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目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

物語の力の物語:村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』

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ノモンハン事件の話って、本編に関係ないのでは・・・?

 日本の第二次世界大戦に関わる話を、一見その戦争とは全く関わりのないように見えるフィクションに挿入することの効果について。また、それがどのような意義をもつのかについて、何故とりわけ戦争の話なのかという点について。まだもう少し考えているのだけれど、あまりしっかりとした答えが出てこない。しかしどうやら一つの地点には到達したように見えるので、それを以下でまとめてみる。

 ここで論じるのは『ねじまき鳥クロニクル』についてであり、同作品を取り上げる理由は、間宮中尉によって語られるノモンハン事件についての挿入話が私にとって印象的だったこと、そしてそれが印象的であるにも関わらず、ストーリーにどのように関わるのかということを考え始めると、上手く答えが出せないこと、むしろ、その大本の岡田トオルに関わる話と一見関わりがないからこそ、それが挿入されていることに大きな魅力が加わるのではないか、しかしそうだとしたら何故なのかということが気になったこと、以上の三点が挙げられる。

語りの強度

 人はそれぞれが自分の過去について、家族について、自己の所属する共同体についていくつもの物語を持ち、それに規定されまた、それによって自己を能動的に規定して暮らしている。それら各々の物語の強度は一様ではない。一般に、広く社会的に共有される物語、例えば歴史は、それを支える国家と言う後ろ盾のもとに、教育機関や公共施設で繰り返し語られ、人々の自己規定において大きな影響力を与える。このような、広範に深く影響力を与える物語をここでは、その語りにおいて強度をもつ物語と言う事にする。

 語りの強度にはそれが広く一般に共有されるか否かという点がどうしても関わる。逆に、それが現実の生活や実感から遠ければ遠いほど、その物語の強度は弱っていく。また、現実の生活に近くとも、ある種の語りの主題としやすい事象がわかりやすく提示されれば語りは成功しやすいが、それが無ければ難しくなる。

 例えば、平凡な日常生活を記述するよりも東北関東大震災が起きた、あの3月11日に何をしていたのか、ということを語る方が容易だ。「容易」という言葉が不適切なら、そちらの方がより「語るに値する」と思いやすいのだ。何故だろう。それは語るという行為が本質的に語る相手を想定しているからだ。誰かに向けて語る以上、その相手との共有可能性に、語りは開けていなければならない。

 平凡な日常生活(例えば昨日朝起きた時どのようであったか)を語れと言われて、そんなことを語って何になる、と思うとすれば、それはその生活が他人と共有するに値しないと思うからだ。

語るに値する話とは?

 それでは、共有するに値する事項とは、どのようなことだろう。そのような事項は、本質的に自分一人でそれをもっていることが難しい事柄なのである。当たり前のように過ぎ去った出来事に関して、普通、それを領有することに困難さを感じたり、共有したいと思う事はない。

 しかし、目立った「事項」「出来事」という形で名付け、意識化することはできないけれども、語るに値すると思われてしまう感覚がある。何も起こらないこと自体を主題にしたいとき、それを私たちはどのように語ることが出来るだろうか。何一つ起こらないことを他者と共有することはいかにして可能なのか。

語るに値する話、語るに値しない話

 『ねじまき鳥クロニクル』はこのような語りのとっかかりを見つけることのできない事象と、大文字の「語るに値する」物語との間の語ることに関する力学を提示しているように思われる。

 後者が間宮中尉の戦争譚であると考えよう。この戦争譚はそもそも如何なる性格をもっていたのだったか。

 舞台設定を「日本の第二次世界大戦」に置くとき、それだけで物語はかなり堅固に決定されてくることになる。その舞台設定から読み手はいくつかの物語を想定することが出来る。

 どの物語においても共通の規定は、日本が最終的には敗戦したこと、そして戦争の物語を語る個人は常にその敗戦を生き抜いたことだ。これらの前提を確実に、聞き手は想定することができる。想定することが出来ると言う事は、その想定と異なった際には異なったこと自体を一つの発見として楽しむ事が出来ると言う事だ。

 一方で、主人公岡田の話には上の意味での強度が希薄だ。岡田の物語は、それを本当に物語る必要性があるのか疑問に思われる「何も無さ」である。しかし、岡田はその中で何かを探している。岡田が何かを探していることの切実さにおいてかろうじて岡田の物語は強度をもつが、それは読み手である私たちがその物語に価値を認めてやることではじめて読もう、という気になるものだ。

 そのような何も無い生活に岡田自身は勿論自覚的だ。物語の中盤で、本田の死という裂け目において開かれた、間宮を媒介とする、戦争の物語への接続可能性が、岡田の何一つ確定しない宙に浮かんだ生活を際立たせる訳だが、その中で岡田は、ともかくも何かをしようと試み始める。

何もない生活を語る

 何をしてよいかわからない。どこが目的なのかわからない。そもそも何をしてよいか、何が目的なのかということが決められることなのかわからないし、それをどのように決めるかもわからない。毎日が何もせずにすぎていく、「何もしなかった」という感覚を持つ事でかろうじてその日に「何かをしなければならないがそれがわからず、何もしなかった」という空虚な苦痛を上書き保存することに成功する、その生活の中で、しかし「何もしないこと」に抵抗する、そのことは、漠然とした日常を生きるのでないあり方があることを知る中で行われていく

