SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

人が年をとるということ。その中で文学的課題を発見していくということ。黒井千次さんのインタヴューに参加してきました

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 先日書いた通り、飯田橋文学会の文学インタヴューに参加してきました。大変良かったです。一人の作家が、時に応じてどのように自己の文学的な課題を発見していくか。それにいかに向き合っていくか、という過程をありありとお話くださいました。

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 このインタヴューに関する、文学会側の方のツイートとしては、例えば平野啓一郎さんの、以下のようなものが挙げられます。

  私は平野さんとは異なるところに刺激を受けたので、そのような部分を中心に、簡単に振り返りたいと思います。

あまり書かなかった大学時代

 まず印象に残ったのは、最初の作品を発表するまでの経緯。1932年生まれの黒井さんが、主に作品を書き始めたのは、高校生のとき。何が語りたいかわからないけれども、何か語りたいという気持ちから、戦後の混乱の中で創作意欲に燃えたと言います。今から振り返って読むと、別にその時の作品がとりわけよいということではない。けれども、ひたすらに書いた経験が本当に重要だった、というお話をされました。

 逆に大学においては、当時盛んだった労働運動に一般の学生並みに接し、友人たちと観念的な議論を繰り広げる中で、頭でっかちとなり、創作活動に気持ちが向かなくなっていたとのこと。書いた作品を批評する目を過度に内在化すると、書くことが難しくなる、というお話でした。

 以上のお話は、私にとっては覚えがある、というか現在進行形の課題であります。私もまた、小学校の頃に夢中になって小説を書いていました。当時は、書くこと自体が楽しかったので、それが完成するのか、完成したら、どう評価されるのか、ということを考えてはいませんでした。

 今も、小説を書こうと思う時はありますし、実際に書きます。しかし、書いていると「これは完成するのか」「これでは先行作品に比べて新しいとは言えないのではないか」というような批評家的視座が鎌首をもたげてきて、頓挫してしまうのです。つまり、書くことの愉楽が第一に来るのではない状況に陥っています。どうにかならないかなぁ。自由になるために大学・大学院で勉強して、実際に自由になった側面は多いのだけれど、不自由になったところも実はそれなりにあるような…。しかしどうしたらここから抜け出せるのか、それも、逆戻りではない形で。そのようなことをぼんやりと考えながら、お話を聞いていました。

企業内労働というテーマ

 大学生活の終わりとともに、黒井さんは就職します。黒井さんの就職に関して、詳しくは『働くということ』(講談社現代新書、1982年)という本にまとめられています。ちなみに、私はこれをその場で購入しサインをもらいました。もうすぐ就職するので、これは買うしかない、という気分でした。

 

働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書)

働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書)

 

 大学時代に接した労働運動の影響もあり、ものをつくる労働者の実態をみることに興味を持っていた黒井さん。その興味もまた一つのきっかけとなり、メーカーに就職されたとのことです。そこで、黒井さんは企業とその中で働く個々人の主体との関係を問うような小説群を発表していきます。今回の文学インタヴューで中心的に言及されたのは、先日私がブログで紹介した『時間』という作品です。

時間 (講談社文芸文庫)

時間 (講談社文芸文庫)

 

  私は漠然と、この作品の企図は高度経済成長期、企業という巨大で非人間的なシステムがその力を増す中で、そこに翻弄される主体の像を描くことにより、当時の社会を批判的に書き出すことにあるのだと思っていました。

 しかし、昨日のインタヴューを聞く中で、その考えは微妙に違ったと感じられました。インタヴューの中で、黒井さんは、システムの中で企業戦士化した主体もまた、子供を持ち、家庭を持つ人間であるという気づきを得たエピソードを紹介します。いわく、企業の中では、「課長」はもう「課長」として動かし難く存在している。けれど、地元の祭りなどで会うと、課長も子供と一緒に常人並みに市民生活を営んでいるのだよね…。

 こういった語り口から、企業の中の人間を書くことの力点が、文明批判というよりは、人間個人を問い直すことの方にあったのだなあと感じられました。別に企業を批判したいわけではない。巨大なシステムの中でがんじがらめになっているはずの個々人から、しかしどうしようもなく滲み出てくる人間性に黒井さんは関心をもっている。その関心の向けかた、そこに気づくまでの経緯の語りかたが、理路整然としていて、穏やかで、真摯な方なのだなと強く思われました。

生活の中で文学的な主題を見つけるということ

 富士重工を退社した後は、本格的に作家活動に入り、家で執筆をするのが黒井さんの生活の中心になります。それにより、今度は黒井さんの中で、家とは何か、家族とは何か、という主題が現れてきたと言います。

