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目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

亡霊

「夢で僕は団地のある部屋の前にいる。その部屋のドアは開かず、開かなかった時の違和感で、そのドアはこの夢の中では当然の様に開くものだと、そのように直前までの、今このように状況を描写している僕と不連続な僕が、みなしていたのだということを知る。僕は開けようと試みるけれども開かないのだ。途方に暮れた僕は後ろを振り向くけれども、振り向くと同時に、後ろは振り向いてはいけないのだとそのような原理のようなものがここで働いていることを知る。ルールばかりだ。赤銅色で妙に頑丈な作りのドア、どうして団地のドアはこのように固くて重々しいのだ、そのくせ安っぽいのだろうと思った。その時に聞こえた。「こんにちは」等ではなかった気がする。というか、そのように順序だった始まりがあったわけではない。「僕は知っている」というそのような確信から声が始まった。」

「僕は知っている」

「そう、「僕は知っている」。続きを言ってみる?」

「今。」

「そう。」

「僕は知っている。僕は君にここで会う事になっていた、食道がうねうねと動いて食べ物を運ぶ様に、そのように君は何やら奇怪な駆動力で運ばれてきたのだ。その時の君の顔を僕はずっと見ていた。ある種の快楽を君は感じていたのではないか?」

「ちがう」

「ちょっと待って。ある種の快楽を君は感じていたのではないか。気持ちが良さそうだった。それを内部にとどめようと君はしていたのだ。」

「ちがう、呼びかけはこうだった。僕は知っている、僕は君にここで会う事になっていた。食道がうねうねと動いて食べ物を運ぶように、そのように」

「君は何やら奇怪な駆動力で」

「駆動力?それはよくわからない。」

僕の茶碗には半分に割られた梅干しの種が転がっていた。

「よくわからないんだ。君の話を聞くと、君の言っていた通りのような気がしてしまう。どんどん忘れていくから、そうなってしまう。けれども例えばそれはだから僕の直観だと、このような呼びかけを聞いたと思う。「僕は君にここで会う事になっていた。僕は君に不可能な位置から話しかけている。君には僕がどこに居るように見える?」僕は答える。「君の声は前方から聞こえるような気がする。君はこの部屋にいる。」「それはごめん外れだ。」そうして目の前の扉の、中央下の方についている郵便受けがぱたぱたと動き、それは機械のようだった。」

「つまり、その扉が彼だった?」

「そう聞くとそう思われる。」

「つまり、その扉は扉ではなかった?」

「いや、扉だったと思う。」

大きなマホガニーの机しかここにはない。薄暗くてしゃれたバーで、僕らは茶碗を一つずつ持っている。僕には何から何までなんだかよくわからない。

「そうすると、その声の主は扉だったわけ?つまり、猫や犬が喋るように、君が小さいころ住んでいた団地のある部屋の玄関がぽつんと、しゃべりはじめた」

「よくわかったね。」

「君がそう言ったんだよ」

そうかしら

 それで少しの間玄関ドアと喋っていた僕、空には金色の月、団地の裏には西瓜畑。こんなにどうしようもない僕みたいなところに来てくれた玄関ドアの赤銅に触れて、簡便な冷たさを手に得たのだけれど、それはすぐに消えた。これからどうしようかなと思った。君のシルエットを見たよ、僕たちが話しているところの前に吹き抜けがあって、そこから君の姿は見えたのだ。窓を挟んで。

 

窓?

 

窓。

 

突風、僕らはキスをした。