物語から力を得る

 間宮の話が直接に「クロニクル」に関わるわけではない。岡田は間宮の話の中で間宮によりぽつりと語られた、ノモンハン事件の驚くべき空虚さについて知るのだ。それは間宮が先の大戦を後から回想していく中ではじめてわかっていくことだ。

 そのなかで岡田は、そのような戦争の空虚さを押し進める主体が、間宮にとって見えていなかったものであったということを知る。間宮の戦争譚と岡田の日常が共通性をもつとすれば、それはこのように非常に抽象的な意味においてだ。しかし、そのような共通性を見つけた岡田はそれについて考え抜く事で、綿谷ノボルに対する突破口を切り開いていく。

 岡田自身、何気ない日常の中で透明に迫ってくるものにより、緩慢に首を絞められているような感覚があるものの、それに近づく手がかりを得られない、それを特定することは叶わない、そういうものが存在するという確証もないから、本当だったら誰にもそのことは言えないのだ。

 しかし彼はそれがあると考え、それになんとか近づこうとする、そのようなものが実際にあるということだけは岡田は確信を持っているからだ。それは彼が間宮を始めとする様々な人々の話から鋭敏さをもって引き出してきたものであり、同時に根拠の無い妄想と始めのうちは紙一重だ。ねじまき鳥クロニクル』における岡田の綿谷ノボルへの反感はほとんど妄想に近いところから始まる。しかし、それはどうやら正しいことは少しずつ明らかになっていくのだ。

「クロニクル」へ

 自分の小さな感覚に鋭敏にあること、そして時が来たら、運命の駆動力との接続を試み、必死な抵抗を試みること、戦争ほどにわかりやすくはないが、しかしともすれば自分をつぶそうとする悪がこの世に潜んでいる可能性があることを、その敵の曖昧さ故に語る言葉自体も曖昧となりながら、しかし告発する村上春樹の手つきを見ていると、この作品が確かに「クロニクル」を描き出そうと試みていることが分かる。

 それはもちろんある年にある事件が起き、それがどのように歴史的・社会的な現象となったか、という意味でのクロニクルではもちろんない。しかし、岡田個人を描く事によりつむぎだされる「クロニクル」もまたあり得る。

 岡田が作中で間宮を初めとし、笠原メイ、加納クレタその他様々な人の話を聞きながら自己の立ち位置を冷静に見定めていったように私たちもまた、岡田の「クロニクル」を媒介に日常に抗する可能性が開けているといえるかもしれない。

同時代性のクロニクル

 そして岡田の「クロニクル」が今私が大いに刺激を受けているように、仮に他者と広く共有する可能性に開けているとすれば、それは彼自身にとって明らかにならない部分が明らかにならないものとしてそのまま描かれているからだ。「クロニクル=年代記」という言葉で示される対象を国家の年代記でなく、また岡田の個人史でもなく、岡田とその岡田の生きた時代、その曖昧さの中に私たちもまた生きていたという同時代性に読み替えることで筆者は開かれた歴史の可能性を探っている様にも見える

 岡田と綿谷ノボル(=漠然とした悪)との戦いは、大文字の歴史を一方に起きながら、敢えて個人の一見強度をもたない物語が、時に驚くほどの抵抗感をもつ様を描き出す、作中の物語間の力関係の相似形と見ることが出来る。そしてその中で同時に、強度をもち、広範に共有される物語の中にも、生き延びてしまった間宮固有の空虚さの体験のように、無数の個人史が潜んでいることが明らかにされる。

 

 *リライト記事ですが、随時更新します。

物語る力の減退?−−−『ねじまき鳥クロニクル』と『騎士団長殺し』

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『騎士団長殺し』を読み始めました。

 村上春樹の『騎士団長殺し』を読んでいる。購入のきっかけとなったのは、鴻巣友季子さんの以下の言。

ただ「異世界につながる穴」や「(夢の中で行われる)実体のない性交」など、過去の作品で出てきた多くのモチーフが現れ、作家が自らの過去の仕事を総括したような感が強い。特に「ねじまき鳥クロニクル」を語り直したような小説という印象を持つ読者は多いだろう。セルフパロディーは一つの小説技法であり、効果的にやれば面白いが、本作の場合は過去の「変奏」ともいえない単なる「反復」という感は否めない。

 引用は以下の記事より。

style.nikkei.com

 

 私は村上春樹の作品の中で、『ねじまき鳥クロニクル』がもっとも好きだ。だから、それを「語り直したような小説という印象を持つ読者」が多いと鴻巣氏が推測する小説とは、どのようなものなのだろうと気になったのだった。

 『ねじまき鳥クロニクル』については、過去に書いた記事(のリライト)を参照してもらえると大変幸いである。

 

summery.hatenablog.com

 

