目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

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 村上春樹の作品は全部読みました、大好きだし、一時期色々考えました、と言う、年上の女性と、とある席で一緒になって、僕は自分が好んで読む、『ねじまき鳥クロニクル』について話を聞こうと思った。

 僕はこの作品がとても好きなのだが、その理由は鼻持ちならないモラリズムに回収することなくノモンハン事件という第二次世界大戦の記憶をフィクションに組み込むことに成功しているからだ。その物語は象徴的に大きな意味合いを物語の中で持っていると僕をして思わせた。僕はそれを何と言ってよいかわからない。しかし読後に思い起こすと、それが非常にちょうどよい形で、小説全体を取り仕切っているように思われる。

 何故ノモンハン事件についての挿入話が『ねじまき鳥クロニクル』全体に関わるのか、なぜそれが戦争の話でなければならなかったのか。いくつかの考えはあるのだが、上手く収斂していかない、そのことが、僕にとってこの作品が単純に面白いということ以上にいつまでも何かひっかかるものとしてある理由である。それについて、僕はその人に意見を聞いてみようと思った。すると、彼女は以下のような答えをくれた。

「私の考えだと、あの作品の一番大事な部分は奥さんをなくしたショックだと思うんですよ。それで、それを中心にして、戦争とか、猫の話とか、井戸の話とか、予言者とかが、すこしづつつながってきていると思うんですよ。」

 僕のした質問「どのようにつながっているのか」という点に関して彼女の言った「すこしづつつながってきている」というコメントは、答えていなかった。ところで、彼女はもう答えは終わったかのような素振りで僕を見た。僕は「どのようにつながっているのか」聞きたいともう一度言おうかどうしようか迷い、止めた。

 それで手元のビールを飲み干して、そのまま他のグループと帰った。僕は本を読むって本当になんなのだろうとつくづく思った。