囲碁について半年間調べる中で考えたこと(1) 仲邑菫さん、上野梨紗さん、福岡航太朗さんら年少プロ三氏の入段に着目して
囲碁にはまっています
半分近況報告なのですが、囲碁にはまっています。
12月からなので、まだやっと半年のにわかもにわかだし、囲碁にはまっていると言ってもゲームとしての囲碁自体というよりはプロ棋士の生態系や囲碁という興行の運用ならびにそれらを含み込んだ社会と囲碁との関わりを調べることに夢中になっています。とはいえそうした話をフォローする中でゲームとしての囲碁を知りたいという気持ちを持たなくもないのでルールや打ち方についてかすかに勉強をしていますが、現在はルールを知っているプラスアルファで、棋力でいうと15~12級くらい。
自分ではほとんど打たないので観る時の感覚で言うと、観戦しているとなんとなく、どの辺が黒になりそうか、白になりそうかがわかるようになってきました。一応ある程度の根拠とともに「勝っているのは黒/白」と予想をたてて、10回に7回は当たるようにはなってきました。
そのようにゲームとしての囲碁の勉強をしていて思うのですが、このゲーム、練習するにも打つにも観戦するにも非常な時間を要しますね。昨日、日本棋院(プロ制度を運用する公益財団法人)が運営するオンライン上の囲碁プラットフォーム「幽玄の間」で国際棋戦に勝つことを目標に立ち上げられたプロ棋士の特訓チームの対局をつらつら観ていたのですが気づいたら2時間くらい経っていました。
打とうとすると勉強すべきことは無限
細かな部分を有利に進める手筋や死活を学ぼうとすると身につけるべき技能もそのために解くべき問題も大量に出て来て尻込みしてしまいます。何事もそうですが、大体俯瞰するのと一から全部自分でできるようにするのとではかかる労力が全く違います。後者については時間がかかるので、本当にそれをしたいか慎重に考えるべき。ということでちょっと囲碁以外にやりたいことがなくもないので、まあゲームとしての囲碁については引き続き観戦がある程度楽しめるようになればいいかなと思っています。
ただ、言葉には長らく関心を持ってきた私なので、囲碁に関する語彙を増やすことには手筋や死活よりももう少し興味があります。抽象的な石の並びや連結を示すために、囲碁には専門的な用語がいくつもあり、しかもそれは現代の日常生活における言葉にもちょくちょく紛れ込んでいます。この用語体系を頭に入れれば、それに張り付いた囲碁の論理が少しわかるかもしれません……。
13歳以下の年少プロが3人入段した平成31年度
話を戻すと、関心はゲームとしての囲碁ではなく、なぜ囲碁というゲームはそれほど人を惹きつけるのか、どうしてひっきりなしにプロになるほど研鑽を積みたいと思う人が現れ、どうしてそれが興行として成立するほど、囲碁に関わってお金が動くのかという点にあります。そうした関心を持つきっかけとなったのは本当に偶然、平成31年度新たに囲碁のプロ棋士となった人の中に13歳以下が3人(タイトルにお名前を挙げましたが、仲邑菫さん、上野梨紗さん、福岡航太朗さんの三氏)もいたことを知ったから。リンク先の写真を見てもわかるとおり、この3人、とにかく幼い……。
平成31年度 棋士採用試験結果 | 棋士 | 囲碁の日本棋院
特別な才能を持った子供の物語に関心がありました
私は小さな頃から特別な力を発揮する子供が現れる物語の類型に強い関心を持っています。
児童文学、少年漫画、アニメ、を読んで・観て育ったのですがそれらのうちの多くはそういった物語を持っているし、そうしたものに全く触れずに大人になる人はいないと思うので関心を持つのは当たり前……と思っていたのですが、大人になるまで関心を保持し続ける人は案外いないようだ、と最近気づきました。感情移入できなくなるからでしょうか。
ただ、私は今だに関心を持っています。このブログでこれまで書いてきたことに引きつけていうなら『ヒカルの碁』『スカイ・クロラ』『千と千尋の神隠し』等に興味があるのは、根本はそういうこと。
何らかのドラマを描くためには、物語の中心人物と社会との間の相互交渉・葛藤を物語に組み込むことが必要だと思うのですが、子供に内在的な視点で物語を書くという制約があるとそれができません。子供が子供のまま社会に対して何らかの主体的な働きかけをする、というプロットは明らかに無理があるからです。ということで、その子供が、何らかの特別な能力を持っている、という設定にするのは創作の技法上、当然であると思います。
