SUMMERY

目をつぶらない

滑らかに生きたい。明晰に生きたい。方途を探っています。

祖父危篤

 昨日未明に祖父が危篤であるという連絡が入った。脳梗塞で意識を失ったという。皿洗い中のことだったらしい。皿を洗う水がジャバジャバと流れる音がいつまでも続くので、不審に思った祖母が台所に行くと、祖父は車椅子に座ったまま前かがみになって、小さく固まっており、その口からは舌がはみ出ている。祖母に呼ばれた母は、祖父の様子を見てこれはまずいと判断し、救急車を呼んだ。

 救急車の中で母は救急隊員に「皿洗い中に意識を失ったらしい」と話したがなかなか信じてもらえなかった。祖父は数年前に帯状疱疹をこじらせたせいで右腕がほとんど使えず、また糖尿病で左足の足首より先を切断して歩けない状態だったから、そんな祖父が五体満足の祖母に代わって皿洗いをしているという状況が、「家事は女性の役割」という常識も手伝い、隊員にとって理解し難かったのではないかとこれは母の話。

 その後すぐに集中治療室に運ばれ、様々に処置を受けたのち、私の父と母が診察結果を告げられたのが明け方頃。ここで私にラインで連絡が入ったのだが、私はその連絡を母の送信直後に受け取った。なんとも阿呆らしい話ではあるが、その時私はあんまり面白い夢を見ていて、自分の笑い声で目を覚ましたのである。

 その夢というのも、友人が謎の文芸批評本を出し、その内容を当の本人とともにけなしたり茶化したりこき下ろしたりする、という内容だった。夢のことを思い出そうとするといつもそうだが、詳細は完全に忘れているので想像で補いながら書くと、要するに私と友人とは、その謎本の持って回った言い回しや、自分が一番頭が良いと思っていそうな著者のナルシシズムにツッコミをいれては、爆笑を繰り返していたのである。一緒にその本をこき下ろした相手がその本の著者である、というのは夢なりの奇態さである。いや、著者が自分の本を、それと認識しつつ馬鹿にしていたのなら辻褄があうのだが、そうではなかった。彼は完全に、自分ではない誰か他の人が書いた本に対する態度で、私と盛り上がっていたのである。

 その子は田中君と言ったのだが、私の方は、田中君の本を田中君とバカにしながら、目の前にいる田中君と本の著者の田中君を全く結びつけて考えていなかった。起きてるか寝ているか微妙なまどろみの中で、「あれれ、そういえば、あの本の著者が当の田中じゃん、でも変だな。だって赤の他人が書いたものであるかのように一緒に馬鹿にしてたわけでしょう・・・?」などと思っていた。

 自分の枕元に祖父が立っている夢を見て、起きたら・・・などという次第であればよくあるいい話系の怪談であるのだが、そのようでは全くなく、祖父は大声でのおしゃべりも、品のない爆笑も嫌いだったから、祖父といかなる意味でも関わりのない夢を見て、起きたら祖父危篤の連絡が入っている、という次第だったのだ。虫が知らせる、などというが全然知らせてくれなかった。

 ということで、昨日は会社を早引けして慌てて実家の方にある巨大病院に飛んで行ったのだが、いくつも管をつけられ、大きなベッドに横たわる祖父は、私の想像以上にやつれ、痩せていた。もちろんそれは今回の脳梗塞のせいではないわけだから、こんなに祖父は老いていたのだ、と改めて驚かされる気分だった。いつも明るい祖母の表情はどこまでも険しく、そんな祖母をみたことはこれまでになかったから、そこから事態の深刻さを読み取ることになった。