 さて、『騎士団長殺し』に関しては、また上巻を読み終えていない段階のため、詳しい感想はあとに回す。ここに述べるのは、当面の感想である。随時更新する。

『ねじまき鳥』との差異

 鴻巣氏の述べるように、私もまた『ねじまき鳥』によく似ているという印象を抱いた。しかし、それはあくまで、諸モチーフ、物語の展開のレベルにおいてである。語り手の世界との関わりの有り様は、『ねじまき鳥』の岡田トオルの場合と全く異なる。『ねじまき鳥』と似たモチーフの連関、似た展開を、全く異なる語り手に体験させ、語らせる作品である。

 似た点としてはいくつもの点をあげられる。例えば、高学歴で社会システムに影響力のある一員として強固に組み込まれた義父(東大経済学部→銀行の支店長)からの反対の中で、結婚したという主人公の結婚事情。そうして結婚した奥さんと離婚してしまうという流れ。喪失から始まり、その喪失状態を回復しようとする戦いの中で、自分の身に着けた力を活用していくという流れ。

 一方で異なる点として、私は岡田トオルよりも『騎士団長殺し』の主人公(以下、「私」)が老成しているように感じる。妻との離婚に至る流れ、複数の女性との関係性の保ち方、そして免色という謎のクライアントとの距離の取り方。「私」は現実を受け入れ、所与の現実の中で、いかに細々と、しかししたたかに生きるかを模索している。岡田ほどの迷走はそこにはなく、案外すぐに、おさまるべきところにおさまっているという印象。次々に現れる異様な人々や不思議な現象に翻弄されながらも、なんとかそれを味方につけ、所与の現実に立ち向かう岡田トオルとは全く別の姿である。

 「老成」という言葉で私は、「私」があまり様々なものを積極的に見よう、説明しようとしていないことも示している。「語学が苦手だからわからない」「専門用語が多すぎて覚えきれない」(以上、不正確)といった何気なく挿入される語り手=「私」の自己の認知的な限界への言及は、意外に思いながら読んだ。

 現時点では、以上二点あげた「私」の「老成」がとりわけ『ねじまき鳥』における岡田トオルと「私」とをわかつ部分だと思う。つまり、自己の限界策定が。

物語る力の減退?

 まだ後半を読んでいないので、後半を予測する楽しみがあるわけだが、おそらく、『ねじまき鳥』ほどの現実変革は、この語り手には無理だろう。小さくまとまる作品となる気がする。それ自体の是非はまたのちほど。ただ、どうなんでしょうね、こういう語り手は。もはや、現代において『ねじまき鳥』のような「クロニクル」は無理だというメッセージなのだろうか。

 『ねじまき鳥』に比べ、本作品は薄っぺらいと思う。それは、挿入される物語それぞれが薄っぺらいこととイコールであると思う。『ねじまき鳥』において、岡田が井戸の底で授かった力。それを私は、物語から授かる力の比喩ととっているが、この作品の語り手は、『ねじまき鳥』において岡田が受け取ったほどの強度で受け取ることはできないだろう。物語る力の減退を各所で感じる。本当なのか?と目をみはる気分だ。どうしちゃったんだろう。村上春樹

 久々にがっくりきた。まだ最後まで読んでないから、わからないけど。少し村上春樹論を追ってみようと思う。修論で作家論をやってから、作家に関する評論を読むのが食傷気味だったけれども、久々にやってみよう、という気になっている。

 

 

 

 

飼っていた猫に批判されつづけた高校時代

雑記

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 泣きながら目を覚ました。死んだ猫の夢を見たのだ。彼が死んでゆく様子は随分前に書いたことがある。今読み返すと、当時の文体に小っ恥ずかしさを覚えるけれど、とりあえず貼っておく。

 

summery.hatenablog.com

もう一度出会う

 夢の中で、私の猫は死ぬ前の苦しみを反復していた。病院から帰ってきた彼を抱いていると、彼は突然不穏な鳴き声を発し始める。当時は、それを「どうしたのかな」というくらいにしかとらえていなかった。それが、死へとつながるような彼の中の決定的な異変だったと後からわかった今、夢の中で、病院から帰っていた彼を抱く私の視界の隅には黒い靄がみえる。自分の夢ながら月並みだが、「死の影」というわけだ。一見幸福そうな彼を抱く私を靄がとりまいている。その私を私が見ている。多分、彼と私のシルエットの少し後ろから。彼が不穏な声で鳴き始め、心配そうな顔をする私、そして、すでに結末を知っている私。悲劇が起こる。そしてそのことを知りながら、私は私と猫とを見ているのだ。

 そのあとは、昔の記事に書いた通りだ。彼は呼吸困難に陥る。そして、もんどりうって、床をかきむしって苦しむ。私は彼に呼びかけるが、彼は私を見ていない。床をかきむしる彼のお尻からむりむりと糞がひり出る。私は、私の猫が文字通り巨大な力にしぼりとられているように感じる。大きな手に捻られ、その中身が出てきてしまっているようだ。

 彼が死ぬところに改めて出会った私、いや、現実には、それは見なかったのだ。私は彼が死ぬ時、部屋から出ていたから。けれども、夢の中ではそれと出会っていることになっている。

