SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

私の目に見えるこの頃の囲碁界

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 なんだかいろいろなことで忙しくってなかなか……。以下、仕事のことは置いといて、私生活の話だけするけど、次々に細かな締め切りがやってくる。失敗すると首をとられるというような性質のことではないので気楽は気楽なのだが、それゆえに、どこまで気合を入れてやるべきかよくわからず、ぼうっとしているといつの間にか回らなくなる直前の状態に置かれている。おっとっとと体勢を立て直し、全部整理し、眠れない夜を過ごして乗り切ると、それによって気が抜けてしまい二日くらい腑抜けたような状態になる。そしてまた、どれくらい本気でやるべきか、と自問する数日があって、気づくと締め切り直前。馬鹿だなあ……。

 

 相変わらず囲碁に関心を抱き続けている。これまでに以下のような記事を書いたのでもしよろしければ併せてどうぞ

 

summery.hatenablog.com

 

 

summery.hatenablog.com

 

 

summery.hatenablog.com

 

 上の記事はいずれも「観る専」時代に書いたもの。最近は、打つことも増えてきた。思えば囲碁に出会って「しまった」のは昨年の12月。これで一年か。打つのが楽しくなってきたのはここ最近。それまでは全然よくわからなかったし全く勝てなかった。今も、細かな筋や詰碁の勉強は本当にたまにしかする気が起きない(二か月に一回くらい無性にやりたくなって3時間ずつ二日くらいやって飽きて放り出す)ので、すぐにどこかで頭打ちになるのだろうが、それはそれとして対局が割と楽しい。棋力は……8級くらい? この一年で何百戦と観戦をしてきたので、プロが何にこだわって大体何をしているのかがわかるようになってきた。「利かし」「味」なる概念も何となくわかってきた。結局のところは、(1)どこに石を置いたらどんな帰結になるか読む(2)読み切った図でこちらが有利になっているのかを判断する、の繰り返し。(1)は頭の中に碁盤を作れるプロなら大体できるが、短い時間の中でどれだけできるかには個人差あり。(2)は自分の中に明確な判断基準を持たなければならないためなかなか高度。しかし最善の手を打つならどういう風な配置にしかなりえない((1)に関わる)、どんな配置ならどっちが有利になる((2)に関わる)、というのが知見として積み重なっているので、これをひたすら飲み込むことが必要。それにより持ち時間を節約できるし、学習の過程で自分なりの見方を確立することができる……。

 

 というゲームで、観戦していて何が面白いのかというと、相手よりも頭の良い手を打った時の棋士の満足げな表情や手さばき、それがそうではなかったと気づかされた時の狼狽等々、要するに人間のありさまである。それは、死力を尽くし、ぎりぎりのところで戦う人間のドラマが見たい、という気持ちにこたえてくれる。碁自体には正直何も意味はないと思うけれど、それを手段として生み出されるドラマは活力を与えてくれる。ただし、ドラマを生み出す棋士自体に関心がない場合、または、そもそもどんな局面でどっちがどんなピンチを迎えているかわからない場合には楽しめない。ここが要するにプロモーションの腕の見せ所なのだがそもそもが難しいゲームだということもあり、プロ棋士制度を運営する日本棋院は現状なかなかうまく情報発信出来ていない印象。ツイッターYouTubeも正直素人くさくかゆいところに手が届かない。

 ただ、私の中での〈良い情報発信〉の像はおそらく大手広告代理店に相当程度規定されており、そういう代理店を通さずに興行主と熱心な囲碁ファンが互いにキャッチボールしあいながら団体のありようを外に開いていく、ということは当然それはそれでいいことだと思うのでそっちの道を目指してほしい(……なんて言ってるけど、日本棋院もやっぱり広告代理店通しているのかなあ……。通していてこれならまずい。日本棋院が、というよりは広告代理店が)

 今囲碁界は大航海時代ならぬ大YouTube進出時代を迎えていて、様々な囲碁棋士が自分自身のやり方で囲碁ファンを増やそうと種々の企画を行っている。入門動画なんて腐るほどあるし、対局動画、中級くらいの詰碁・手筋の解説、一般の囲碁アプリに一ユーザーとして参加してアマチュアをなぎ倒しまくる動画などもある。正直、誰が見るのこれと思われるようなものも多いが、もとよりYouTubeなんてそんなもの。