 祖父はとにかく生真面目な人で、80を超えても辞書を引き引き洋書を読んだり、好んで読むアガサ・クリスティーに関する研究書の部分部分を拾い上げて訳出した断片を大量にパソコンに貯めたりしていた。大学に入った私にドストエフスキーを強く薦めてくれたのも祖父である。ちゃらんぽらんな私は祖父の熱心さに観念して、腰を据えてドストエフスキーを読み始めるまでに、半年から一年くらいかかったが。勤勉な祖父は外的な動機付けが不在でも、毎日○ページ読む、などと決めて何年もかけて独り取り組み、一方でエンジニアとして働きながら、他方分厚い本を読破できる人だった。

 そういえば以前、東大闘争の直前に大学を卒業した祖父が、新入社員時代を過ごしていた折、ニュースを騒がせる学生運動に興味を持ち、何かに急かされるようにして『資本論』を読破した、という話を聞き、会社勤めをしているわけでもないのに、すでに2度3度と『資本論』をなげだした経験のあった当時の私は密かに恥じ入ったことがあったのを思い出す。もっともこうして書きながら、今同じ話を聞かされたら、「そういう時代だったのだろうね」で受け流していると思うが。1日8時間なりと働いて、くたくたに疲れて家に帰ってもなお、どうしても読まなければならないと思えるほどの価値を『資本論』という書物が持っているように思われた時代があったのである。隔世の感がある。

 ところで小熊英二の『1968』によれば、一応共産主義を思想的背景とする全共闘の中でも『資本論』をきちんと読んだ人はほとんどいなかったと出ていた。しかし、マルクスという名や「『資本論』っぽい論理」は当然飛び交っていたのだろう。読まなくったって、いくらでもそれっぽいことは言えるのである。そういう状況の中で、あえて分厚い『資本論』原典を紐解き、「毎日○ページ」などという風に決めてコツコツ読み進めて行ってしまう、そういう生真面目なタイプの人がつまりは私の祖父なのである。

 脱線してしまった話を戻す。今回の脳梗塞で祖父の右脳はすっかり機能しなくなっているらしい。しかし左脳が残っており、右手は動くし、右目はどうやら見えているようである。聞き取るのが難しいが、細心の注意を払えば、それなりに状況にそう言葉を口にしようとしているのがわかる。昨日私が名前を呼ぶと、こちらを見て、心なしか微笑んでくれたし、何かの言葉を口にしていた。また右手を握ると断続的に3度4度、ぎゅぎゅっと握り返してきた。そうしたリズムが、祖父が送る「それなりに意識ははっきりしている」というサインであると私は捉えている。

 ここ一週間ほど祖父は生死が危ぶまれる状況にあるという。祖父が何年も読んできて、血肉化してきたニーチェドストエフスキーは、生死の淵にある祖父の魂を導くだろう。彼らがどんな方向に導くことやら定かではないが、とにかく悪い方向ではないだろう。祖父から強く薦められて、二者の著作をそこそこ読んだ私は、そんな風に思う。ドストエフスキーの作品は、人間性に対する根底的な希望に満ちているし、ニーチェに関していえば、例えば、「人間に絶望した」というようなことを100回も200回も書くことは、それは逆に人間に期待をしているということではないか?

 とこんな文章を読んだら、元気だった頃の祖父なら、鼻で笑うのだろうが。とにかく祖父は基本的に、私の文章を鼻で笑う人なのだった。そのくせ祖父は本当によく私の書いたものを読んでくれた。回復したとして、もう祖父は文章を読めないだろうな・・・などと考えるのは大変に辛い。生と死の境における現在進行形の戦いも、またここで一命をとりとめたとして得られる、病院も医者も嫌いな祖父のそれからの余生も苦しいものだろうと思う。しかし『カラマーゾフの兄弟』にはこんなセリフがある。癪だがすぐに出てくる村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から孫引きすると

「ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい」

 祖父は「ぜんたいとしては」人生を祝福してくれることになるだろうと私は期待しつつ、この土日は病院に通いつめる。そうした期待でもなければ正直やっていられない。そうしてこのくだりも元気だったころの祖父にとっては無限に可笑しいことだろう。そういえば、私は親族の中で唯一、祖父に本気で馬鹿にされているのである。