 近日インタヴューの映像が公開されるので、細かくはそちらに譲りますが、このようなお話を聞くことで、作家が周囲の生活の中から文学的な主題を発見していくプロセスに素直に感心しました。それとともに自分が専門としている大江健三郎さんとの共通点を見つけることもできました。

 黒井さんの作品自体は大江さんの作品と接点が多いわけではなく、お二人がとりわけ文壇の中で関わりが深いというわけでもないと思います。しかし、人生におけるいくつかの転機や日常生活を送る上で出会われる細かな事件・気づきなどを、創作活動の原動力として、長期間にわたりその都度新たな作品を世に送り出していくという姿勢に関しては、共通する点をいくつも見つけられると感じられます。

 研究すればするほど、文学はわからない、とらえられない、実体がない、と思われてきた。そのような思いを書く方の作家もまた同じように抱えているのだろうなと思います。

 自己が変化していくこと。それが「変化」と捉えられるかはわからない。もともと何があったのか、ということが定かではないし、変化ののちに何があるのかということもわからない。しかし、そのようによくわからないものに狙いを定め、追い詰めてとらえ、それに新たな形を与えていくこと。それを一つの「人生の習慣」として、ごまかさずに行っていくこと。そのような作家としての生と向き合う態度にしみじみと感心させられたのでした。

  

最初にやりたかったことってなんだろう。

 

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 今日は遅く起きた。眠い目をこすってiPhoneで新聞を一通り読んだ後、大学の図書館に行った。午前中いっぱいは黒井千次の『時間』という作品集の中の中編「時間」を読んだ。

 

時間 (講談社文芸文庫)

時間 (講談社文芸文庫)

 

 

 黒井千次は、これまで一度も読んだ事がなかった。最近読んでいるのは、飯田橋文学会という学者・文学者からなる文学交流会が主催する、現代作家アーカイブという企画を聴きに行こうと考えているからだ。現在活動中の作家が来場し、自己のキャリアや、キャリアの途上で書いた作品についてのインタヴューに応じる企画である。

 

new.lib.u-tokyo.ac.jp

学生時代を問い直したくなる

 『時間』は大変良い作品だった。大学卒業後、企業戦士となった主人公が、大学時代の交友関係やゼミに関わる中で、左翼運動に接した学生時代と現在のあり方との関係を問い直す作品である。

 もはや「ノンポリ」という言葉を使うこと自体がたまらなく「臭い」が、あえて用いるなら、私自身は完全に「ノンポリ」である。しかし、大学院と就職との間にある現在の私にとって、この6年間の学生時代をいかに総括するかということは大きな課題なわけで、その点において、『時間』という作品が自分と無縁のものとは思われなかった。

最初やりたかったことは、できた?

 この作品を読む中で、大学生活始まって以来、一貫して親しくしてきた友人から投げかけられた何気ない一言を思い出した。

「この大学生活はどうだった?」

「うん、楽しかったよ」

「やりたいことはできた?」

「やりたいこと?」

「最初やりたかったこと、それはできた?」

 ほんとうに何気ない一言なのだが、私は自分でも意外なほど面食らい、次の言葉が出てこなくなってしまった。目先の「やりたいこと」を次から次へと必死に消化していく一方で、当初やりたかったことに関しては、全く意識しないままに過ごしてきてしまったことに気づかされたからだ。特にこの二年、あんまり忙しく、また忙しくない時も、気持ちが落ち着かずに、そんなことは考えてもみなかった。

 ただ、大学入学当初やりたかったことをわざわざ振り返ったり、思い出してみようともしなかったことの理由として、一番大きいのは、私がそれを昨日のことのように感じているからだと思う。私は大学入学当初の自分と比べてほとんど全く変わっていないと、そう思っているからだと思う。振り返るまでもないというわけだ。

 「「最初やりたかったこと」なんて言われても、だって今だって、最初のままのようなものでしょう?だとしたら、今私がやりたいことが、最初やりたかったことのようなものでしょう?