 彼が死んだのち、なぜだか私は、彼と対面している。若かった頃の彼と。残念ながら、学業方面での忙しさと、高校時代以来音に過敏になった私が感じる鳴き声への鬱陶しさとで、最後の2年ほどは、いつもまともにかまったとは言えなかった。毎日一度抱くということくらいはしていたけれど、それもほとんど義務感からだった。そのことが思い出される。

私を批判する猫

−−−君と遊ぶことを全力で楽しみにしていた時代に築いた、私と君との間の信頼関係は、あとあとすっかり薄れてしまったね。君は私のこの17年間をどう見たんだろうね。私はなんだかいつも必死で、必死のままここまできてしまった気がする。君に寂しい思いをさせたかな−−−

 

 感傷的な思いにかられながら、目覚めてひとしきり泣いたのち、冷静になって、私はこのような感傷が、何かを解決することはないと思われた。それは、私の側の感傷を猫に投影したものだからだ。

 私が大学に入るころからだと思う、私の猫は、私を明確に批判するようになった。具体的には、部屋の戸のところにいて、私に向かって、糾弾するように激しく鳴くようになった。それでいて、抱き上げると怒ってひっかくようになった。母はそれを「遊んで欲しがっている」と解釈していたようだが、少なくとも私に対しての彼の態度は明確に、批判だった。17年間も一緒にいて、私の猫が私を批判していること、それくらいわからないはずはない。

 それでは彼は何を批判していたのか。わからない。その批判の内容を、幼年時代に私と彼との間にあったような親密な関係性の欠如に対して向けられたものとして捉えることは出来る。また実際にこれまで私はそう捉えてきた。

    しかし、そう捉えるとすると私はいつまでも、私の猫を庇護すべき・愛玩すべき弱者の側に置くことになるのではないか。感傷にかられて泣いたのち、この涙はなんなのだろう、と冷静に考える中で、そのように思われたのだ。

    まぁ、もちろんそう受け取ってもいいのだけど。ペットを飼うということはペットを都合の良いように消費する行為だし、私も私の家族も、断じてそれだけではないにしても、基本的には間違いなくそのような動機から、猫を飼い始めたのだ(拾った)。

彼はどういう猫だったのだろう

 しかし、彼はもう少し大人で、もっと言えば、もう少し老獪だったのではないか。何しろ17だ。ベタベタくっつきあう関係性をいつまでも求め続けるわけではないだろう。

    私は晩年の彼が私に向けた批判が、私の人間性や、成長するにつれて私に起きた変化に向けられるような、より根本的なものだったのではないかと思っている。

    そのような推測の根拠として、壮年以降の私の猫が、「可愛がってください」とすり寄るだけの存在ではなかったことが挙げられる。彼は彼なりの規範を持っており、彼なりの快楽の型があった。それにそぐわないものは、彼の方から激烈に排除していた。10歳を越えたあたりからだ。

    それは、彼の老年期の身体の事情だったのだろうか?気づかなかったけれど、彼は激しい腰痛を抱えていたのかもしれない。去勢をしたことが後になって効いてきて、妙な体調不良を恒常的に抱えていたのかも。また、目も耳もほとんど満足に働いていなかったのかもしれない。医者には母が折に触れて連れて行っていた。そして、少なくともそこでそのような診断は得なかった。しかし、もちろん本当のところはわからない。

    それら身体的な事情が、彼の変化に絡む可能性を念頭に置きつつも、私には彼の変化がそれだけで説明されるとは思えない。彼もまた、この17年間に複雑な心的成長を経てきている。彼の中の内的な変容が、単に愛玩される存在に留まることを拒絶したのだと私は考えている。

    そしてまた、そのような成長を経て彼は、17年間同じ家で成長してきた私を、共に成長した存在としての立場から、激烈に批判してきていたのではないか。

 残念ながら彼と過ごした17年間、彼の生きて居るうちに一度も思い浮かべることのなかった問いを、今日私は思い浮かべている。それは、彼は結局どういう猫だったのか、という問いだ。この問いは、私のこれまでを振り返るきっかけを与えてくれる気がする。

    そして、このように、自己の成長とわかち難き存在として、そしてまた、私のこれまでを本気で批判してくる存在として彼を捉え直すことこそが、彼の死後に、彼と新たな関係性を開くきっかけでもあるのではないかと思われる。

    彼が死んだ時、糞まみれになって苦悶の表情のまま固まった彼の死体に絶句している私と母の横を、すたすたと通り過ぎ、クンと一度匂いを嗅いでからすぐに外に遊びに行ってしまった、もう一匹の猫。ちょっと前まで仲良く寝ていた彼の死体に驚くほど冷淡な彼女の態度に私は大いに勇気づけられたのだったが…

    14歳になってまだ元気いっぱいのその雌猫を胸に抱えながら、私は、彼はどんな猫だったのか、と考えを巡らせている。

 

 

