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目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

学校の先生という選択肢を捨てた理由 ①

私は教師の方が向いているかもしれない

 

 去年の暮れからぼちぼち、就職活動をしていた。その中で何度も浮かんできたのは、「私は教師の方が向いているかもしれない」という予感だった。

 

 しかし、私は教職課程をあまりまじめに履修していなかった。教育実習にも行っていない。教師を目指すのであれば、留年することになる。それでも悪くはないが、どうせ留年するのなら、とりあえず少し就職活動をしてみるべきだろう。そのような考えから、並みいる就活生に混ざり、慣れないスーツを着て就職活動をしていた。

 

 幸いな結果に終わったため、教師になることはなくなったが、その過程において何度も去来した「教師の方が向いているかもしれない」という予感がなんだったのかということに関しては少し書いておこうと思う。

 

教えるアルバイトの疲れ

 

 考えてみると、就職活動を始める前から私は教師という選択肢を何度も考えていた。上述のように、不真面目ながら教職の科目もおそらく半分ほどはとったのである。それも、当時教職の講義は私にとってそれなりに面白かった。あれほど多くの学生が内職したり、居眠りしたりしている講義もなかなかないだろうが、それは私にとってそれなりに面白かったのであったから、確かに、振り返ってみても私は教職をとり、教師になりえたと思う。向いているかはわからないが、それをしたいと思う自分が、その気持ちを実行に移す可能性は十分にあった。それでは、なぜそうしなかったのだろう。

 

 振り返って当時の日記を読むと、やはり当時の私は、教職をこのままとり続けるかどうかで迷っている。そして、とりつづけないという選択をするにいたったあたりをみると、私は教えるという仕事に疲れていたのだとわかる。

 

 私は大学入学後、一年ほど休んでいた期間はあるものの、基本的に教えるアルバイトに携わってきた。大変幸いなことに、私が持つ生徒は皆真面目でよく勉強をした。また、私自身が、教える仕事に向いていたようであり、彼らをサポートすることはできたし、職場や保護者とは基本的に良い関係を築くことができた。もちろん、多くの場合、結果も出せた。

 

 それでも、私は疲れてしまっていたのである。理由は、私の狭い経験から言わせて貰えば、教える仕事が基本的に繰り返す仕事だからだ。私は個別指導塾で働いており、大学受験生を持つことが多かった。最初の一年は試行錯誤の連続だった。生徒と一緒に徐々に成績を伸ばしていったり、最初はびくびくしていた生徒とだんだん打ち解けていくのは喜ばしい体験だった。二年目は、最初の一年で得た教訓を生かし、さらに良い指導を行うにはどうすればよいかと考え、実行していくことにやりがいがみいだせた。

 

またやるのか・・・

 

 しかし三年目の最初、受験生を送り出した直後に、新たな受験生を受け持つことになったとき、「またやるのか・・・」という気分になったのを覚えている。小テストのリズムに慣れてもらう、計画を立てることができるようになってもらう、間違いノートを作れるようになってもらう・・・。それぞれのステップが具体的に浮かんできて、それまでの二年で直面してきた苦労が目に浮かんだ。

 

 最初は、そのような苦労も楽しかった。どう言えば私が必要と思うことを具体的に納得してもらえるかということに工夫をこらすことは、日常行っているコミュニケーションと全く異なるコミュニケーションを実践することであり、新鮮だったのだ。

 

 しかし、三年目ともなると、そのステップもルーティン化してくる。私にとっては3度目でも生徒にとってははじめてのことなのだから、ルーティン化した説明をとるとしても、相手の反応に対する臨機応変さは保持しなければならない。しかし、それが面倒だった。成果を求められる職場であったことも起因してか、どうすれば大抵成績が伸びるかわかっているので、それを画一的に適用する方が成果に対しては効率がよく、圧倒的に楽なのである。

 

 最初は新鮮に感じられた高校生の物の見方も、三度目となると、それほどに面白いものとして感じなくなった。むしろ、それ以上に彼らの自分と比した時の視野の狭さが気になることが多くなった。

 

 もちろん、彼らが三つも四つも年下なのだから、それは当たり前のことなのである。それに合わせていくのも仕事のはずだし、そもそも一般的に、他者と建設的で豊かな人間関係を築くには、時間も労力もかかるのだ。

 

 問題は、それが蓄積されないことだった。毎年新たな関係を一から築いていかなければならない。それには喜びも苛立ちもある。教える側に立つ以上、私から合わせていき、良好な関係を保たねばならない。それが面倒になった。

 

教職科目の履修をやめる

 

 4年生になる前に、私は教職をやめてしまった。教えるアルバイトも一時的に辞めた。辞めてしまうと、また何とはなしにやりたくなり、大学院生になって再び始めた。しかし、その時に教職をとろうという気持ちまでは復活しなかった。

 

 むしろ、私は教えるバイトと決別するために、最後の一手として始めたのだ。教える職業につかないとしたら、今後、中学生や高校生と話す機会は、大人になってからほぼないだろう。今、アルバイトを通して簡単に関わることができる彼らとの交流は、社会に出てから皆無になる。そのことを十全に意識しながら、これまで何年も関わる中で身につけたことを振り返り、場合によってはそこについやされた努力や気概を鎮魂しようと考えた。その中で、再びやりたいと思ったのなら、留年して教職をとればよいと思われたのだ。

 

(つづく)