 つまり、例えばあることを言った後で、すぐに言い直したとしたら、後者の言い直した方が、本当に言いたかったこととして最初に言われた方は言う方にとっても聞く方にとっても、霧消してしまうでしょう?」

 そう言ったとして、彼はすぐにこう反駁するだろう。

「でも、六年たったよ」

 そう、六年たった。本当に?そうして振り返ると、確かにそうだ。大学一年生のときに考えていたことと、今考えていることは、結構違うような気がする。それゆえに、当時自分が考えていたことに一定程度耳を傾けるべきな気がする。子供の時に自分が持った問いの一部が、後から案外重要であったと振り返られるように、大学一年次に自分が考えていたことは、一笑に付せるものも数多くありながら、今ではすっかり見えなくなったものをはらんでいるような気もする。

 しかし一方、「それがあるのだとしたら、とっくに気付いている、だって、大学に入学したのは昨日のようなものじゃないか、当時重要だったものは、今も変わらず重要であるに決まっている」という心の声を聞く気もする。

 要するに、大学一年次は今の私からは遠い過去になる一歩手前であるのだ。まだまだ全然、それは手の届くところにある気がする。

 私は大学生活を忙しくしすぎたのかもしれない。大学一年生の時の自分が夜遅くまでドイツ語の不規則動詞を暗記して、授業で紹介された小津安二郎の映画をYouTubeでちょっと見て、それで寝て起きたのが、今日の朝起きた自分に直に接続しているような…。

 しかし、当時はiPhoneをもっていなかったし、ノートパソコンはいまよりずっと重いものを使っていた。当時の私は漱石や三島をほとんど読んだことがなく、洋書を丸々一冊読破したこともなかった。住まいは今とは違うし、使っている筆記用具も鞄も時計も、来ている服も違う。あらゆるものが違う。しかし、それを昨日のように感じてしまうのが不思議である。

「最初やりたかったこと、それはできた?」

 なんだかとても面食らって、適当に受け流した彼の問いを、今落ち着いて考えようとするけれども、何もでてこない。私は「最初やりたかったこと」が一体なんだったのか、それを思い出すことから始めなければならない。

 

 

 

  

 

 

 

小学校の頃の先生とSNSでつながる

 

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 一昨日、小学校時代の教師とSNS上でつながりました。そのことが影響してか、小学校時代の先生と再び会う夢を見ました。
 奇妙でない夢というものはなかなかありませんが、今日の夢もまた奇妙でした。単に奇妙というだけでなく、いろいろ考えさせられるところがあったのです。


 

 夢の中で、私は小学校時代の先生の国語の授業を受けていました。題材となる小説には、現に自分自身が体験したことが書かれていました。読みながら、そのことがわかりました。夢の中で私は、「これは私がした体験だ」ということに気づいたのです。そして、その体験の中にもぐりこんでいったのでした。
 ベージュ色の表面からなる壁に包まれた、地下室の中を私は歩いていました。壁の輪郭はぼやけており優しく親密であります。柔らかい砂の地面には1cmほどの水が張っていました。目の前の、水盤から、ゆっくりとそれらの水がわきだしているのです。
 ただそれだけの体験が、テクストとなって目の前に現出しており、体験した自分自身がそれを先生の授業で読解しているのでありました。


 

 先生の発問にあわせて、私は小学生だった当時の積極さを保存したまま、頻繁に自分の考えを、手を挙げて述べていました。

 その際、私は小学校以来の10数年間で獲得した話し方で「今先生が〜と発された問いに関してなのですが、私はこのような表現から〜のように考えられるのではないかと思います」というように答える具合なのですが、先生は「○○、いいポイントだね」と当時のままの具合です。ここで〇〇には、あだ名が入ります。久保健太郎くんを、「クボケン」と読んだり増田くんを「マッシー」と呼ぶようなあれです。

 すでに倍以上の年を取った私が、その年相応の語り方をするのに対し、先生は全く当時と同様の具合で応じる。このギャップにクラクラしました。


 

 夢の中で、この10数年の間に変化したのは私だけのようでした。もちろん、先生にも様々な変化があったことでしょう。しかし、私はそれを知らないから、夢の中で、私だけが変化して、先生はそのまま出てきたのでしょう。そのことが、先生と連絡を取れというサインのように感じました。
 それで、先生宛にメールを書いたのですが、どうもうまく書けず消すことの繰り返しです。それを繰り返す中で、あの夢が、「先生と連絡を取れというサイン」ではないのではないかという風に思うようになりました。


 

 私の体験を私が読解し、それに対して、それを自分が体験したと唯一わかっている私が、自分の考えを今のような話し方で述べること。そして、先生がそれに、小学生時代と同様の形で対応すること。そのことは、安易に連絡をとれば、決定的なディスコミュニケーションに陥るから気をつけてね、という警告のようにも、考えられてきたのです。
 私は、先生が結局どういう人だったのか、ということを考えなければならないと思います。高校時代に出会った本の一部を学部時代、大学院時代と読み直すような形で。そして、読み直す気がなんとなく湧きもします。しかし、ここで急ぐと失敗する気がする。
 私には「時間を味方につける」必要があります。

「時間を味方につける」−−−でも、どうやって?