新年になりましたね

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年が明けた。もう2017年か。月並みだが、驚きだ。

「ゆく年くる年」が作る節目

 テレビは基本的に観ないが、ゆく年くる年だけは毎年観る。その理由を、これまではなんとなく厳かな気分になれてよいから、というくらいにとらえていた。

 今年観ていて、その理由を自分の中で明確にすることができた。一言で言えば、観ることで節目を体験できるからだ。もっと正確に言うと、番組を観る事を通して、私にとっての節目が作られるからだ。今年何があったか、そして来年何をしたいかということを考える時間を、「ゆく年くる年」という番組はつくってくれる。

 テレビを基本的に観ないのは、時間を詐取されている気分がするからだ。特に、バラエティ番組は私にとって観れたものではない。

 騒々しい音楽や視覚に訴えかけてくるエフェクト。そして、視聴者の注意を惹きつけるために細切れに挿入される引き。バラエティ番組の中のそれらは、私に帰属するはずの諸々の感覚を無理にかき乱してくる気がする。

 そのような番組を観ている間の時間は、私にとってひたすらに不快だ。子供のころに弄り倒した虫のように、意に沿わない形でべたべた触られ、つっつかれている気分になる。

 もちろん、それが心地よいという気持ちも十分にわかる。感覚をバラエティ番組の作り出す刺激に馴致させてしまえば、それを観る体験は、これほど心地よいものはないだろう。つけて、座ればあとは全部やってくれるのだから。

 私がバラエティ番組に不快感を感じるのは、要するに、私自身がテレビの想定するような視聴者の層から外れたからだ。そして、それはそうなることを選択したのである。テレビから離れ始めた中学時代にはそこまで意識していなかった。しかし途中から、テレビからの離反が、テレビの作り出すテレビ的共同体からの離反を意味することに自覚的になった。

 テレビから離れ始めて以降、私がテレビを観るのは、夕食の時間家族に付き合う形で否応なしにそれを観なければならない時に限定された。そして、私はすっかりテレビが嫌いになった。もちろん、テレビそのものが嫌いなわけではない。上述したように、それが私の諸感覚に土足で踏み込んでくるような気がするから嫌なのだ。

 今日「ゆく年くる年」を観て、久々にテレビ番組をポジティブに捉えることができた。テレビは私に、私が持つことのない時間を与えてくれることもあったなと思い出された。具体的に言えば、私が受け取ったのは節目の時間だ。

 大晦日、新年の明ける10分前。私は毎年思い立ったように居間に来て、なんとなくテレビをつける。そのことにより、年を振り返る時間と来年に思いをはせる時間を持つのだ。節目にあるという感覚が開く、節目の時間。

 自分を観るように強制し・私をしばりつけてくるような番組と、どこか別の場所・別の時間のあり方に私を導いてくれる番組とは異なる。後者のような番組となら、私は付き合っていけるような気がする。

   ずっとテレビにそっぽを向いてきた。そのうちに、テレビにそっぽを向かれた。そのようなテレビとの関係を少し考え直してもいい気がした。ストレスを溜めない形で。

くる年を、希望とともに迎える

 今年「ゆく年くる年」を観ていて、「あぁ、節目が作られている」という感覚を抱いた。来年は一体どうなるんだろう。今年起きた出来事は、来年以降にどうつながるんだろう。そういうことを考え、柄にもなくワクワクしてきた。

 未来は見えない。そして、見えていないことにいつもは不安しか感じない。にも関わらず今日に限っては、見えていない未来が、見えていないからこそ楽しみだ。

    このような期待の感覚は珍しい。しかし、毎年大晦日には、それを感得してきた気もする。なぜ新年を迎える際に、見えない未来を考えることは楽しみなんだろう。

 その理由はおそらくこういうことだ。節目の時間の中において、来年を、今年や今年に至るまでに生きてきた年月の延長上でとらえる作業を行っているのだ。

   未来は未確定だが、これまでも未確定さの中をなんとか泳いできた実績が、私にはある。それらの経験を思い起こすことが次へと向かう力を作ってくれる。

 日常生活における細事で、このような連続性はなかなか意識できない。意識する余裕がない。こんなに時間にゆとりのある生活を送っていてなおそうだから。来年以降はまず無理だろう。

    だから、自分で意識的に節目を作ることができるようになる必要がある。もしかしたら、その方途の一つが家族を持つということなのかもしれない。全然真面目に考えたことはないが。

ということで、新年を希望とともに迎えました

 今年は多くのことが決まった年だった。だからこそ、不安も多かった。しかし結局、どれもなんだかんだなんとかなった。できなかったことも多かったが、できたことの方が多かった。来年も、そうなるだろうとなんとなく思う。 

 

勉強して、お願いだから

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えーと、なにがわからなかったんだろう…

 長く家庭教師を続けている。家庭教師をしていて一番難しいと思うことは、生徒が何をわかっていなかったのかを把握することだ。

    特に、私が教えている国語において、それは難しいと感じる。読むことも、書くことも、非常に複雑なプロセスだ。その上、それらの大半は、計算の場合とは異なり頭の中で行われる。したがって、本人に質問をすることを通して、何がわかっていないのか見つけ出す必要がある。

