読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

35ひとりかくれんぼ

 ひとりかくれんぼという都市伝説に関する記事を読んで、結局この怪談(?)にも鍵になる場面にテレビが出てくるのか、と思った。リングもテレビ、着信アリは携帯電話、その他諸々の聞こえては行けない、見えては行けないものを受信してしまったメディアにおける怪異。もはやテレビ・ラジオ・電話以前の幽霊がどのように出現していたのか人々はほとんど忘れはじめてしまいかねないのではないか。家が大きかった時代に現れる座敷童などは、家全体を容易に把握することの出来ない感覚、住み慣れた空間に自分の知らない部分があるという不安に根ざしていたのだろうが、現代の団地や一人暮らし1DKでは狭すぎて外部と接続しているメディアを介して私空間に入ってくるしかないようだ。幽霊にとって窮屈な世の中だ。もう住まうことは出来ない、入ってくるしかない。

 1DKの部屋は入ってこられれば普通はわかる。そして隠れる場所もない。だからむしろ入ってきた理由が問われる。「家に知らない人がいる」系の話は確かにとても怖い。しかし、こういった話では大抵侵入者は生身の人間であり、その侵入手段は正当なものだ。つまり、鍵をコピーするなどして堂々と玄関から侵入するのである。この話のキモは、常識的に考えて人の住居に入るということは一般人では「絶対に」有り得ないという点である。金銭の強奪等の目的がなければ悪人であってもそんなことはしない。ということで、「知らない人」が家にいる、その意図の分け分からなさが恐怖の源泉になる。そのためには侵入者は人間でなくてはならなかった。しかもその住居と全く関連のない人間でなくてはならない。幽霊であったら、何か未練があるのだろう、ということで片付けることが出来る。幽霊は超時間的だからだ。しかも直にこちらに危害を加えることは出来ない。

 少し前の幽霊譚は家を舞台にしたものもそれなりにあり、そのほとんどは、家に幽霊が住んでいる、取り憑いている、または、いつも誰も知らない形で入ってきている、というものだった。上のような「知らない人が家に居る」譚で「知らない人」の意図が問題になっているのでわかる通り、もはや幽霊は家に住めない。また、幽霊だけの知っている侵入経路があり得るはずもない。

 そのような状況に対して、ひとりかくれんぼは一つの解を提示した降霊術と言える。つまり、侵入経路が不在もしくはあんまり明瞭すぎる現代の家屋事情に対して、住人がその通り道を開いてやるわけなのである。それは降霊術によって準備がなされ、テレビという入り口を介して入ってくる。

 もう一つ、これは単純に気づいたというだけなのだが、ひとりかくれんぼについて調べていて思ったのは、このかくれんぼはもちろん一人暮らしでも可能な設計になっているが、根本的には一人暮らしの部屋よりはもう少し広めの家を想定しているのではないかということだ。隠れ場所から再び風呂場に行く際に怪奇現象や異形が出現しているから、それに気づかれない護符の役割として塩水を口に含む訳なので、押し入れからバスルームまで二歩ほどであったらあんまり味気ない。さらに、自律的に隠れるとされるぬいぐるみの方も部屋があんまり狭ければ隠れようが無い。

 ということで、テレビ規定は、狭いとあんまり怖くないからあとから追加された規定のように思われる。実際に実況ではテレビをつけていないものも多い。

 

 

 しかし家でやると後々不愉快であるとか、そのようなことは考えないのかな。降霊術は一般に自己暗示であるから、目に見える残存物がなくとも、心的な効果があるということは少し考えればわかる気がするけれども・・・。