 朝何気なく入った喫茶店にずいぶん長くいた。いくつかの本を読んだり、考えたことを書き出す、ということを時間を忘れて楽しんでいた。膨大に時間があっても、案外この種の娯楽はできない。頭が明晰で、かつ喫茶店が空いている時間帯に、喫茶店にいくことができることがその条件だ。

 そして、この種の娯楽は5時間ほどが限界だ。目も頭も疲れ、気分を変えたくなる。読むスピードが圧倒的に遅くなり、内容が頭に入らなくなる。小雨が降っていそうだったので、若干無理して、同じ場所にいようと努めたが、何も得られない時間が30分ほど経過したので、思い切って店を出ることにしたのだった。

 今日の喫茶店には、「はーい」を限りなく「ほーい」に近いように発音する店員がいた。集中力が切れてくると同時にその「ほーい」が気にかかった。もしかしたら、この人は子供のときのある時期、「はーい」を「ほーい」ということにして、それがなんとなく、定着したのかもしれない、と思う。子供の時の一時期、私は「なに?」を「にな?」と言っていた。そういうものかもしれない。

 今日は地方自治に関する本や黒井千次『群棲』をはさみつつ『騎士団長殺し』の続きを読んでいた。地方自治に関する本とは、田村秀『暴走する地方自治』(2012年)である。大変面白い。大阪都構想中京都構想の是非などについて論じた部分を読み、当時の熱気がありありと目に浮かぶような気がした。

▽ 

 『騎士団長殺し』の方は、今日下巻に入った。まぁ、あと3日はかかるかなという印象。丁寧に読んでいるわけではないが、あまりさくさくは進まないし、長時間読み続けることもできない。『1Q84』のときは本当にあっという間に読んだな、ということを思い出した。ただし、『1Q84』がとりわけ良作だった覚えはない。

 本を読むだけの生活を送っていると、明日はこれとこれのこの部分まで読んで、と時間の使い方が、本のページ数で測られたりするようになる。4月から働き始めるが、働き始めるまでに読めるのは何冊くらいだな、というのもわかる。なんとなく不安定な時間を私は生きている。待ち時間のような、別にそうでないような。

 そんな私になんとなく気になるものとして残った、『騎士団長殺し』の一節。

 

「時間が奪っていくものもあれば、時間が与えてくれるものもある。時間を味方につけることが大事な仕事になる」(23頁)

 

 「時間を味方につける」−−−でも、どうやって?

 

物語の力の物語:村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』

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ノモンハン事件の話って、本編に関係ないのでは……?

 日本の第二次世界大戦に関わる話を、一見その戦争とは全く関わりのないように見えるフィクションに挿入することの効果について。また、それがどのような意義をもつのかについて、何故とりわけ戦争の話なのかという点について。まだもう少し考えているのだけれど、あまりしっかりとした答えが出てこない。しかしどうやら一つの地点には到達したように見えるので、それを以下でまとめてみる。

 ここで論じるのは『ねじまき鳥クロニクル』についてであり、同作品を取り上げる理由は、間宮中尉によって語られるノモンハン事件についての挿入話が私にとって印象的だったこと、そしてそれが印象的であるにも関わらず、ストーリーにどのように関わるのかということを考え始めると、上手く答えが出せないこと、むしろ、その大本の岡田トオルに関わる話と一見関わりがないからこそ、それが挿入されていることに大きな魅力が加わるのではないか、しかしそうだとしたら何故なのかということが気になったこと、以上の三点が挙げられる。

※ところで、本記事の背景となる大文字の歴史を突き崩すような物語の力観については、以下で簡単にまとめているので、あわせてご覧いただければ幸いです。

summery.hatenablog.com

 

語りの強度

 人はそれぞれが自分の過去について、家族について、自己の所属する共同体についていくつもの物語を持ち、それに規定されまた、それによって自己を能動的に規定して暮らしている。それら各々の物語の強度は一様ではない。一般に、広く社会的に共有される物語、たとえば歴史は、それを支える国家と言う後ろ盾のもとに、教育機関や公共施設で繰り返し語られ、人々の自己規定において大きな影響力を与える。このような、広範に深く影響力を与える物語をここでは、その語りにおいて強度をもつ物語と言う事にする。