どこがわからないかを把握するのは至難の技

 この、質問を介した「わからないこと」を発見するためのやりとりは、ほんとうに難しいといつも思う。生徒が傷つかないような言葉選び・会話運びになるよう配慮しなければならない。一方、あまり配慮しすぎると問題の核心にたどりつかないため、時には食い下がって同じ形式の質問を繰り返し、掘り下げる必要もある。

 そして、残念ながらたいていの場合、はっきりした答えは返ってこない。「わからないこと」を言葉にするのは難しいからだ。例えば、ある文を理解していない時、理解していないことはどうやってわかるだろうか。理解している状態がわからなければ、理解していない状態もわからない。

 したがって、こちらからの発問に対し答える態度から推測し、仮説を立てて質問を考案し、配慮した言葉遣いに直して発する必要がある。非常に頭を使うため、毎回、家庭教師が終わった後はくたくたである。

「わからないこと」はわからない

 ちなみに、大学院生の私も、「わからない」ことがどうわからないのか、適切に言語化することはほとんどできない。それどころか、たいていの場合「わかっていない」ことにすらすぐに気づくことはできない。

全然わかってなかった勉強会

 例えば、私は文学を専攻しているが、2年ほど前から興味本位で歴史の先生の勉強会に参加していた。今だから言えるが、2年前は何もわかっていなかった。先生が問題にしていることの重要性がわからず、今議論していることがどのような脈絡からくるのかもよくわからなかった。

 断っておくが、私は何一つわからなかったわけではない。というか、上述したように、当初は勉強会における議論を、自分が根本的な部分でわかっていないとは思っていなかった。議論されている事柄それぞれについて知識はあった。また、10分20分というスパンでは、議論を追うことができたからだ。

 しかし、議題に挙がっていることがなぜ今、どのような連関から議論されているのかはほとんどの場合、曖昧だったのである。したがって最初の一年間、私にはその勉強会が瑣末な知識を開陳しあうだけのものに見えた。それ以上のものには見えなかった。

 二年目に、やっと何が行なわれているのかわかった。要するに、議題に挙がっているテクストが当時の言説構造のなかでどのような位置付けを持つものとして書かれ、読まれたのかということを先生は明らかにしようとしていたのだった。それがわかってから、勉強会は俄然面白くなった。もっと早く気付いていればな、と強く後悔した。

 大学院生としての私の経験に比べると、解答を見ることでとりあえず正しいか間違っているかがわかる受験勉強は、少なくとも間違いの所在をすぐに特定できるという点で、楽だなと思う。しかし、もちろん、それはスタート地点に過ぎず、解くまでのどのプロセスで間違っているのかわからなければ解決にならない。なんか良い方法はないかなぁ。

自分を変える意味は、変える前からわからない

 それはそれとして、教師として生徒を導くこと自体を、双方の納得づくで行うこと自体にも限界を感じることがある。

 「わからないこと」を特定し、それを改善するプロセスは、改善している最中に改善後のことがわからないものとしてある。家庭教師としては、やる前にはそれにどういう意味があるのか本人にとってはわからないことを、やってもらわなければならない。

なんだかいじめてるみたいだな

 何が問題か一緒に発見する過程で、しばしば私は、「なんだかいじめてるみたいだな…」と思ってしまう。うーん。これ、私の心が弱いのかもしれないけど。そういうときは大抵、生徒くんの集中力は切れている。そして、行っている最中のやりとりが終わるのを待っているのがわかる。

 それに応じて、一旦やめてもよいし、実際にやめることもある。一方、固執することもある。放置してもどこかでまた同じ問題が噴出するからである。言い方を変えたり、「疲れた?」とか聞いたりしながら、質問を続けようとしたりするのはしばしばだ。

どうやって納得してもらおう

 このプロセスを正当化するために最善なのは、今問題を解決することが、将来どう役に立つのかを説明することである。しかし、しばしば長話になる上、将来のことをありありと想定することは誰にとってもできないから、あまり意味がない。

 そこで、功利的な話に偏りがちになる。それが、生徒にとって一番切実だと思われるからだ。具体的には「こうすれば試験が解ける」、「点が取れる」という言い方だ。しかし、私はたいてい、点数自体にはあまり意味がないということを生徒にどこかで(しかも、一定の期間を挟んで繰り返し)伝えてしまっているため、この話をしだすのは、疲れている時である。

 わからないことを発見することも、それをわかるようにするために自分を変えていくことも本当に大変だ。本人にその意思がない時はいうまでもなく、その意思がある時も、往々にして難しい。

お願いだからやって!信じて!