また、そうした、ドラマを生み出す都合を離れても、社会化される以前の子供に既存の社会や平凡な日常を内破させる何らかの可能性が含まれている、とする想像力ははるか昔からあります(日本民俗学でいうならば、各地にある「童子」に対する信仰など)。
低年齢プロが複数人生まれる囲碁界は、まさに私が関心を持ってきた、特別な力を発揮する子供が現れる物語の類型がリアルな形で生まれようとしているように思われました。囲碁というのは何やら難しそうな知的ゲームで、そのプロというのは扇子を持った老獪なおじさん……という風なイメージを、『ヒカルの碁』を何度も読んでいた私が持っていたわけではありませんが、それでもプロ入段時のヒカルよりも若い子らが複数人入段している、というのは驚きでした。
抱いた疑問と調べてみたこと
上の新聞記事に出会い、少し調べて抱いた疑問はシンプルで「なんでこの子たち囲碁やろうと思ったんだろう。そしてなぜ、プロになるための勉強を何年もしてきたんだろう」というもの。それから本格的に情報収拾を始め、知ったことは本当に多かったのですが、それをつらつら書いてみると本当に文字数が多くなったので、まずはいくつか簡単な疑問にわけてそれぞれに対する答えの概略だけ述べ、のちに気が向いた時に、詳細を述べたいと思います。ちなみに認識がまだまだ浅いので、間違いだらけかもしれません。コメントをください。
▷人はなぜ囲碁にはまるのか
囲碁が以下三つの欲望を刺激するから。
- 囲碁は謎の発見、分析、解明、新たな謎の発見、というサイクルを生み出し続ける一つのシステム。わからないものをわかるようになりたい、よりよいものを見つけたいという欲望
- 勝ち負けがはっきりし、相手をどれだけ上回っているのか数値化されるため、自分が他人より優れていることを証明したいという欲望
- スモールステップにわかれた教材の大量な蓄積があり、それらを毎日ほんの少し勉強しているだけでも、何かを積み上げているという実感があるため、成長し、何かをよりよくできるようになりたいという欲望
▷なぜ低年齢プロが増えているのか
現在、主に以下の点で囲碁技術・教育上の変革期にあるから。
- 中国・韓国由来の大量の反復練習を中心に据えた上達メソッドの普及により、時間を投下して意欲的に練習を繰り返すことができれば低年齢でもめきめき上達できるようになった
- オンラインで碁を打つ環境の整備で、誰でもいつでも格上の相手と打てるようになった
- 囲碁AIの台頭で人間が知らなかった新筋がいくつもあることが明らかになり、それらを知っていればAIの打ち筋に追いついていけないプロに対してある程度の優位性が保てるようになった。(※囲碁は打つところが多い割には超微妙な勝負にもつれこむことが多々あり、一箇所で明らかに優位に進められると、全局的にも相当有利)
▷子供でもプロになれるのか。
子供がプロになることへの驚き・意外性を、「囲碁の複雑さを子供が処理しきることができてしまっている」ことへの驚きととらえ、それが可能な理由を以下考察する。
- 囲碁は言葉で説明しようとすると複雑になるが、何となく良さそうなところに石を置いてみて、出てきた局面を眺めてみる、というように、実際に並べて試すことで複雑さを縮減して思考することができる*1。脳内碁盤ができてしまえば、相当程度、思考の負荷を減らせると思われる。
- 囲碁の技術上の蓄積は膨大で、もちろんいつでも応用できる銀の弾丸的な手筋はないが、「こういう局面ではこうしておけば悪くはならない」程度の打ち方は大量にある。また、細かい部分で得をするすべも大量にあり、それらを押さえることは決定的に重要で、知っているのと知らないのとでは結果が大きく変わる。基本技術を早く・効率よく詰め込むことができれば、低年齢でも入段に必要な実力がつく。そこで、平成31年度に入段した福岡航太朗さんのように、小4から小6まで韓国の道場で朝から晩まで囲碁漬けの生活をおくったりする(下記リンク先参照)と、学校に行かない分勉強時間が長くなるという点だけをとっても有利*2。同期入段の仲村さんも韓国の道場で修行経験があるという。
- また、AIの示す新筋の吸収力については「タブラ・ラサ」な子供の方が有利。最近の新規入段者は高段プロ*3を楽々なぎ倒したりする。
- とりわけ高度に思われるのは、全局的な状況を見て、次の着手点を決めるという操作(大局観)だが、自分の陣地を大きくするというゴールが決まっているので、これも基本技術を身に着けある程度先が読めるようになり、かつ細かな計算ができるようになれば予想できるようになりそうな気がする。
あまりに長くなりそうなので、続きは次の記事で
その後に書いた囲碁関連の記事は以下のとおり。