 語りの強度にはそれが広く一般に共有されるか否かという点がどうしても関わる。逆に、それが現実の生活や実感から遠ければ遠いほど、その物語の強度は弱っていく。また、現実の生活に近くとも、ある種の語りの主題としやすい事象がわかりやすく提示されれば語りは成功しやすいが、それが無ければ難しくなる。

 たとえば、平凡な日常生活を記述するよりも東北関東大震災が起きた、あの3月11日に何をしていたのか、ということを語る方が容易だ。「容易」という言葉が不適切なら、そちらの方がより「語るに値する」と思いやすいのだ。何故だろう。それは語るという行為が本質的に語る相手を想定しているからだ。誰かに向けて語る以上、その相手との共有可能性に、語りは開けていなければならない。

 平凡な日常生活(たとえば昨日朝起きた時どのようであったか)を語れと言われて、そんなことを語って何になる、と思うとすれば、それはその生活が他人と共有するに値しないと思うからだ。

語るに値する話とは?

 それでは、共有するに値する事項とは、どのようなことだろう。そのような事項は、本質的に自分一人でそれをもっていることが難しい事柄なのである。当たり前のように過ぎ去った出来事に関して、普通、それを領有することに困難さを感じたり、共有したいと思う事はない。

 しかし、目立った「事項」「出来事」という形で名付け、意識化することはできないけれども、語るに値すると思われてしまう感覚がある。何も起こらないこと自体を主題にしたいとき、それを私たちはどのように語ることが出来るだろうか。何一つ起こらないことを他者と共有することはいかにして可能なのか。

語るに値する話、語るに値しない話

 『ねじまき鳥クロニクル』はこのような語りのとっかかりを見つけることのできない事象と、大文字の「語るに値する」物語との間の語ることに関する力学を提示しているように思われる。

 後者が間宮中尉の戦争譚であると考えよう。この戦争譚はそもそも如何なる性格をもっていたのだったか。

 舞台設定を「日本の第二次世界大戦」に置くとき、それだけで物語はかなり堅固に決定されてくることになる。その舞台設定から読み手はいくつかの物語を想定することが出来る。

 どの物語においても共通の規定は、日本が最終的には敗戦したこと、そして戦争の物語を語る個人は常にその敗戦を生き抜いたことだ。これらの前提を確実に、聞き手は想定することができる。想定することが出来ると言う事は、その想定と異なった際には異なったこと自体を一つの発見として楽しむ事が出来ると言う事だ。

 一方で、主人公岡田の話には上の意味での強度が希薄だ。岡田の物語は、それを本当に物語る必要性があるのか疑問に思われる「何も無さ」である。しかし、岡田はその中で何かを探している。岡田が何かを探していることの切実さにおいてかろうじて岡田の物語は強度をもつが、それは読み手である私たちがその物語に価値を認めてやることではじめて読もう、という気になるものだ。

 そのような何も無い生活に岡田自身は勿論自覚的だ。物語の中盤で、本田の死という裂け目において開かれた、間宮を媒介とする、戦争の物語への接続可能性が、岡田の何一つ確定しない宙に浮かんだ生活を際立たせる訳だが、その中で岡田は、ともかくも何かをしようと試み始める。

物語から力を得る

 間宮の話が直接に「クロニクル」に関わるわけではない。岡田は間宮の話の中で間宮によりぽつりと語られた、ノモンハン事件の驚くべき空虚さについて知るのだ。それは間宮が先の大戦を後から回想していく中ではじめてわかっていくことだ。

 そのなかで岡田は、そのような戦争の空虚さとそれを駆動させた圧倒的な暴力を押し進めた主体が、間宮にとって見えていなかったものであったということを知る。そしてそこから、自分の日常生活に軋みのようにして訪れる暴力にもまた、いまだ見えないかもしれないが、発生源があるのではないかという予感を得る。間宮の戦争譚と岡田の日常が共通性をもつとすれば、それはこのように非常に抽象的な意味においてだ。しかし、そのような共通性を見つけた岡田はそれについて考え抜く事で、綿谷ノボルに対する突破口を切り開いていく。

 岡田自身、何気ない日常の中で透明に迫ってくるものにより、緩慢に首を絞められているような感覚があるものの、それに近づく手がかりを得られない、それを特定することは叶わない、そういうものが存在するという確証もないから、本当だったら誰にもそのことは言えないのだ。