 「わからないこと」を一緒に探していく最中で、生徒が疲れた顔をするときがある。そんな時、私がどうしているかというと、最初はやはり、「わからないこと」をわかるようにすることにどれだけ価値があるかを伝える。一応、教師=大人という立場から。

 先に述べたように、わかるようになった状態を生徒は知らない。したがって、今の状態にどう問題があるのか本当のところは納得していない。だから、この説得はその説得内容自体としてはあまり意味がない。

 しかし、この説得は、「お願いだからやって!絶対重要だから信じてやって!」というメッセージとして機能する。そのはずだと私は信じているし、実際多分そうなっている。話の内容自体は、だから、お題目のようなものだ。「私を信じてください」というようなことを述べているわけだ。つまりは。

 そして、案外これは効果的だ。どこがわからないのか、特定しようと四苦八苦し、つついたりなだめたりすかしたりする。それで、生徒の方がのってこないと、それがどう重要かと納得してもらおうと色々ひねり出す。「どう?なんかわかってきた」「やっぱり今解決しておくべきかもしれないよね?」とか、問いかけの形で、必死こいてわかってもらおうとするのだ。

にやっと笑う彼

 生徒はそのように私が試行錯誤していること自体を、案外とよく見ている。納得するのではなく、見守ってくれている。そして、私が疲れてしまい、「はあ〜。なんか疲れたね笑」とか言うと、それを待っていたようににやっと笑ったりする。

 そのにやっとした笑いに「よくわかんないけど、やってやるよ」というメッセージが読み取れたりするものだから、私は彼に教えるのを毎週楽しみにしているのである。

 

ワークライフバランスって本当になんだろう。

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 ここ数日、ワークライフバランスについてつらつらと考えていた。今回は、自分がやっている大学の授業の手伝いを関連させながら、ワークライフバランスについて考えたことを書こうと思う。

 

暇すぎる仕事

 大学の授業の手伝いをしている。いわゆるTAというやつだ。仕事内容は主にプリント配布、出欠管理などで、当然、仕事中の80%以上は、待機が業務となる。

 この業務、主観的には「暇」の一言で、研究室の先輩たちもこのTA業務をあまり好んでいない。「暇でしょ、つまんないでしょ?」とよく言われ、まぁそうだな、といつも思う。それならなぜ続けているのかといえば、学内で授業の合間の空き時間にできる手軽なアルバイトだからだ。つまり、お金がもらえるからである。

 

暇な仕事にも価値はある

 しかし、もちろん全くお金のためだけ、というわけでもない。主観的にあまり面白くないこの仕事は、重要であることは確かである。私がいなければ教員の負担は重くなり、その分、生徒に対して与えられる教育の質が下がる。教員にとって、思い思いのタイミングで授業に対するちょっとした批評を求めたり、ちょっとした作業を頼めたりする人間が一人待機しているということは貴重だろう。塾講師のバイトを何年もやっていた自分には、とりわけそれがよくわかる。

 つまり、暇な時間が多く、ありていに言えば面白くないこの仕事は、価値を生んでいるといえる。それも、「教育」という題目のもと、このように簡単に言語化できる程度には、わかりやすい価値を生んでいるのである。

 

ライフに使える時間がいっぱいな職場

 話は飛ぶが、ここ数日、ワークライフバランスについてつらつらと考えていた。友人が、とても労働時間の少ない職場に内定したという話を聞いてからだ。

 その仕事とは、図書館関連の仕事で、給与は決して高くないが低くもなく、だいたい18時半には家に帰れるという。それを聞き、私には、自分の趣味にも、子育てにも時間が費やせる、理想の職場があるものだなとうらやましく思った。

 しかし、職務はルーティンワークが中心で、創造性を発揮する余地は少なく、キャリアアップとは無縁な職場だとも聞いた。これをどうとらえるべきかということをここ数日考えていたのだ。

 

ワークライフバランス」でリスク回避

 仕事に思惑通りの自己実現を求めることは、どこかの組織に所属しようとする限り、基本的に難しい。組織の中では、自分が望んだことをさせてもらえないのは日常茶飯事だからだ。

 従って、専門職など、ある程度働き方が固定してしまっている職に就く場合や一から自分で起業するのではない限り、働き始める前から、働き始めたあとのことを予想するのは難しい。どれだけ慎重に選んでも、企業に勤めるという選択をとる限りにおいては、自分の思惑通りの働き方ができるということはない。

 しかし、どのような場合であっても、落ち着いて熟考する時間が多ければ、現状を冷静に省みたり、必要であればそこから脱出する術を模索することはできる。そうだとすれば、就職活動において考慮すべきは、ワークライフバランスを考えた職選びだと言える。就職活動において、私はそう考えていたし、この考え方は間違ってはいないと思う。とりあえず、ここまではよいだろう。

 ただし、このような思考の過程を経てたどりついた「ワークライフバランス」の考慮の必要性は、つまりはリスクを回避するためのものである。仕事に対して前向きに思考することを通して「ワークライフバランス」にたどりつけていないことが、自分の中ではずっと気になっていた。

 もちろん、時間があるということは、より創造性の富んだ仕事を可能にするという意味で、業務に対してよい影響を及ぼす。よりよく働く事を目指すことと「ワークライフバランス」とは相互補完的なはずだ。

 しかし、このようなポジティブな意味での「ワークライフバランス」の捉え方は、仕事の内容がわかってこそ本当の意味で実感することができるものではないだろうか。ということは、働き始める前段階である今、ワークライフバランスは、とりあえず時間が確保しうる、というほどのことでしか、実際的にはありえないのか。どうなんだろう、ということを考えていた。

 

