目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

「時間を味方につける」−−−でも、どうやって?

 朝何気なく入った喫茶店にずいぶん長くいた。いくつかの本を読んだり、考えたことを書き出す、ということを時間を忘れて楽しんでいた。膨大に時間があっても、案外この種の娯楽はできない。頭が明晰で、かつ喫茶店が空いている時間帯に、喫茶店にいくことができることがその条件だ。

 そして、この種の娯楽は5時間ほどが限界だ。目も頭も疲れ、気分を変えたくなる。読むスピードが圧倒的に遅くなり、内容が頭に入らなくなる。小雨が降っていそうだったので、若干無理して、同じ場所にいようと努めたが、何も得られない時間が30分ほど経過したので、思い切って店を出ることにしたのだった。

 今日の喫茶店には、「はーい」を限りなく「ほーい」に近いように発音する店員がいた。集中力が切れてくると同時にその「ほーい」が気にかかった。もしかしたら、この人は子供のときのある時期、「はーい」を「ほーい」ということにして、それがなんとなく、定着したのかもしれない、と思う。子供の時の一時期、私は「なに?」を「にな?」と言っていた。そういうものかもしれない。

 今日は地方自治に関する本や黒井千次『群棲』をはさみつつ『騎士団長殺し』の続きを読んでいた。地方自治に関する本とは、田村秀『暴走する地方自治』(2012年)である。大変面白い。大阪都構想中京都構想の是非などについて論じた部分を読み、当時の熱気がありありと目に浮かぶような気がした。

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 『騎士団長殺し』の方は、今日下巻に入った。まぁ、あと3日はかかるかなという印象。丁寧に読んでいるわけではないが、あまりさくさくは進まないし、長時間読み続けることもできない。『1Q84』のときは本当にあっという間に読んだな、ということを思い出した。ただし、『1Q84』がとりわけ良作だった覚えはない。

 本を読むだけの生活を送っていると、明日はこれとこれのこの部分まで読んで、と時間の使い方が、本のページ数で測られたりするようになる。4月から働き始めるが、働き始めるまでに読めるのは何冊くらいだな、というのもわかる。なんとなく不安定な時間を私は生きている。待ち時間のような、別にそうでないような。

 そんな私になんとなく気になるものとして残った、『騎士団長殺し』の一節。

 

「時間が奪っていくものもあれば、時間が与えてくれるものもある。時間を味方につけることが大事な仕事になる」(23頁)

 

 「時間を味方につける」−−−でも、どうやって?