 しかし彼はそれがあると考え、それになんとか近づこうとする、そのようなものが実際にあるということだけは岡田は確信を得ることができたからだ。それは彼が間宮を始めとする様々な人々の話から鋭敏さをもって引き出してきたものであり、同時に根拠の無い妄想と始めのうちは紙一重だ。ねじまき鳥クロニクル』における岡田の綿谷ノボルへの反感はほとんど妄想に近いところから始まる。しかし、それはどうやら正しいことは少しずつ明らかになっていくのだ。

「クロニクル」へ

 自分の小さな感覚に鋭敏にあること、そして時が来たら、運命の駆動力との接続を試み、必死な抵抗を試みること、戦争ほどにわかりやすくはないが、しかしともすれば自分をつぶそうとする悪がこの世に潜んでいる可能性があることを、その敵の曖昧さ故に語る言葉自体も曖昧となりながら、しかし告発する村上春樹の手つきを見ていると、この作品が確かに「クロニクル」を描き出そうと試みていることが分かる。

 それはもちろんある年にある事件が起き、それがどのように歴史的・社会的な現象となったか、という意味でのクロニクルではもちろんない。しかし、岡田個人を描く事によりつむぎだされる「クロニクル」もまたあり得る。

 岡田が作中で間宮を初めとし、笠原メイ、加納クレタその他様々な人の話を聞きながら自己の立ち位置を冷静に見定めていったように私たちもまた、岡田の「クロニクル」を媒介に日常に抗する可能性が開けているといえるかもしれない。

同時代性のクロニクル

 そして岡田の「クロニクル」が今私が大いに刺激を受けているように、仮に他者と広く共有する可能性に開けているとすれば、それは彼自身にとって明らかにならない部分が明らかにならないものとしてそのまま描かれているからだ。「クロニクル=年代記」という言葉で示される対象を国家の年代記でなく、また岡田の個人史でもなく、岡田とその岡田の生きた時代、その曖昧さの中に私たちもまた生きていたという同時代性に読み替えることで筆者は開かれた歴史の可能性を探っている様にも見える

 岡田と綿谷ノボル(=漠然とした悪)との戦いは、大文字の歴史を一方に起きながら、敢えて個人の一見強度をもたない物語が、時に驚くほどの抵抗感をもつ様を描き出す、作中の物語間の力関係の相似形と見ることが出来る。そしてその中で同時に、強度をもち、広範に共有される物語の中にも、生き延びてしまった間宮固有の空虚さの体験のように、無数の個人史が潜んでいることが明らかにされる。

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 のちになって、この作品との関係から『騎士団長殺し』について感じたことをまとめた記事も書いたので、よろしければあわせてご覧ください。

summery.hatenablog.com

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物語る力の減退?『ねじまき鳥クロニクル』と『騎士団長殺し』

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騎士団長殺し』を読み始めました。

 村上春樹の『騎士団長殺し』を読んでいる。購入のきっかけとなったのは、鴻巣友季子さんの以下の言。

ただ「異世界につながる穴」や「(夢の中で行われる)実体のない性交」など、過去の作品で出てきた多くのモチーフが現れ、作家が自らの過去の仕事を総括したような感が強い。特に「ねじまき鳥クロニクル」を語り直したような小説という印象を持つ読者は多いだろう。セルフパロディーは一つの小説技法であり、効果的にやれば面白いが、本作の場合は過去の「変奏」ともいえない単なる「反復」という感は否めない。

 引用は以下の記事より。

style.nikkei.com

 

 私は村上春樹の作品の中で、『ねじまき鳥クロニクル』がもっとも好きだ。だから、それを「語り直したような小説という印象を持つ読者」が多いと鴻巣氏が推測する小説とは、どのようなものなのだろうと気になったのだった。

 『ねじまき鳥クロニクル』については、過去に書いた記事を参照してもらえると大変幸いである。

summery.hatenablog.com

 さて、『騎士団長殺し』に関しては、また上巻を読み終えていない段階のため、詳しい感想はあとに回す。ここに述べるのは、当面の感想である。随時更新する。

『ねじまき鳥』との差異

 鴻巣氏の述べるように、私もまた『ねじまき鳥』によく似ているという印象を抱いた。しかし、それはあくまで、諸モチーフ、物語の展開のレベルにおいてである。語り手の世界との関わりの有り様は、『ねじまき鳥』の岡田トオルの場合と全く異なる。『ねじまき鳥』と似たモチーフの連関、似た展開を、全く異なる語り手に体験させ、語らせる作品である。