TAが1日8時間なら、ワークライフ抜群なはず

 最初の話に戻ろう。

 そのようにしてつらつらと考えていた時、毎週の事ながらTA業務が巡ってきた。

 そして、このTA業務こそが、漠然と羨んでいた、友人が勤めることになる図書館の仕事に似ていると思われた。以下の点が、類似点だと考えられた部分である。

 

  • ルーティンワークであること。業務の細部において、専門性や創造性は問われる。しかし、業務フローをダイナミックに改善するような創造性の介入する余地は少ない。
  • 毎日変わらず同じ事をすること自体が価値を生むような仕事である。
  • 業務フローが確立してしまっているため、業務時間の縮小も延長もありえないこと。

 

 ということは、青い鳥が最初から家にいたように、私も最初からうらやんだ職を持っていたということになる。もし、大学の授業TAを毎日8時間やるという仕事があったら、ワークライフバランスは抜群だろう。

 

ワークライフバランスってなんだろう

 しかし、そのような職に就く気は起きないかもしれない、と思われた。ここまできてはじめて、やはり、職自体にやりがいは必要だ、と思われたのである。

 結局、「ワークライフバランス」を、私は、ライフをワークから守るための概念としてしかとらえてなかったのだな、と思う。しかし、本当に考えるべきは、ライフとワークとが相互に良い影響を与え合うような有り様を労働する個々の主体が自分にあった形で見つけることはいかに可能か、ということのはずだ。

 ライフの経験がワークにフィードバックされるとともに、ワークがライフを豊かなものとする。そのようなライフとワークの相互連関のあり様を自分で見出していくことができなければ、バランスをとれているとは言えないだろう。充実したライフと不満に満ちたワーク、もしくは、冷え切ったライフと充実したワーク、どちらの組を抱え込んだとしても、あまり長続きするようには思われない。前者の場合、ワークはますます忌避すべきものとなっていくだろうし、後者の場合、人生はワークのためのものとなっていくだろう。

 

就労に対するシニシズムを超えていくには

 もちろん、私はワークに対してライフを守るという企図が託された「ワークライフバランス」という言葉の使用法を否定するわけではない。実際この言葉が日本で脚光をあびることになったのは、「ブラック企業」「ブラックバイト」などの違法な過剰労働がとりざたされはじめた時期と並行しているのではないかと思っている節があるからだ(全然見当違いかもしれないが)。というか、悪しき労働条件がこれだけ社会問題化されている今、働く事が怖くないわけはないでしょう、と素直に思うし、周囲を見ていても、皆働く事にネガティブな印象しかもっていない。

 働くことへのシニシズムが軽減され、ライフとワークとが相互に良い形で刺激しあうようなポジティブな働き方ができればよいなあ、と切に思う。だけど、仕事が始まる前の段階=仕事内容が本当には想像できない段階で、それに向けて準備することっていかに可能なのかな。

 

 

もうすぐ働きはじめる

 もうすぐ働きはじめる。そのことに、大きな期待と若干の不安を覚えている。今回は不安の方について

 

同質的な集団

 

 高校・大学・大学院と同質的な集団の中で生きてきたと思う。

 「同質的な集団」という言葉で、私が意味するのは、同じような人生を送ってきた構成員の集まりからなる集団のことだ。それでは、何をもって「同じような人生」とするのか。厳密な規定を行うべき場所では、ここはないから、私自身の規定を述べる。

 私が数分話して、あぁ、この人も私と同じような人生を送ってきたのだな、と判断するとき、主に以下の諸点を見ている。

・考え方の掴みやすさ

・話の聞き方や相づちの打ち方

・話し相手との距離の取り方

・会話におけるノリの様子、笑うタイミング、笑いが惹起されるような話の内容

 もちろん、所属や中高時代の話を聞くのが手っ取り早い。しかし恐ろしいことに、そんなことをしなくとも、以上に着目しながら数分話せば、あぁ、同じような人生を送ってきた人だ、とわかってしまう。自分でも驚くほどに、あまり外れない。

 

同質でない人間たちとの遭遇

 

 自分と同質の人間を見つけ出すスキルに気がついたのは、最近のことである。具体的には、就職活動を始めてからだ。それで、そもそも会話をする時点から、これまでと異なるやり方が必要な場面があるということに気づいた。当然、とても疲れた。

 私が相手に対して劣っているわけでも、ましてや優っているわけでもない。ただたんに、前提としていることが様々に違うので、合わせていかなければならないのだ。

 そうか、私はいつも、だいたい同じような人とつきあっていたんだな、と思った。同じような人、とは、自分にとって気安い人という意味ではない。そうではなく、苦手な人であれ、緊張を強いられる人であれ、すくなくとも、背景は同じであるということだ。そこから、もちろん様々に分岐しうる。けれども、根本的には同じである、という感じだ。

 だからこそ、就職して、これまでの大前提が崩れることが、少し不安だ。

 

新しい価値観へ

 

 こうして書きながら、なんともへんなことを考えるようになったものだ、と思う。

 小学校に上がるときだって、中学校に上がるときだって、高校に上がるときだって、私はそんなことは全く考えたことがなかった。むしろ、どんな新しい世界に飛び込むのかとドキドキしていたものだ。

 それなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。