなみに、当時は今村夏子の作品にも同じような感想を抱いていた)が、『地球星人』とこの作品とを読んで、村田さんの本領はみずみずしい身体感覚の描写にあるのかもしれないと思った。身体感覚ファーストだからこそ、そうではない社会に対する自己の認識が妙なものになるのだ、と。伊吹に対するフェラチオシーンはわりとあっさりと終わってしまったし、ラスト、伊吹と普通に結ばれてしまうのが安易にも感じたのだが、じゃあ他にどう書くの?と言われると、難しいかもしれない。後者は書かない方が無難な気がしたが、それはそれで無責任な気がする。前者はもっと詳しく書いて欲しかったが、それだと読み手は途中で鼻白むかも。少なくともどちらも決定的な瑕疵ではなさそう。

 

高山羽根子『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』(集英社、2019年)
カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

 

 

2019年前期芥川賞候補作。ゼミの先輩からあらすじを聞いた限りでは良さそうだったし、実際に3/4くらいまでは面白かった。良い小説だと思ったが、ラストがなんとも尻すぼみだった気がする。性暴力加害者である相手・ニシダと対峙しても必要な対話が行われず、かといって対話が拒否されているわけでもなく、それが中途半端な印象だった、もう少しニシダを丁寧に書けなかったのか。特に紙面が足りなさそうではなかったし、書かなかった理由がよくわからないなと思った。選評で宮本輝さんが「書かないのは書きすぎるより問題」というようなことを言っていて、それだけ読んだときはよくわからなかったが、読んでみて納得。もし意図があったのではなく、本当にこれで十分だと高山さんが思っているのだとしたら宮本さんのいうとおり問題だと思う。雪虫にまつわる比喩連鎖は秀逸だっただけに、残念。最後で全てが死んでしまった気がする。しかし『居た場所』(河出書房新社、2019年)は決してそこまで書かなさすぎではなく、よくコントロールされた抑制的な筆致だと思ったが…。

 

その他

 仕事はだんだん忙しくなっていきそう。あんまり話を聞いてくれない中学生の相手をするのが面倒臭くなってきた。教師ってどこまでも教える側だから、蓄えた力を自分で使うということができないなと漠然と考えていた。

 母校の教師になって、アイデンティティは保てているけれども、結局生徒だった頃とはあらゆる面で異なる。もう職に就いてしまっていて、これからこれ以上大きな職の変転がありうる訳ではない以上、生徒だった頃のように未来が開けているわけではないし、案外教員仲間に話が会う人はいない。先生となってしまえば生徒と友達にはなれない。

 

summery.hatenablog.com

 

 それほど理解されるわけではないし、休みも少ないし…。

 二学期には修学旅行があるがまたその委員になった。忙しくなりそう。元気にやらねば。