 似た点としてはいくつもの点をあげられる。例えば、高学歴で社会システムに影響力のある一員として強固に組み込まれた義父(東大経済学部→銀行の支店長)からの反対の中で、結婚したという主人公の結婚事情。そうして結婚した奥さんと離婚してしまうという流れ。喪失から始まり、その喪失状態を回復しようとする戦いの中で、自分の身に着けた力を活用していくという流れ。

 一方で異なる点として、私は岡田トオルよりも『騎士団長殺し』の主人公(以下、「私」)が老成しているように感じる。妻との離婚に至る流れ、複数の女性との関係性の保ち方、そして免色という謎のクライアントとの距離の取り方。「私」は現実を受け入れ、所与の現実の中で、いかに細々と、しかししたたかに生きるかを模索している。岡田ほどの迷走はそこにはなく、案外すぐに、おさまるべきところにおさまっているという印象。次々に現れる異様な人々や不思議な現象に翻弄されながらも、なんとかそれを味方につけ、所与の現実に立ち向かう岡田トオルとは全く別の姿である。

 「老成」という言葉で私は、「私」があまり様々なものを積極的に見よう、説明しようとしていないことも示している。「語学が苦手だからわからない」「専門用語が多すぎて覚えきれない」(以上、不正確)といった何気なく挿入される語り手=「私」の自己の認知的な限界への言及は、意外に思いながら読んだ。

 現時点では、以上二点あげた「私」の「老成」がとりわけ『ねじまき鳥』における岡田トオルと「私」とをわかつ部分だと思う。つまり、自己の限界策定が。

物語る力の減退?

 まだ後半を読んでいないので、後半を予測する楽しみがあるわけだが、おそらく、『ねじまき鳥』ほどの現実変革は、この語り手には無理だろう。小さくまとまる作品となる気がする。それ自体の是非はまたのちほど。ただ、どうなんでしょうね、こういう語り手は。もはや、現代において『ねじまき鳥』のような「クロニクル」は無理だというメッセージなのだろうか。

 『ねじまき鳥』に比べ、本作品は薄っぺらいと思う。それは、挿入される物語それぞれが薄っぺらいこととイコールであると思う。『ねじまき鳥』において、岡田が井戸の底で授かった力。それを私は、物語から授かる力の比喩ととっているが、この作品の語り手は、『ねじまき鳥』において岡田が受け取ったほどの強度で受け取ることはできないだろう。物語る力の減退を各所で感じる。本当なのか?と目をみはる気分だ。どうしちゃったんだろう。村上春樹

 久々にがっくりきた。まだ最後まで読んでないから、わからないけど。少し村上春樹論を追ってみようと思う。修論で作家論をやってから、作家に関する評論を読むのが食傷気味だったけれども、久々にやってみよう、という気になっている。

飼っていた猫に批判されつづけた高校時代

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 泣きながら目を覚ました。死んだ猫の夢を見たのだ。彼が死んでゆく様子は随分前に書いたことがある。今読み返すと、当時の文体に小っ恥ずかしさを覚えるけれど、とりあえず貼っておく。

 

summery.hatenablog.com

 

もう一度出会う

 夢の中で、私の猫は死ぬ前の苦しみを反復していた。病院から帰ってきた彼を抱いていると、彼は突然不穏な鳴き声を発し始める。当時は、それを「どうしたのかな」というくらいにしかとらえていなかった。それが、死へとつながるような彼の中の決定的な異変だったと後からわかった今、夢の中で、病院から帰っていた彼を抱く私の視界の隅には黒い靄がみえる。自分の夢ながら月並みだが、「死の影」というわけだ。一見幸福そうな彼を抱く私を靄がとりまいている。その私を私が見ている。多分、彼と私のシルエットの少し後ろから。彼が不穏な声で鳴き始め、心配そうな顔をする私、そして、すでに結末を知っている私。悲劇が起こる。そしてそのことを知りながら、私は私と猫とを見ているのだ。

 そのあとは、昔の記事に書いた通りだ。彼は呼吸困難に陥る。そして、もんどりうって、床をかきむしって苦しむ。私は彼に呼びかけるが、彼は私を見ていない。床をかきむしる彼のお尻からむりむりと糞がひり出る。私は、私の猫が文字通り巨大な力にしぼりとられているように感じる。大きな手に捻られ、その中身が出てきてしまっているようだ。

 彼が死ぬところに改めて出会った私、いや、現実には、それは見なかったのだ。私は彼が死ぬ時、部屋から出ていたから。けれども、夢の中ではそれと出会っていることになっている。

