目をつぶらない

文学を専門とする大学院生の日記です

学校の先生という選択肢を捨てた理由②

(前の記事からのつづき)

プロの先生の関心

 

 そんなことを考え、また実行に移した矢先、たまたま母校の先生とお話しする機会があった。先生は、今どのような授業をしようとしているか、それがこれまでと比べてどのように新しい試みとしてあるのか、困難は何か、ということを中心にお話しくださった。

 

 その際、私が感じたのは、プロの先生と私との決定的な関心の所在の差異だった。

 

 一言で言えば、私は生徒との交流に関心があった。彼らが何をどう考えるかということを考えるのが面白かった。また、彼らに関わってあることに喜びを感じた。もちろん、私自身の欺瞞がたたり、彼らにむしろ迷惑をかけることは、明示的に問題化しなかったが、実は何度もあったことと思う。ありがた迷惑、干渉のしすぎ、または無関心すぎ、などバイトに行くたびに私はそのようなことを自分はしていないか、してしまった場合にはどうリカバーしていくか考えて実行に移していた。

 

 先に述べたこととも通ずるが、最初はそのようなことを考え、行うのが楽しかった。のちに、それは面倒なものになった。だから辞めた。

 

 対して先生は、何を教えるか、いかに教えるかということを中心的に考えていた。そもそもこの科目を教える目的は何か。その目的は本当にそれでよいか。その目的のために今どのような手段がとられているのか、それは本当に有効か。それを変えていくためにはどうすればよいか。そのような教科の指導に関わることが、先生の関心の中心だった。そして、それは私が教える際に関心を持つこととは異なっていた。

 

 この関心の相違は案外重要かもしれないと私には考えられた。ふと想像してみるだけでも、私の関わった先生の中に、私のような生徒との交流に力点を置く先生と、指導法の研究に力点を置く先生の二種がいた。そして、私の場合は、後者に力点を置く先生に、育てられたことが多かったように思われる。それは、私がたまたまそのようなタイプだったということであろう。また、出会う時期によってどのようなタイプの教員が私にとってよいかということが変わってくるということもあるだろう。

 

 とにかく、私は、そのような、先生と自分との教えるということに対する関心の差異に気付いたのだった。

 

教師はいかにして成長するか

 

 そのような気づきを先生に伝えると、先生は、その差異は教師としての成熟に結び付けられるのではないかとおっしゃった。つまり、多くの教師が、まずは生徒との人間関係の構築や交流に楽しみ、苦しみ、のちに優れた指導法の研究に移行していくということだ。

 

 そうなのか、と目が開かされる思いだった。つまり、私は教師が教師の枠内においてどのように経験を積み、変容していくかということがイメージ出来ていなかったのであった。

 

 同時に気付かされたことがある。それは、私は指導法を工夫することそれ自体にはあまり興味がないということだ。もちろん、これまでわかりやすい授業をしようと心がけてきたし、それを実際にすることも、ある程度はできてきた。しかしそれは、単に生徒とのコミュニケーションの一部として行ってきたのであって、指導法の向上を目指してのことではなかったのである。

 

 私は、どこまでも個別指導という形態に特殊具体的な状況の中で教えることに関わってきたのであり、集団塾で授業をしたことはなかった。そういえば、集団塾で働く友人はより指導法を研究していた気がする。板書の案を練ったり、ある解説にかける時間を厳密に予定したり。

 

 そのことを考えると、私はそのようなことに興味が持てるのだろうかと思われてきた。私の関心は、教職とは異なるのかもしれないと思考が進み始める。

 

 私が何度も教師という選択肢を考えては自分の中で潰してきた理由はこのあたりにあった。

 

中・高生と付き合うこと

 

 中・高生を見ると、「想像以上に子供だな」と思う。「想像以上に子供だな」と思いながら見ていると、「意外に大人かもしれない」と思う点もある。中・高生は私にとって自分がかつてそうあったにもかかわらず、自分とは全く異なるものとして現れるのであって、「教師に向いているかもしれない」という私の予感は、要はその異なるものとの遭遇・交流という新鮮な体験の持続を願ってのことだったのかもしれない。

 

 上述の通り、私は教える仕事を楽しんできた。しかしそれは「教師になりたい」とは違うのかもしれない。そのように考え、私は結局留年して教職をとることはなかった。

 

 ただし、自分もそこにかつてあったはずの場所に感じる異なるものの感覚とそれへの興味、それ自体は持ってしかるべきであると振り返って思う。

 

 先生になることはやめたが、教える経験自体は大変良いものだった。