 ほほえましいのは、皆結局最後には囲碁に帰結すること。「コロナに打ち勝て!」と言っては囲碁を打ち、「医療従事者に感謝!」と言っては連碁をし。後者の企画は医療従事者への感謝の気持ちをプロ棋士数十人が一人一人表明しつつ一手ずつ打ち、最後にはハートの形の抜き跡(石をとったあとの場所のこと)があらわれるというもの。いや、この動画医療従事者の力にはならないでしょとも思うのだけれど、ともかく囲碁しかできないから囲碁でなにかするしかないんだ、という意志を感じる。それにしても、コロナ下で沈滞する人々を元気にするために公演をします、と言って歌舞伎の特別公演が行われるのならわかる気がするし、災害時にも決して衰えない文化の力!とか思ってしまいそうになるのに、囲碁を打ちます、になると途端に滑稽な気がしてしまうのは、単に私がにわか者だから、というわけでもない気がする。そもそも囲碁は打っている人たちが打っているところを見せるための努力をしているわけではない。歌舞伎や能は公演だからもちろんどう見せるかが重要で、演者は常にそれを考えているが囲碁はそうではない。では見せることを誰が主に考えてきたかというと、プロ棋士の周りにいる人たち、ということになるのではないかと思う。特に棋戦を主催する新聞社など。棋士は要するに、囲碁にだけ集中していればよかった。しかしそうではなくなったのが昨今。もちろん超トップについては事情が別で、最強クラスにいられるのなら自分の碁を誰か偉い人が解説してくれるのでどう見せるのかなど考える必要もないのだが、それ以外は見せ方を考えなければいけなくなった。最近YouTubeで視聴者数を稼いでいるのはプロ棋士が、自分の考えていることを口に出しながら行う早碁で、要するにこれは、まさに見せることを意識した打ち方であると言える。

 プロ棋士としては、碁の見せ方を考えるよりも良い碁を打つことに集中したいというのが本音だろうと思う。わき目もふらず盤面だけをみていられたらどれだけいいことかと特に伸び盛りの、10代後半あたりの棋士たちは思うだろう。実際伸び盛りはそれでいいと思う。が、本当に強くなれない限りはどこかで見せ方を考える方にシフトせざるを得なくなる。

 

 今、私の見る限り、最年少で名人位を獲得した芝野虎丸さん以降突出した人材が出ていない。明らかに周囲より抜きんでている人がいないのだ。もちろん序列づけされる世界だからトップは決まる。芝野さん(+大西さん)以降でトップは現在までのところ広瀬優一さん。しかし広瀬さんは先行世代をばっさばっさとなぎ倒しまくるというほどではない。

 もう少し低年齢で行くと、トップは酒井佑規さん(?)。しかし酒井さんも圧倒的ではない。三浦太郎さんとか福岡航太朗さんとか近い棋力の人はいる。そしてこの三人は、しかしやはり、突出して強いというわけではない。これくらいはままいる、という感じ。一力さん、許さん、芝野さんがデビュー直後から圧倒的な成績を収めていたことを考えると、やはりおよばない。もちろんこつこつ勉強を続けて強くなるとは思う。ただ、それでもうまくいって10~20位なのではないか。プロ棋士が最も伸びるのは10代後半。見ていると、伸びる人は16歳時の順位をその1/4まで詰めることができる(本当にうまくいく人は、さらに詰められるが例外だと思うのでいったん括弧でくくる)。たとえば16歳時に100位の人は25位くらいまで、うまくいくと10代後半で到達できる。

 ……これはすなわち、20でタイトルをとろうとすると、16歳時に40位くらいまで到達している必要があるということになる。が、上記の人たちはおそらくそこまでいかない。こつこつ勉強を重ね、タイトルに手が届くこともあるかもしれないが、はっきり囲碁界のトップに立つというところまではいかないだろう。

 碁の世界を見ていると数年に一人くらい逸材が出る。次の逸材は誰だろう。まだ出てきていない気がする。一力さんも芝野さんも院生時代からAIを盛んに駆使していたのではないのに、デビュー直後から突出しているのだから、強い人は最初から全然違うということなのだろうそういう人材が出てくると沸き立つなあと思うこの頃。