 彼が死んだのち、なぜだか私は、彼と対面している。若かった頃の彼と。残念ながら、学業方面での忙しさと、高校時代以来音に過敏になった私が感じる鳴き声への鬱陶しさとで、最後の2年ほどは、いつもまともにかまったとは言えなかった。毎日一度抱くということくらいはしていたけれど、それもほとんど義務感からだった。そのことが思い出される。

私を批判する猫

 

 私が大学に入るころからだと思う、私の猫は、私を明確に批判するようになった。具体的には、部屋の戸のところにいて、私に向かって、糾弾するように激しく鳴くようになった。それでいて、抱き上げると怒ってひっかくようになった。母はそれを「遊んで欲しがっている」と解釈していたようだが、少なくとも私に対しての彼の態度は明確に、批判だった。17年間も一緒にいて、私の猫が私を批判していること、それくらいわからないはずはない。

 それでは彼は何を批判していたのか。わからない。その批判の内容を、幼年時代に私と彼との間にあったような親密な関係性の欠如に対して向けられたものとして捉えることは出来る。また実際にこれまで私はそう捉えてきた。

    しかし、そう捉えるとすると私はいつまでも、私の猫を庇護すべき・愛玩すべき弱者の側に置くことになるのではないか。感傷にかられて泣いたのち、この涙はなんなのだろう、と冷静に考える中で、そのように思われたのだ。

    まぁ、もちろんそう受け取ってもいいのだけど。ペットを飼うということはペットを都合の良いように消費する行為だし、私も私の家族も、断じてそれだけではないにしても、基本的には間違いなくそのような動機から、猫を飼い始めたのだ(拾った)。

彼はどういう猫だったのだろう

 しかし、彼はもう少し大人で、もっと言えば、もう少し老獪だったのではないか。何しろ17だ。ベタベタくっつきあう関係性をいつまでも求め続けるわけではないだろう。

    私は晩年の彼が私に向けた批判が、私の人間性や、成長するにつれて私に起きた変化に向けられるような、より根本的なものだったのではないかと思っている。

    そのような推測の根拠として、壮年以降の私の猫が、「可愛がってください」とすり寄るだけの存在ではなかったことが挙げられる。彼は彼なりの規範を持っており、彼なりの快楽の型があった。それにそぐわないものは、彼の方から激烈に排除していた。10歳を越えたあたりからだ。

    それは、彼の老年期の身体の事情だったのだろうか?気づかなかったけれど、彼は激しい腰痛を抱えていたのかもしれない。去勢をしたことが後になって効いてきて、妙な体調不良を恒常的に抱えていたのかも。また、目も耳もほとんど満足に働いていなかったのかもしれない。医者には母が折に触れて連れて行っていた。そして、少なくともそこでそのような診断は得なかった。しかし、もちろん本当のところはわからない。

    それら身体的な事情が、彼の変化に絡む可能性を念頭に置きつつも、私には彼の変化がそれだけで説明されるとは思えない。彼もまた、この17年間に複雑な心的成長を経てきている。彼の中の内的な変容が、単に愛玩される存在に留まることを拒絶したのだと私は考えている。

    そしてまた、そのような成長を経て彼は、17年間同じ家で成長してきた私を、共に成長した存在としての立場から、激烈に批判してきていたのではないか。

 残念ながら彼と過ごした17年間、彼の生きて居るうちに一度も思い浮かべることのなかった問いを、今日私は思い浮かべている。それは、彼は結局どういう猫だったのか、という問いだ。この問いは、私のこれまでを振り返るきっかけを与えてくれる気がする。

    そして、このように、自己の成長とわかち難き存在として、そしてまた、私のこれまでを本気で批判してくる存在として彼を捉え直すことこそが、彼の死後に、彼と新たな関係性を開くきっかけでもあるのではないかと思われる。

    彼が死んだ時、糞まみれになって苦悶の表情のまま固まった彼の死体に絶句している私と母の横を、すたすたと通り過ぎ、クンと一度匂いを嗅いでからすぐに外に遊びに行ってしまった、もう一匹の猫。ちょっと前まで仲良く寝ていた彼の死体に驚くほど冷淡な彼女の態度に私は大いに勇気づけられたのだったが…

    14歳になってまだ元気いっぱいのその雌猫を胸に抱えながら、私は、彼はどんな猫だったのか、と考えを巡らせている。

 

 

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最後に出て来た14歳の雌猫については、以下の記事に書きました。

 

summery.hatenablog.com

 彼女はこっちにも登場しています。

summery.hatenablog.com