目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

小学校の頃の先生とSNSでつながる

 

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 一昨日、小学校時代の教師とSNS上でつながりました。そのことが影響してか、小学校時代の先生と再び会う夢を見ました。
 奇妙でない夢というものはなかなかありませんが、今日の夢もまた奇妙でした。単に奇妙というだけでなく、いろいろ考えさせられるところがあったのです。


 

 夢の中で、私は小学校時代の先生の国語の授業を受けていました。題材となる小説には、現に自分自身が体験したことが書かれていました。読みながら、そのことがわかりました。夢の中で私は、「これは私がした体験だ」ということに気づいたのです。そして、その体験の中にもぐりこんでいったのでした。
 ベージュ色の表面からなる壁に包まれた、地下室の中を私は歩いていました。壁の輪郭はぼやけており優しく親密であります。柔らかい砂の地面には1cmほどの水が張っていました。目の前の、水盤から、ゆっくりとそれらの水がわきだしているのです。
 ただそれだけの体験が、テクストとなって目の前に現出しており、体験した自分自身がそれを先生の授業で読解しているのでありました。


 

 先生の発問にあわせて、私は小学生だった当時の積極さを保存したまま、頻繁に自分の考えを、手を挙げて述べていました。

 その際、私は小学校以来の10数年間で獲得した話し方で「今先生が〜と発された問いに関してなのですが、私はこのような表現から〜のように考えられるのではないかと思います」というように答える具合なのですが、先生は「○○、いいポイントだね」と当時のままの具合です。ここで〇〇には、あだ名が入ります。久保健太郎くんを、「クボケン」と読んだり増田くんを「マッシー」と呼ぶようなあれです。

 すでに倍以上の年を取った私が、その年相応の語り方をするのに対し、先生は全く当時と同様の具合で応じる。このギャップにクラクラしました。


 

 夢の中で、この10数年の間に変化したのは私だけのようでした。もちろん、先生にも様々な変化があったことでしょう。しかし、私はそれを知らないから、夢の中で、私だけが変化して、先生はそのまま出てきたのでしょう。そのことが、先生と連絡を取れというサインのように感じました。
 それで、先生宛にメールを書いたのですが、どうもうまく書けず消すことの繰り返しです。それを繰り返す中で、あの夢が、「先生と連絡を取れというサイン」ではないのではないかという風に思うようになりました。


 

 私の体験を私が読解し、それに対して、それを自分が体験したと唯一わかっている私が、自分の考えを今のような話し方で述べること。そして、先生がそれに、小学生時代と同様の形で対応すること。そのことは、安易に連絡をとれば、決定的なディスコミュニケーションに陥るから気をつけてね、という警告のようにも、考えられてきたのです。
 私は、先生が結局どういう人だったのか、ということを考えなければならないと思います。高校時代に出会った本の一部を学部時代、大学院時代と読み直すような形で。そして、読み直す気がなんとなく湧きもします。しかし、ここで急ぐと失敗する気がする。
 私には「時間を味方につける」必要があります。